プロジェクト組織が失敗する理由

プロジェクト組織が失敗する理由は、いろいろあるが、一番多いのは、そもそもプロジェクトそのものを立ち上げる必要が無かったケースではないだろうか。プロジェクトを立ち上げ、そのプロジェクト完遂のための組織を作るというのは、通常の組織では全く埒があかないような、新しいサービスやモノを作ったりする場合だけである。そこを勘違いして、検討部会程度のものをプロジェクトチームと名乗らせるから変なことになってしまうのだと思う。

プロジェクトとは「有期の活動」であって、「最終成果が明確」になっており(着地点が明確であり)、「予算」があり、「専任のプロジェクトマネージャー」とメンバーがいる活動のことである。ところが大抵の社内プロジェクトはプロジェクトメンバーが通常の業務と兼務になっているケースが多い。

これはプロジェクト組織というものではなく、単なるマトリックス組織である。マトリックス組織の場合、横連携の組織のリーダーの権限が曖昧で、通常業務のリーダーが上位になるため、指揮命令系統が上手く行かず、殆どの場合成功しない。このような「プロジェクトもどき」はそもそも何か新しい組織を作るというやり方ではなく、通常の業務の中で主たる部署(その企画を引き取る部署)がプランを練り、関係部署と協議をすれば良いだけのものである。自分の部署がやるべきことを、プロジェクト組織と名付けてたくさんの部署から人を募って行うというやり方は、「失敗しても責任を取らないぞ」と宣言しているようなものである。このようなゆるい組織が成功するはずがない。

プロジェクトとは何度もこのブログで書いているが
(1)「着地点」(最終のゴール)が鮮明に見えており、
(2)「何のためにこの活動をしているのか」ということがメンバー全員に徹底されており、
(3)「完了日」が日付単位で明示されており、
(4)「スケジュール」とそのスケジュールを遂行するための役割分担がはっきりとしており、
(5)「予算」措置が取られている。
そういうものをプロジェクトと呼ぶのである。

そういうプロジェクトをしっかりとした経験豊かなプロジェクトマネージャーが率いていればほぼ間違いなく成功するのだが、プロジェクトにもなっていないようなものをプロジェクトと呼んだり、経験も何もないような人がプロジェクトを率いたりするから失敗するのである。

世の中のプロジェクトの成功率は2割くらいという話を聞いたことがあるが、失敗しているケースの半分は「そもそもプロジェクトにもなっていないケース」、あとの半分は「プロジェクトマネージャーが経験者でないケース」であろうと思う。

こういう状況を変えていくためには「プロジェクトマネジメント」をきちんと学んで実践している人材を増やさねばならないのだと思うが、90年代以降の悪しき「成果主義」の蔓延以降、ベテランを尊重する風土がなくなってきているため「暗黙知の継承」が進んでない現状が日本にはあると思う。なんとかこういう日本の状況を打破していきたいものだ。
 
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PDCAのPは計画であって目標ではない

PDCAに関する誤解はまだまだ多い。Planを「目標設定」としてしまうケースである。

以前PDSではダメでPDCAでなければならないという記事を書いたが、
 ↓
「Plan-Do-SeeではPDCAサイクルが回らない」

せっかく「PDCA」と銘打っていてもPlanが「目標設定」では意味がない。
プロジェクトを実行するのにまず最初に目標を設定し、目指すべき着地点「GOAL」を明確にすることが重要だが、それはあくまで着地点であり「PLAN」ではない。「PLAN」は着地点「GOAL」が明確にあって、そこに至るまでの実行計画のことである。そこを混同すると全くPDCAは回らず、プロジェクトは失敗してしまう。

Pを「目標設定」としてしまうと、目標を立てた後(Plan)→目標到達のための仮説を実行し(Do)→目標に到達しているかどうかを検証し(Check)→当然到達していないのでまた新しい思いつきをやってみて(Action)→それでも目標に到達しない(ほとんど到達しないが…)場合には「目標を引き下げる」、もしくは「違う目標にすり替えてしまう」ということをやってしまう。

だからPlanの中に「目標設定」を入れるのはダメなのである。「目標設定」はPDCAの前提として外にないとダメである。

「PLAN」は明確になった「着地点(GOAL)」に向かうための詳細な実行行動計画をたてることである。ここは間違えてはいけない部分だが、そのあたりが曖昧になっているケースが多い。

