「ぼくらの祖国」
青山繁晴氏の本「ぼくらの祖国」を東京から帰る新幹線の車中で一気に読んだ。

読んでいる途中、右手に富士山が見えた。雲一つない快晴の青空の下、雄大な姿を見せる富士山を見ながら、祖国についての本を読む。いつもはボンヤリ風景を眺めてたり、iPhoneをいじっていることが多いのだけど、今日は富士山を過ぎてからはずっとこの本に集中した。

内容は「北朝鮮拉致問題」「東日本大震災と福島原発事故」「硫黄島の滑走路の下に埋められたままの英霊1万3千人」「日本海のメタンハイドレート」のことをメインに、日本という国を考える内容になっている。

青山繁晴さんの主張は関西テレビのニュース「アンカー」で毎週聞いているのでだいたいおさえているつもりでいるが、こうやって活字になると更に重みがましてくる。

特に「硫黄島(いおうとう→いおうじまは米国の言い方)」の話は圧巻だと思う。新幹線の中で不覚にも涙を零してしまった。YouTubeで以前この青山さんの硫黄島の話は視聴したことがあるのだが、それでもやはり本を読んでいるうちに身体の芯がゾクゾクしてきて、感極まってしまった。

僕らは事実をあまりにも知らなさすぎる。

硫黄島で犠牲になった2万1千の英霊のうちまだ1万3千人が島の地下壕などに埋まったままになっていること。しかもその遺骨の上に滑走路が作られているためそれを剥がさなければいけないこと。ところが青山さんの活動で始まった「滑走路を移転し今の滑走路を引き剥がして遺骨を収集する」という計画が2009年に防衛省で1億円の予算がついたのに今は消えてしまっていること。硫黄島を米軍が占領したかった理由は本土爆撃の拠点にするためだが、その爆撃の目的は日本の女性や子どもまでを殺して民族を根絶やしにするためだったこと。栗林中将はアメリカの戦略をわかっていたので一日でもそういう空爆を遅らせるために穴を掘って戦いを引き延ばそうとしたこと。など…。

僕らには知らされていないことが多すぎる。この本を読みながら、そういう硫黄島の戦いの背景を知り、日本人のあり方についてもう一度考えてみたいと思った。

栗林中将が最後の出撃時に述べた言葉がある。

「予が諸君よりも先に、先陣に散ることがあっても、諸君の今日まで捧げた偉功は決して消えるものではない。いま日本は戦に敗れたりといえども、日本国民が諸君の忠君愛国の精神に燃え、諸君の勲功をたたえ、諸君の霊に対して涙して黙祷を捧げる日が、いつか来るであろう。安んじて諸君は国に殉ずべし。」(梯久美子「散るぞ悲しき」より)

はたして、今の日本人は、日本のために命を捧げた英霊たちの勲功をたたえ、涙して黙祷を捧げているだろうか?

英霊だけの話ではない。今の日本人は日本に対する「祖国愛」についても思考停止している。自国の国旗国歌に敬意を示さない国民がいるのは世界中の中でも日本だけである。

残念ながら戦後教育で刷り込まれた自虐史観が国民に浸透してしまっている中でなかなかこういう「祖国愛」についての主張をしても虚しいばかりだが、少しづつそのことに気づいてきている人も多い。

こういうのを右翼の思考だと思う人も、一度この本を読んでみてはいかがかと思うのである。
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2024年、会社はなくなる!?
マインドマップで有名な神田昌典さんの本を読んだ。

こういうハウツー系の表題の本はあまり手に取らないのだが、『なぜ、神田昌典は「日本人の未来は明るい」と言い切れるのか? 』という帯が気になって手に取ってみた。

読むとすごく引きこまれた。先日のブログにも書いたが、僕は歴史が70年くらいの周期で繰り返しているのでは?と思っているのだが、同じ事をこの著者も書いている。小泉元首相が浜口雄幸に似ていると言われた頃から歴史が繰り返しているのではと思っていて、その後の短命内閣の連続でまさしく戦前と同じだなと感じていたのだが、こうして本に書かれると、やっぱりと思ってしまう。同じようなことを考えている人がいるのだ。

