秦氏を中心に古代史を見てみると様子が変わってくる。

  • 2012.02.21 Tuesday
  • 01:20
ブログの更新をサボってましたが、そろそろ再開しようと思う。

ひょんなことから、古代史を「秦氏」を中心に見ると違って見えてくるのではないかと思い、先々週くらいからいろいろ調べており、それがあまりにも面白いの少しだけ紹介。

きっかけは、家の近くの百舌鳥古墳群を調べようと思ったことから。古墳群を築造するにはいろいろな技術が必要で、中でも「秦氏」を中心とした技術者集団が関連しているという記述があり、「「秦氏」って歴史にあんまりでなかったけど結構重要なのかな?」と思ったことがきっかけ。

で、いろんな本やネットで秦氏を調べていくと、応神天皇の頃に1万人もの規模で渡来し、各地に技術を伝承させたということになっている。1万人はものすごい規模だ。

大分県宇佐八幡宮は応神天皇を祀っているが、この大分県豊後半島は「秦王国」であったとも言われる。

一方百舌鳥古墳群を作った技術者集団は地元では「土師氏」となっているが(土師町という地名がある)、この土師氏も秦氏の一族であると言われている。で「秦氏」を中心に調べてみると次々と面白い話が出てくる。

最近調べたことを列記すると
  • 秦氏はもともとイスラエルのダビデ王族であるという説がある
  • 秦氏は百済出身ではなく新羅系(その中でも伽耶(任那)人)
  • ネストリウス系キリスト教(中国の景教)の寺院は中国で大秦寺という名前
  • 秦河勝の住んでいた京都の地名は「太秦」
  • 秦河勝は聖徳太子のブレーン
  • 秦河勝は最終的に赤穂の地に追われたが、ここで塩田などの技術を広めた。
  • 赤穂にある「大避神社」は秦河勝を祀っているが、本来は「大闢(だいびゃく)」→ダビデである。
  • 蘇我氏は秦氏の一族(聖徳太子は蘇我氏という説もあり)
  • 聖徳太子は厩戸皇子と呼ばれるがこれは明らかにキリスト教からきている。
  • 聖徳太子の母親である穴穂部間人皇女も秦氏系という説
  • 間人(はしひと)皇女の「はし」はペルシャ(波斯(はし))ではないかという説
  • 記紀の編纂は藤原不比等が行なっているので、対立していた「秦氏」の記述がない。
  • 宇佐八幡宮は秦氏のお膝元であるが、比売大神とは誰のことか?卑弥呼なのか?
  • 宇佐八幡宮は道鏡事件の時に伊勢神宮ではなく、宇佐八幡宮に神託に来ている。
  • 伊勢神宮の外宮の参道にはイスラエルの六芒星が並んでいる

などなど、トンデモ系含めいろんな説があり面白い状況。まだ、全然整理がついていないので、後日これらのことを整理して調べたいと思います。

自虐的歴史観はやめてほしい

  • 2008.08.14 Thursday
  • 15:36
ダライラマ14世がフランスで「中国は自由がなく透明性もない」という話をしているニュースを見て、息子が「でも、中国がこうなったそもそもの原因は日本にあると先生が言っていた」と言い出したので、「アホか、そんな先生があるかいな。誰やそんな無茶苦茶言う奴は」と私が怒りだしたので、またカミさんに怒られた。カミさんは僕を右翼と思っているようで、その思想を子どもに植えつけるなといつも怒るのだ。

だが、中国や韓国が正しくて日本が間違っているようなことをいう自虐的歴史観の話はやっぱりおかしいのではないだろうか?そういう話になると、ついつい血圧が上がって逆上してしまう。だいたい、どこの世界に自国を悪くいう国があるだろうか?

カミさんは怒っていたけど、賢い息子は「先生の言ってることを全部受け入れるんじゃなくて、自分で考えて、調べて、矛盾点を探し出してみろ」と教えると「わかった」と言っていた。息子の方がよっぽど理解力があるよ。

戦争を美化し、「大東亜共栄圏の発想は間違っていなかった」とまでは僕だって言わない。そこまでの右翼的思想の持ち主ではないけれど、チベット動乱の遠因が日本にあるなんて、そんな無茶苦茶な話を子どもたちにしているような教師がいるのなら絶対に思想を変えて欲しいと思う。

先生の中には朝日新聞的「戦争をした日本が全面的に悪い」という思想をまだ正しいと思っている人が多い。広島原爆の公園だって「過ちは繰り返しませぬから」と、まるで日本が原爆を落とされた原因を作ったような表現のままである。

中国、韓国にいつまで謝罪し続けるのだろうか?そんな卑屈な国民をつくるために学校は存在しているのだろうか?自国を蔑むような国民を誰が尊敬するだろうか?