世の中のプロジェクトがよく失敗するのは「着地点」が不明確なまま見切り発車し、やってもやっても、そもそもの着地点が定まってないので失敗するのである。夢のような目標はあくまで夢であって、仕事の目標は地に足がついていないといけない。

大事なのは「何のためのプロジェクトなのか」を明確にし、「実行計画」を立てて、それを行っていくことである。

また、「改善」の部分を「計画」と混同してしまうケースも多いが、PDCAサイクルは、基本的にはP→D→C→A→(P)→D→C→Aとなるべきで、改善フェーズで最初に立てた実行計画の一部修正を行いながらPDCAサイクルを回すという形になる。(P)と書いたのは計画を一から作りなおすということではなく、改善で一部修正されたという意味である。このサイクルを回して行き、当初立てた目標に到達したら、初めて目標を更に上にステップアップさせ新しいPDCAサイクルを回すという形にするのが大事である。

以前にも図示したがPDCAサイクルを回して目標達成後ステップアップするという、下図のようなサイクルを回していくのが本当のPDCAサイクルである。


 
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ベテランを大切にする風潮に戻したい

JUGEMテーマ:ビジネス

バブル崩壊後、日本ではなぜか「成果主義」「実力主義」「個人主義」の風潮が出てきて、ベテランを大切にするという大事なことがおろそかになってきたような気がする。

年功序列、終身雇用という「安心」感のある仕組みを低成長の原因にしてしまい、いまだにそれを廃止する動きになってきている。これは日本にとっては非常によくない傾向だと感じる。

「成果主義」の場合、成果を測る必要があるが、それをどうやって測るというのだろうか? 営業職の場合は数字も出てくるからわかりやすいと思われがちだが、それだって顧客サービスを無視して量だけとってくればいいというものでもない。蒔いた種が成長するには時間もかかるので短期的には成果は計測不可能である。

そもそも、「自社の製品を買ってください」と、聞きたくもないのに強引に自社製品の説明ばかりする営業がいるが、取引先にとって必要なのは、取引先の会社の事業にその製品がどう役に立つのか、なのだ。こちらの事業構造をわかっていない、調べもしてきていないのに「提案があります」というおかしなことを言い出す営業も多い。当然、門前払いである。

営業ですらそうなのだから、工場労働や、人事・経理・総務などの管理系の仕事や、ロングタームのシステム開発の仕事などは評価するのが非常に難しい。

なので、そもそも「成果主義」を導入すること自体が不可能なのである。

話は変わって、「成果主義」の行末として、困ったと感じていることがあるのが、成果の出ない部署はロボットのような対応ですませても平気になってしまうということだ。時間さえ過ぎればいいと思っている社員が増えてくる。

今日も、某大型スーパーのポイントカードの入会窓口で手続きをしようとしたのだが、応対した女の従業員は笑顔の一つもなく、無機質な甲高い声でこちらが聞きたくもないカードの説明を始めるのだ。一瞬ロボットかと思ったが、どうも人間だったようだ。そんな全くこころのこもってない声で意味のない説明をされても全然肚に落ちないどころか、腹が立つだけである。レンタカーの窓口や携帯電話ショップの窓口でも同じような経験があるが、一体どうしてあんな通常では使わないような高速の甲高い声で喋るのだろうか?

先ほどの営業の例でも同じなのだが、「お客様のことを第一に考える」という企業のもっとも重要なことが最近の日本企業には欠落しているような気がする。だから自社製品の押し売りが始まるし、受付の女子はロボットでもよくなるのである。

こんなことでは日本は滅茶苦茶になってしまうのではないかと危惧している。

あと、成果主義導入で最も日本企業の良さがなくなっているのが、「ベテランを大切にする」ということなのではないだろうか?年をとったら昔ほど成果は上げられないかもしれない。それでもベテランは若手より給料をたくさんもらうべきだと僕は思う。

それは、大変な暗黙知を持っているからだ。そして、その暗黙知を形式知化するのもこれまた不可能に近い。

自分のやっているシステム開発の仕事の場合、どのあたりで開発の遅れが生じるのかとか、テストでどんな不備が出てくるのかとか、トラブルが発生した時に、何が原因でどう対処すべきかということは、知らないことでもほとんど勘と経験でわかってしまう。だから僕みたいなベテランを大切にしてねということだが、これを「マニュアルにせよ」と言われても無理なのである。KKD(勘と経験と度胸)などと揶揄されるが、これは実際にホントなのだ。