ということで、現在は変革期に直面している。70年前といえば戦争の真っ只中である。変革と言うよりも破壊と創造が起こった頃と言えるのかもしれない。

で、第4章の表題がすごい「2024年、会社はなくなる!?」である。

確かに、今の大企業はどこかおかしい。意思決定が遅く、新規案件は軒並み握りつぶされる。全く前に進めない企業が多い。

その点中小企業は小回りが効いて意思決定も早い。ITの世界でもクラウドが出てきたので、小さな会社でもすぐに本格的なWeb開発環境を手にすることができる、大手の企業と対等に戦えるインフラが整ってきている。こうなってくると、機動性が高いかどうかが企業の勝敗を決めてしまう。大企業の人たちと話していると「内部統制がどうのこうの」「セキュリティがどうのこうの」などなど、動けない理由ばかりを並べ立てて、一向に前に進まない。これでは著者が言うようにあと10年もすれば大企業は衰退していくばかりだろう。

会社がなくなる理由として次の3点をあげている。
  1. 会社では社員が育たない。
    成熟期の既存事業はシステム化されているため従業員はオペレーターになっているだけ。事業立ち上げを経験できなければ脳を使わない。
  2. 会社では無から有を生み出す経験が積めない  
    新規事業を立ち上げるにはリスクがあるため、決裁されない。
    リスクのあることに会社は及び腰になるため、事業立ち上げ経験が積めない。
  3. 一部の仕事をしている社員が抜けると、会社には何も残らない。
    優秀な人材はフリーエージェントとして会社にいなくても仕事ができるようになる。
    かくして、会社にはオペレーターだけが残る。
その後について、著者はNPOが中心になっていくと言っている。ドラッカーの「ネクスト・ソサエティ」にもそう書かれていたが、確かに社会貢献活動が少しずつ日本に根付いてきているような気がする。

何のために仕事をしているのか?っていうのを突き詰めると結局、「世の中を良くするため」にということになるのではないだろうか。日本人は「利他」の精神があるし、他人のために何かをしようという人が多い。

これからは会社のビジョンが明確な機動力のある小さな会社やNPOが世の中の中心になっていき、現状維持ばかりで前に進まない大企業は衰退していくのかもと、あらためて感じた次第であります。

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旗を掲げて前に進むやり方
大阪では橋下市長になってからというもの、なんだかんだと毎日のように市政に関することが新聞に載る。

今日は「ほんまや」っていう水道水のペットボトルの製造中止や柴島浄水場の廃止が伝えられた。「橋下さん「ほんきや」」と報道するように政策の変更を歓迎している感じである。

「ほんまや」は大阪市の水が綺麗なことを宣伝するために作られたもので、僕も何回か見たことがあるが、コンビニに置かれてないし、まあ売れてないだろうと思っていた。それはそうだ。水道水を好き好んで買う人などいるはずがないからだ。自然のミネラルウォーターだから買ってるのだ。しかも赤字事業とのことなのでこの製造中止案は納得出来る。

このニュースと並行して柴島浄水場の廃止方針も打ち出している。こちらはデカイ話だが、「ほんまや」など無駄な事業を大阪市がやっているという印象をつけて、本丸の浄水場の統合に王手をかけた感じだ。

橋下市長の大阪都構想はとにかく二重行政の撤廃が発端である。特に水道事業は一本化すべきと強く思っていた。まず、ここを責めるのに「ほんまや」というムダなペットボトル事業を話題にするあたりが非常に戦略が上手いと思う。

橋下流のやり方は驚くようなことを唐突にぶちあげて、それについて議論を促すというやり方だ。旗を高く掲げて、こっちに行くからみんなついて来いよ〜というやり方。

従来の手順は全く無視しているので、ある意味独裁的な手法だが、やっていることが理にかなっているので、反論できないし、非常にスピーディーに物事が進んでいる。

このやり方はリーダーという立場の人は見習うべきだと思う。

しかし、同じように旗は立てているのだが、野田首相のように誰も望んでいない消費税増税の旗を立てても誰もついていかない。

で、支持されていないことに気づいたのか、増税した暁には低所得者に毎月一万円を配るらしい。バカバカしい…。子ども手当の二の舞は目に見えている。

旗を立てるには、ついて行く人の強い支持がなければいけない。支持を得るためには、夢のある目的地を具体的にビジュアルに明示する必要がある。「ゴールはこんなすごいところなんだ。だからみんなで行こう!」という感じでなければ誰も重い腰をあげてついていかないのだ。