僕だって戦争中の日本軍の行動が良かったのかどうかまではわからない。だけど、今現在、現実にチベットや東トルキスタン(ウイグル自治区)の人々を苦しめているのは中国であって、中国の問題点をちゃんと指導しなければいけない教師がなぜ遠因は日本にあるというのだ!アホか!

竹島も尖閣諸島も北方領土も日本が戦争をしたからなのだから、差し上げろとでも言うのだろうか?

最低限の愛国心もないような教師に子どもたちを預けるのはとても嫌だ。中国や韓国のようなねじ曲がった過剰な愛国心は不要だけれど、「日本が好きだ」と言える国民に育てて欲しいものだ。

でなければ、僕たち親たちが一生懸命日本の為に、世界平和のために働いている意味がないではないか。

竹島問題?

  • 2008.07.21 Monday
  • 10:50
竹島について、韓国と領土紛争があるとしたことで問題になっているが、いろいろ調べるとなぜ、韓国がそこまでして不法に占拠しているのかがよくわからない。

1905年の竹島日本編入が、1910年の韓国併合の足がかりだと韓国は言いたいのだろうが、竹島と日韓併合は別問題だ。

もともと、呼称に問題があって、日本側でも竹島を松島と呼び、鬱陵島を竹島と呼んだりしていたことがあり、韓国側も歴史を曲解し于山島という架空の島(実際には鬱陵島の東にある竹嶼と推定)こそが今の竹島だと主張しているようにもみえる。

そういう史実があるとしても、大まかな歴史の流れとしては

江戸時代にすでに日本が竹島の存在を認識していた
 ↓
1905年に島根県に正式に編入
 ↓
1952年1月 韓国が李承晩ラインを宣言し勝手に竹島を韓国側だと主張
 ↓
1952年4月 サンフランシスコ講話条約締結(鬱陵島を韓国に返還)
 ↓
1953年以降 韓国が日本人漁師の拿捕や銃撃を開始
 ↓
1965年   日韓基本条約締結(この際の日韓漁業協定で李承晩ライン廃止)
 
という流れで、まったくもって竹島は戦前のずっと前から日本領であり、李承晩が勝手に主張したライン(この時には対馬も韓国領?だ)は全く話にならないものだ。その後正式にサンフランシスコ講話条約の中で竹島が日本領土であるというアメリカの認識のもと鬱陵島が韓国に返還、1965年には問題の李承晩ラインも正式に廃止されたのだ。

にもかかわらず、いまだ韓国は不法占拠を続け、1997年には接岸施設、1998年には有人灯台をつけるなど人の土地での占拠がエスカレートしてきている。不法ということがわかっているからだと思うが、韓国側は全く交渉のテーブルにつこうとしていない。

ところが日本側も今まではこういう状況にもっと抗議し、毅然とした対応をすべきなのに、全く弱腰のままだった。今回の教科書の件は第一歩としても、いまだに「紛争がある」程度ですませている。本当はしっかりと「日本の領土である」と明記すべきものだと思う。

北方領土もしかり、この前の洞爺湖サミットは、北海道という最も効果的な場所でのサミットであったにもかかわらず、ロシアに北方領土を返せと一言も言わずに終わってしまった。

日本の領土を本気で守ろうとしないのであれば、早晩、日本は国家としての体をなさなくなるだろう。

戦争をしない為にも、きっちりとどこが国と国の境界なのかをしっかりと主張し続けるべきだと思うのだ。

考察・百舌鳥古墳群

  • 2008.03.23 Sunday
  • 17:47


春分の日にかみさんと長男が「仁徳天皇陵を世界遺産に」という仁徳天皇陵のまわりを2000人で手をつなごうというイベントに参加。雨が降ってたので僕と下の子は留守番でイトーヨーカードーに出かけていた。

帰ってかみさんからもらった資料を見てびっくり!百舌鳥古墳群にはもともと100以上の古墳があったのだそうだ。大きな古墳しか知らず、仁徳、履中、反正の百舌鳥三陵以外にニサンザイ古墳、御廟山古墳、いたすけ古墳くらいは知っていた。が、実際にはもっともっとあったのだということだ。堺市のサイトを調べると古墳データベースがあり結構詳しく書かれている。