最近、製造業では「爆発事故」とか「火災」などが起きているが、これもベテランがいれば、事前に危険を回避できたことも多いのではないかと思う。ベテランのノウハウは一朝一夕には身につかない。職人として、長く仕事を続けているマイスターを大事にする国にならなければ、超一流国として存続するのは難しいのではないかと思うのだ。


 
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Plan-Do-SeeではPDCAサイクルが回らない

JUGEMテーマ:ビジネス

一部の会社でいまだに「Plan-Do-See」というのを使って仕事のプロセスを回そうとしている会社があるが、「PDS」ではなく、やはり「PDCA」でなければならない。

このフレームワークに誤解があるのは、Planの中に「目標」が含まれていると思っているケースが多いことだ。「Plan(計画)」はあくまで事前に立てた「目標」に対する”対応方法”であって「目標」そのものではない。「PDS」で満足している会社に多いのが「Plan」を「目標+計画」としているため、一旦立てた計画を「実行(Do)」し、「検証(See)」し、それがダメなことがわかると「目標」そのものを引き下げてしまったり、全く別のアプローチ(Plan)を立てて次の「PDS」を回そうとしてしまうケースが多い。それではいつまで経っても同じ場所をぐるぐる回っているだけで、一向に目標(目的地)に到達しない。ヘタすると元いた場所より後退していることだって発生してしまう。

PDSを「仮説・実践・検証」などと訳している会社は特にダメで、うまくいかなかった場合に「仮説」が間違っていたとして、全然別の「仮説」を立ててしまうことが多い。だって「仮」なんだもの…。何事でもそうだが「仮」と一旦つけてしまうと一生「本質」には到達しない。「仮説」ではダメで「計画」でなければならない。こういう会社の場合はそもそも「目標」がなかったりする場合も多い。一体どこに向かおうというのだろうか?

なので、「PDS」という考え方ではダメで、「PDCA」でなければいけない。「Plan(計画)→Do(実行)→Check(検証)→Action(改善)」の中では、特に最後の「Action(改善)」プロセスが非常に重要で、「改善」活動を行った上で、その改善効果が見込まれた時点で、初めて次の「Plan(計画)」に移ることができるのである。なので、実体上は「Action(改善)」の中に一つのPDCAが回っているような形になる。

PDCAを回すという形の誤解をなくすため、「最初の目標のステージ(Tier1)」上でPDCAを回しきって、目標に到達した時点で、はじめて「次の目標のステージ(Tier2)」に移行するという形を下記に図示するが、これが本来あるべき「PDCA」である。最初に「目標」があり、それを実現するためには同一ステージ上で、何度もPDCAを回しスパイラルアップしていき、目標に到達した時点ではじめて、次の段階の「目標」を設定するという形にしていかなければいけない。

Tier1の段階で「Plan」を大幅に変更したり、「目標」を引き下げたりするとステージが一向にあがらず、露頭に迷ってしまうのだ。世の中にそういう企業が多いが、本来とるべき形は、まず実現可能な目標を立て、それを実現したら、次のステージにあがるという形をちゃんと会社のメンバーの身体にしっかり染み込ませて行くということだと思う。そのプロセスを着実に行うことで、意外にも当初は実現不可能と思っていたことだって実現してしまうのだ。是非「PDS」で一向に目標が達成しない会社は下記の図を頭に叩き込んで、「本来のPDCAサイクル(改善活動)」を進めていってほしいと思う。


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事実と根拠、どちらも疑う

クリティカルシンキングってのを習った。

問題点(イシュー)があって、その問題の原因・根拠の枠組みを3つくらい考える、その根拠から導きだされるものを分解し、「だから、どうなの?(So What)」と考え、重要な対応策(打ち手)を考える。

考え出されたものがホントに根拠と整合性があるのか再確認(Why?True?)し、打ち手を絞り込んで行く、というやり方なんだけど、なかなかうまく根拠を分類したり、有効な打ち手がみつかりにくい。

でも、あらゆる問題を考えて行く上でWhy? True?と問いかけてみるのは良いことだと思う。トヨタ方式の中に「5回のなぜ?を繰り返す」というのがあるが、まさしくクリティカルシンキングの考え方だと思う。