会社などでも同じで、方針の先に素晴らしい未来が見えなければ、誰もついていけない。ゴールが明示されずに対策は打てないのだ。

人は目的地があるから歩いて行くのである。目的地が不明確なのにこの道を行けと言われても行けないし、登る必要もない山を登るために山登りの装備をするなんてのはナンセンスなのだ。

旗を高く掲げたからには、目指すゴールを明確に見せてあげるのがリーダーの役割である。

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マジメにマネジメントの勉強をしよう。
今日からアシストソリューション研究会の分科会活動が始まった。

この分科会はいろんな企業のIT部門の人たちが集まって一年間研究をし、12月には成果発表と論文作成を行う活動である。ベンダーがやっている研究会とは違って、純粋にテーマ研究を行うもので、ベンダー提供の製品に縛られず自由な活動が出来るので、すごく勉強になる。

僕はこの研究会の幹事をしているのだが、今年はサポートだけでなく実際に分科会に参加することにした。

参加分科会は「業務改革とITの役割」について研究するというもの。

本来業務改革を行う場合、業務フローを現場と本社でしっかり共有し、分析し、変革後のイメージ化をして、現場に変更後の業務イメージの説明をしておくべきなのだが、往々にしてその作業をすっ飛ばして、突然経営から発表されるケースが多い。

現場は既存業務を壊したくないので、変更することを嫌う場合が多いが、仕事は現場があってはじめて成立するのだ。なので、事前の根回しは必要だし、こういう利点があるから変えるのだということをしっかり説明しなければいけない。

改革にあたってはまず、既存の業務フローをしっかりと分析するための現場ヒアリングは欠かせない。

ただヒアリング結果は現状の業務スタイルなので、そこから上がってくる現場からの要望にすべて答える必要はない。業務フローを変えればその仕事自体がなくなる場合が多いからだ。

重要なのは、結局この業務で何をしたいのかということをとことん突き詰めるということだ。既存の業務フローは一旦白紙にして一から業務を作るとどうなるかを検討する。理想の業務フローを作ったあとは、今度はそれが本当に現場で実施可能なのかを見極める必要がある。IT化できるのか、その場合のコストはどれくらいになるのか…などなどの作業を行って、現場に再度変更後の業務イメージを説明する。そうやってからはじめて発表すべきである。

ほとんどの業務改革といわれているものは、既存業務にとらわれ過ぎて現状をちょっと改良した程度のものにすぎないか、あるいは全く現場の意見を無視したトンデモ改革かの両極端な場合が多い。

前者は現場の意見を聞き過ぎで、後者は聞かな過ぎということだ。

こういう感じで初期過程で上手くいかないケースが多い。

その過程が上手くいっても、その後、変更される業務をうまく現場に浸透させていくということが難しい。

いざ、改革がはじまっても既存業務が頭から離れないからだ。なので、改革後のイメージの共有が必要である。改革をおこなうことそのことによって現場がワクワクするものであることがとても大事で、このワクワク感を持てない業務改革は失敗することが多い。

人が動くのは感情の高まりによってである。

ワクワク感があれば多少困難であってもやり抜こうと思うはず。が、そのワクワクする感情がなければ、途中で「だから、やりたくなかったんだよな…」となり、組織は崩壊の道程を進んで行くことになる。

「業務改革とITの役割」…。

なかなか難しい課題であるが、一年かけて、こうやるべきという方向性を見いだせればなと思う。

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気がかりな若い人達の考え方
成果主義が蔓延してからというもの日本の低成長が止まらないが、特に若い人達の考え方が気がかりだ。

昨年くらいから平成生まれの人たちが各企業に入社しているが、彼らは物心ついた時から一度も日本の経済成長を経験したことのない人達だ。

小学校の頃には、親が「成果主義」の嵐にさらされ、勝ち組負け組だのと言われ、肩を落としながら会社に行っているのを見て育ってきている。子どもは親の鏡である。親がそういう状況なので、彼らは小学校時代から「同調圧力」が強く、出る杭にならないように一生懸命自分を抑え、他の人と同じような服を着、 同じようなゲームをし、同じような塾に通い、同じような大学に行き、同じような会社に、やはり同じような服を着て通うのである。

突出したことを嫌うため、あまり自己主張はしないし、飲みにも行かない。

しかしながら、評価には異常に敏感である。いろいろな話をしてもあまり反応しないのに、上司に気に入ってもらうにはどうするかというような話には反応する。

しっかり「成果主義」のフレームワークに沿って生きている。

何なのだろうか?この状況は…。少なくとも「成果主義」を早く除去しないことには日本企業の成長はないと断言できる。

それにしても、世の中はグローバルな時代である。一度も海外に出ず、英語も喋れず、中国語も韓国語ももちろん、日本語だって怪しい感じの人間が、日本企業の小さな「成果」だけに固執して生きていたって意味がないのである。

僕らの時代には海外留学できる人は極僅かだった。が、今の時代は円高もあるし行こうと思えば行ける時代だ。僕の子どもが行きたいといえば絶対に行かすだろう。がしかし、留学人口は年々減少し、今やアメリカの大学にはアジア系と言えば中国人や韓国人ばかりである。日本は鎖国に入ろうとしているのかと言われそうな勢いである。

それなのに、彼らは会社の中の小さな評価には異常に固執する。

この絶望的な風潮は親の考え方の影響が大きいと思う。日本は神武天皇即位を歴史の始まりとすれば2672年もの長い歴史があるが、実際の具体的な歴史は家庭で作られるのだ。親から子どもへ、しっかりと「生き方」や「道徳」「礼儀」を継承していかねばならないのだが、戦後のグダグダの中で段々とその伝統的な継承がなされなくなってきているのではないだろうか?と思う。

日本という国の形は各家庭が築いていくものであるので、そういう国民教育がなされなくなれば、子どもは教科書や本やそういったもので間接的に身につけなければいけない。また、家庭が行うべきことを学校が代替するのはほとんど不可能なのであるが、今は家庭がおかしくなっているから、そうせざるを得なくなってきている。橋下元大阪府知事が教育現場で国旗掲揚国歌斉唱時の起立まで条例化しなければいけなくなってきたのは、そういう家庭の事情も影響があるのかもしれない。おかしな先生がいてもそれをおかしいと言える親が減ってきたのだ。

しかしながら、日本人としての挟持を教えずに、「上司に気に入ってもらうには」とか、「出る杭にならないようにみんなの真似をするのだよ」などと親が教えるようではこの国は早晩潰れるであろう。

口に出さないまでも、そういう行動を親はしているのではないだろうか?

このままでは非常にあぶない。もっと若者は積極的に生きていかねばいけない。「同調圧力」を排除し、「もっと出る杭になれ」と我々がけしかけなければいけない。出すぎて叩かれても、それで成長していくのだ。成長過程の失敗は必要な失敗である。失敗を積み重ねて人は成長していく。「失敗は成功のもと」というではないか。

ところが、「成果主義」がそこにブレーキをかける。成果主義では失敗は減点の対象である。失敗して減点されることを避けるために、減点対象にならないレベルの小さな目標を立てて頑張ったふりをするのだ。そんなくだらないことなのだ「成果主義」とは。

もう一刻も早く日本企業全てからこの成果主義を排除しなければいけない。

そういうくだらない仕組みを排除すると同時に、若者は積極的に海外に行くべきだと思う。外から見れば、日本をもう一度再認識できる。とてつもなく良い国なのだということを実感し、この国を潰さないようにするにはどうしたらよいのかということを自分の頭で考え、手を動かし、足で行動しなくてはいけない。

僕自身もこれからは考え方をグローバル思考に変革させ、日本の良い部分を積極的に海外に活かす努力をしたいと思う。積極的に生きていれば、きっと良い事が起こると思う。

頑張っていこう。。。
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時代の転換点
時代の転換点に来ている。