先日、若手の方々と仕事のやり方について議論する機会があったのだけど、「事実」と「原因」がごっちゃになっているケースが多い。

例えば「朝起きれない」っていうことが、問題点なのか事実なのかをはっきりさせないと議論は進まない。

あと、思考過程がなく、いきなり「打ち手」だけが出てくるのも多い。

正義を振りかざして、なんでも反対みたいな極論が日本では多いが、それは単に思考が停止しているだけで全く問題解決(ソリューション)になっていない。

原発問題も領土問題も安全保障問題も理想を掲げて極論に走るのは簡単だが、まずは事実をきちんと押さえて、現実的な打ち手を考えることが大事だと思う。

世の中に出回ってることに「ほんまかいな?」とまず疑うこと、考えた対策が「ほんまに出来るんかいな?」と検証すること。こういう批判的で冷静な思考がとても大切だと思う。
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ノマドワーキングのすすめ

日本の会社の机の配置は、窓際に役員とか部長が窓を背にする配置になっていて、メンバーは島形式の机に座ってるって形が今も多い。なんか狭苦しいし、他の人の電話の声が気になるし、内緒話はやりにくい。

一方、海外に行くと、部長は専用の部屋があり、部員はブースに仕切られた場所で、結構ゆったりとした空間で仕事をしている。

海外出張にいくたびに、ちょっと羨ましい感じがする。日本の形式はルーティンワークには向いているけれど、クリエイティブな仕事にはどうなんだろうと感じる。

最近はやってるのは、カーブした大机に自由な位置で仕事をするという形式。これなんかだと近くの人と話しやすいし、気軽に横に行って相談したりするのにも向いている。昔みたいに資料を脇机にどっさりファイリングしないと仕事してる気にならない人には向いてないけれど、今やパソコン一つあれば資料なんかいらないんじゃないかと思う。

ちなみに僕の机の引き出しには名刺と文房具と本しか入っておらず、資料は一切合切サーバに保存している。

個人的に理想的なのは、仕事は好きな時に好きなところでやって、打ち合わせの時だけミーティングルームに集まるって形がいいのではと思っている。

ヘルプデスクとかコールセンターとか事務センターみたいな仕事は専用の場所がいるかもしれないが、その他の仕事に専用の場所がいるのだろうか?

先日、ITの集まりで社内のWANはもう必要ないのではという議論があった。インターネットのセキュリティをちゃんと確保すれば専用の回線ではなくて、普通のインターネット回線で十分なのではという議論だ。

それが実現できれば、会社のパソコンを使うのではなく、自分の持ってるパソコンとかタブレットで仕事ができるし、場所も決められた場所である必要がなくなってくる。会社はさっき言ったような各種センターのインフラのみを整備すればよいだけになって、普通の仕事の人はどこでも何時でも仕事ができるようになる。残業という概念もなくなるし、遅刻も、通勤ラッシュもなくなる。

ノマドワーキングという働き方だ。

営業の人達は今もこれに近いと思うけれど、会社に帰って経費精算とか日報入力しないといけなかったりして、無駄な現場と事務所の往復が発生している。これを完全になくすことができる。事務所もミーティングスペースさえあれば良く、コストも削減できる。

ただ、人は子供の頃からそうだけど、集まってみんなが見てる中でやらないと、ダラダラ怠ける生き物なので、スケジュール上のチェックポイントを事前に設定して怠けないような工夫は必要だとは思う。

いま、親父の介護をカミさんに任せきりなんだけど、ノマドワーキングになれば、朝から僕が病院の近くで仕事して、昼頃オヤジの世話をして、夕方会社でミーティングっていうような仕事の仕方が出来て介護問題が一気に解決する。こういう問題って今はかなり多いんじゃないかと思う。介護疲れで鬱病になる人もいると聞く、誰かに偏ればシンドくなる。仕事も家庭もみんなでシェアすれば結構楽になる。

兼業主婦の割合が50パーセントを超えてるらしい。もうそろそろ、昔ながらのお父さんは会社で家は奥さんという図式を捨てて、新しい働き方を模索するべき時期に来てると思うのだ。
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式年遷宮とシステム開発

システムの再構築案件でいつも思うのは、作り変える必然性があるかどうかということだ。

改良を加えてきたシステムで十分仕事は回るし、特に困ることもおこらない。

物凄く性能が悪いとか、時々止まってしまうような「何これ?」っていう誰が見てもダメなシステムでない限り、今のシステムにそのまま改良を加えて行くということでいいんじゃないかと思ったりする。

家でいうとリフォームをしていくというのに似ている。住みやすいように改良を加えて行く方が理にかなっているような気がする。ビフォアーアフターのようにほとんど作り変えてしまうリフォームもあるが、それでも全く作り変えるわけではない。