今年は壬辰(みずのえたつ)ということで、干支からみると、昨年までの問題が更に膨らみ、一歩間違えば(人事を間違えば)取り返しのつかない年になるかもしれない一方で、新しい時代の芽生えが出てくる年でもある。マヤ暦が2012年12月21日で終わっていることから終末説もまことしやかに噂されているが、終末ではなく、そこから新しい暦が始まる年ともいえる。

つまり、今年をボトムとして、新しい時代への始まりがやって来るというふうにも考えられるのだ。うまくいけばV字回復の年である。

価値観に大きな変動がおきるはずだ。

総理大臣がこのところころころと毎年変わっているが、これは戦前も同様のことが起きていた。特に昭和11年2.26事件のあった岡田啓介内閣以降は超短命内閣が続いた。つまり、時代がおかしな流れをしているときには政治の成り行きが注目されるため、リーダーシップのない人が嫌われるのだ。歴史は繰り返すというが、ライオン宰相浜口雄幸を小泉純一郎とダブらせるとあまりにも歴史が似すぎている。大衆に人気のあった首相がいなくなった途端、時代の破綻を人々が感じ取って短命内閣が続くようになったということだ。

歴史を振り返ると、どうも70年の周期になっているような感じである。となると昨年は第2次世界大戦突入の年になる。戦争ではないが、昨年は東日本大震災、福島原発と大変な年だった。

70年前の今は戦時体制に入ったという状況下である。ミッドウェー海戦を回避していれば戦争終結を模索できたのかもしれないが、当時はそのまま戦争を継続させてしまった。この轍を繰り返さないように、今年はうまく時代を転換させていくべきではないかと思う。

だが、従来の延長線の考え方では、この難局をくぐり抜けることは不可能だ。

従来の延長線にない全く違うアプローチで、時代を変換させていかなければならない。今の政府にそういうことができるはずはない。なので政府に頼るのではなく、民間の我々がなんとか知恵を絞ってやらなければいけないと思う。大阪では橋下市長の大阪改革が進行している。それを一つの流れとして、橋下改革に匹敵することを各企業も進めていく必要がある。

橋下改革のポイントは、従来の発想とは全く違うやり方をしていること、生活をしている市民に納得性の高いことを中心に非常に早いスピードで実施していること、間違った方針だった場合その修正速度が早いこと、などがあげられる。

ものすごい勢いで次々と政策を打ち出している。

こんなことを民間企業でやるには、トップがものすごい勢いで各部署に指示を出し、上がってきた意見のうち良いものはすぐに実施するということだ。1年先とか3年先などと戯言を言ってくるようなら「馬鹿か」とすべて切り捨てて、「すぐにやれ」と命令することが大事だ。早くやろうとすると意外に短時間にできることが多いのは事実だ。ごちゃごちゃ考えているうちに時代はすぐに変容してしまうので、考えていたことは陳腐化してしまう。

今のようにものすごい勢いでITが進展している時代に、恐竜時代のようなスローモーなやり方をしていても、他国に追いぬかれて行かれるばかりだ。水戸黄門のテーマソングではないが、「泣くのが嫌なら、さあ歩け」って感じで、がんがん進んでいかなければいけない。そうやって突き進んでいくと、きっと良い時代が待っていると思う。

物事をスピーディーに処理していくと、気持ちも高揚し、前向きになる。前向きになると消費も増え、経済が活性化するのだ。スローモーに動くと、なんだか陰鬱になり、ボヤキが増えてくる、消費は低下し、経済は落ち込んでいく。

この時代の転換点で生きていくためには、猛烈な勢いで走っていくことが大事だ。細かいことは気にせずに、とにかく前に向かって大きく歩き出そうではないか、と思うのだ。
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日記を書くことにしよう
毎日ブログを更新しているが、これとは別に日記を書くことにしようと思う。

昨日、コクヨの「CamiApp」というA5版のノートを買ったのだけど、手書きで書いたメモをiPhoneの専用アプリで撮影すると、きちっと傾きや歪みが成形されて画像として保存される。しかもEvernoteやDropBoxに自動連携されるという優れもの。

思いついたアイデアををいきなりWordとかPowerPointに書こうとすると、線とかクリップアートに拘るあまり、発想が途切れていい資料が作れない。やっぱりアイデアは紙にラフスケッチする方が思考が続く。

で、このCamiAppに朝から会社の文書管理システムに関するメモを書き始めたんだけど、意外に次々とアイデアが浮かんでくる。Wordで書いているときには浮かんで来なかったことが結構連鎖的にイメージできる。やはり、人間って手で書いたことが脳を刺激するのだと思った。キーボードではなかなかこうはいかない。

ということで、日記についても自分の手で書いていこうという気になってきた。キーボードで書くのもいいのだけれど、ブログだと、やっぱり読んでくれている方々に向けた内容になってしまうので、私的なことは書けない。ノートに手書きが一番だ。

そんなことをつらつらと考えていた矢先、さっき娘と一緒に見ていた「嵐にしやがれ」で長渕剛が日記を書いているという話をしていた。あんな大物でも毎日書いてるんだと感心した。そのテレビを見て、余計に僕も書こうと強く感じた次第。

今年の目標に「手書き日記」を毎日書くというのを付け加えることにしたい。
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空気を読まない生き方
昔読みかけて挫折した「君主論」。自宅の本棚を探したがなかったのでおそらく今は某古書チェーン店の棚に収まっていると思うが、もう一度読みたくなってきた。

成毛眞氏が書くとどうしてこんなふうに読みやすくて刺激的な内容になるのか不思議だが、「大人げない大人になれ」の読後と似たような爽快感に包まれる。

いつの時代もリーダーのあるべき姿というのは同じで、いざというときに毅然とした対応ができるかどうかということだ。平和な時のリーダーは愚鈍でもつとまる。変革期に必要なのは強烈なリーダーシップである。なので、そのためにも普段から媚びない姿勢が大事だ。

マキアヴェッリがが言う「ためらいなく敵か味方かを打ち出せ」というのは一見トラブルを発生させるだけのように感じるのだが、どっちつかずの態度をとっていると、結局その人は敵か味方かがわからないため両方から相手にされなくなってしまう。最近の日本の外交のように中国にも米国にもいい顔をしようとするから両方から相手にされなくなってしまう。

自分のスタンスを表明できないリーダーが多すぎる。敵をつくらないようにするあまり、どっちつかずの対応をしてなるべく波風を立てない方向に進めようとしてしまう。

なんだか、強く感じるのは、最近の日本の問題点は「空気を読む」人ばかりになってしまったということだ。

学校時代から「同調圧力」が強く、突出した個性を出さないようになってしまっている。みんなと違うことをしているといじめの対象になってしまうため、なるべくみんなと同じようにしようとする。

会社に入ってもリクルートスーツも全く同じ、髪型や喋り方まで似ている。成果主義なので欠点をださないように無茶なことはしない。そういう彼らは弱くなっているので、波風を立てないように上司は部下に気をつかい「頑張ってるね」とか「期待しているよ」と声かけをしては調和を保とうとする。それがコーチングとか傾聴態度などということになってしまい、メンタルをことさら刺激しないことが、さも良い事のように取り扱われてしまう。

しかし、空気を読んでばかりいても改革など出来るわけがない。

リーダーに必要なのは、「俺はこう」と決めたらそっちに突き進むことが必要である。あまりにもそれがズレていれば、修正すればいいだけだ。(最初からズレてる人間は本来リーダーになる素質のない人であり、そのうち誰もついていかなくなる。)分かれ道で右に進むのか、左に進むのかに迷って、足踏みの練習ばかりしているようでは、一向に前進しないし、そのうち別の連中が横から入ってきて行く手を遮ってしまうのだ。なのでリーダーはしっかりとした判断軸を持ってどっちかに猛烈に進んで道無き道であれ突進することが大事だ。万が一崖に落ちても、また這い上がればいいのだ。

空気を読むってことは、結局ゆでガエルになってるってことだ。

なので、これからは「空気を読まない」ことにしたい。

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