が、20年毎に完全に作り変えている建物がある。

伊勢神宮のことだ。伊勢神宮の「式年遷宮」は今ある外宮、内宮のそれぞれ隣地に全く同様の宮を20年に一度一から作り直すのだそうだ。来年は62回目の式年遷宮が完了する年だが今回の再構築の為になんと8年も前からその準備をはじめている。

清浄を保つ為ということもあるが、建築技術者の技の継承が一番の理由でもある。20年に一度だと一生のうちに2回は経験出来、技術の承継が出来るのらしい。

先日、とある会合で、「システムの再構築も「式年遷宮」ととらえれば必要ですね。」という話になった。

システムについては、20年くらい前までは事務処理効率の向上をテーマに10年というよりは5年に一度のペースで作り変えてきたが、ここ最近は、業務改善案件はほとんどやり尽くしているため、冒頭に書いたように再構築の意義はなくなっている現状がある。

しかし、「式年遷宮」を念頭に考えると、技の継承という意味では、やはり10年に一度は大規模なリニューアルをするべきではないかと感じてきた。コストがかかるとか、費用対効果が出ないとか言われてしまうとそうかもしれないが、今やシステムは会社の心臓あるいは脳にもなっており、その心臓や脳の部位を取り替える技術者を養成していかないことには、会社の存続も危うくなるのではないだろうか。

冒頭でシステム再構築の必然性に疑問を投げかけたのだが、伊勢神宮の「式年遷宮」の意義を知り、社内にシステムのプロを養成せずアウトソーシングに頼る流れを考えると、やはり、社内での技術者育成、および会社の存続のためにも、基盤システムの定期的なリニューアルは必要なことだと思う。

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旗を掲げて前に進むやり方

大阪では橋下市長になってからというもの、なんだかんだと毎日のように市政に関することが新聞に載る。

今日は「ほんまや」っていう水道水のペットボトルの製造中止や柴島浄水場の廃止が伝えられた。「橋下さん「ほんきや」」と報道するように政策の変更を歓迎している感じである。

「ほんまや」は大阪市の水が綺麗なことを宣伝するために作られたもので、僕も何回か見たことがあるが、コンビニに置かれてないし、まあ売れてないだろうと思っていた。それはそうだ。水道水を好き好んで買う人などいるはずがないからだ。自然のミネラルウォーターだから買ってるのだ。しかも赤字事業とのことなのでこの製造中止案は納得出来る。

このニュースと並行して柴島浄水場の廃止方針も打ち出している。こちらはデカイ話だが、「ほんまや」など無駄な事業を大阪市がやっているという印象をつけて、本丸の浄水場の統合に王手をかけた感じだ。

橋下市長の大阪都構想はとにかく二重行政の撤廃が発端である。特に水道事業は一本化すべきと強く思っていた。まず、ここを責めるのに「ほんまや」というムダなペットボトル事業を話題にするあたりが非常に戦略が上手いと思う。

橋下流のやり方は驚くようなことを唐突にぶちあげて、それについて議論を促すというやり方だ。旗を高く掲げて、こっちに行くからみんなついて来いよ〜というやり方。

従来の手順は全く無視しているので、ある意味独裁的な手法だが、やっていることが理にかなっているので、反論できないし、非常にスピーディーに物事が進んでいる。

このやり方はリーダーという立場の人は見習うべきだと思う。

しかし、同じように旗は立てているのだが、野田首相のように誰も望んでいない消費税増税の旗を立てても誰もついていかない。

で、支持されていないことに気づいたのか、増税した暁には低所得者に毎月一万円を配るらしい。バカバカしい…。子ども手当の二の舞は目に見えている。

旗を立てるには、ついて行く人の強い支持がなければいけない。支持を得るためには、夢のある目的地を具体的にビジュアルに明示する必要がある。「ゴールはこんなすごいところなんだ。だからみんなで行こう!」という感じでなければ誰も重い腰をあげてついていかないのだ。

会社などでも同じで、方針の先に素晴らしい未来が見えなければ、誰もついていけない。ゴールが明示されずに対策は打てないのだ。

人は目的地があるから歩いて行くのである。目的地が不明確なのにこの道を行けと言われても行けないし、登る必要もない山を登るために山登りの装備をするなんてのはナンセンスなのだ。

旗を高く掲げたからには、目指すゴールを明確に見せてあげるのがリーダーの役割である。

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