かみさんから渡された地図に上野芝の住宅地の真ん中に大きな前方後円墳のようなマークがあったので何かな?と調べてみると、百舌鳥古墳群で5番目の大きさだった大塚山古墳をつぶして古墳の上に住宅地を作ったんだそうだ。なんてことをするんだと思うのだが、住宅を建築する時に発掘調査がなされており、それはそれなりに考古学の役に立っているらしい。で調査の結果円墳部分と方墳部分の真ん中にそれぞれ遺体の埋葬もされていることがわかっている。(ということは墓地の上に家が建っているってことだ!?)こういう風に人が埋葬されている古墳もあるが、中には人がまったく埋葬されてなくて副葬品だけを埋葬しているものも多いらしい。

大きな古墳は宮内庁が管理しておりなかなか発掘されないが、最近神功皇后陵の発掘調査が決まったそうで、徐々に解明されると良いなあと思う。古墳時代は奈良と藤井寺、羽曳野、堺と横に一直線に古墳群がつながっており、壮大な歴史ロマンがあって面白い。せっかく堺に住んでいるのでこの時代の研究をライフワークにしようかなあ…と、もう老後のことを考えていたりします。。。

ちなみに写真は大仙公園の中にある旗塚古墳。いままで単なる林だと思ってました…。

やはり履中天皇陵だ

  • 2008.01.20 Sunday
  • 15:51


さきほど、戻ってもう一度確かめたが、宮内庁も「履中天皇陵」としっかりと表示している。もうすぐ近くに出来る住宅地の看板にも「履中天皇陵」という言葉が書かれている。道路の案内板ももちろん「履中天皇陵」、百舌鳥三陵周遊路の案内表示も「履中天皇陵」だ。履中天皇陵という名称以外は見当たらない。それでもなお、「ミサンザイ古墳」だとか「陵山古墳」と言い張る教科書業界の人たちは一体なんなのだろうか?wikipediaなんかでもこの表示だ。履中天皇陵ではヒットしない。

大山古墳(だいせんこふん)の方はずいぶん名前が浸透してきてしまった。中学生が歴史でそういう名前で習うことが一番大きいし、となりの公園が「大仙公園」ということもある。隣接する聾学校も「だいせん高等聾学校」という名前になった。

仁徳天皇といえば非常に庶民のことを大切にしたことで有名で、貧困を救うために3年間租税の徴収をストップして、庶民の生活を復活させた話がある。その後、「高き屋にのぼりて見れば煙(けぶり)立つ民のかまどはにぎはひにけり」という歌を作っている。名前も「仁(じん)」に「徳(とく)」ですから当時からかなり慕われていた天皇だったのではないかと思う。そんな天皇の存在を消すかのような「大山古墳」の名称だ。学術的にこの墓の埋葬者が倭の五王のうちのだれかが不明なのかもしれないが、世界遺産に登録しようとしている古墳を天皇名を出さずに子どもたちに教えていること自体おかしい話だ。うちの子には大山古墳と書かせるテストでも「仁徳天皇陵」と書きなさいと教えている。

とにかく地元では「履中天皇陵」と「仁徳天皇陵」で決着しているので、早く教科書を改訂して欲しいものだ。

朝の散歩コース

  • 2008.01.20 Sunday
  • 09:51
HI3A0194-0001.jpg

休日の朝は履中天皇陵の周辺のきれいに舗装された道路を歩いている。あまり人通りも多くなく、iPodを聴きながらのウォーキングには最適だ。

履中天皇陵と仁徳天皇陵は最近それぞれ「上石津ミサンザイ古墳または陵山古墳(みささぎやまこふん)」「大山古墳(だいせんこふん)」などと呼ばれている。子どもの頃には間違いなく、履中天皇陵、仁徳天皇陵と習ったはずなのに最近は埋葬されている人が本当かどうかが怪しいのか「伝仁徳天皇陵」のように「伝」が前についている。伝説とでもいいたいのだろうか?

が、やはり、それぞれ天皇陵というふうに学ばせないと「ミサンザイ古墳」などといわれてもさっぱりわからない。近くには「ニサンザイ古墳」というのもあるのでごっちゃになってしまう。意図的に歴史上から天皇の存在を消そうとしているのではないかと勘ぐるくらい妙な力を感じてしまう。ピラミッドだってクフ王のピラミッドというふうに埋葬されている人の名前がついている。どう考えたって天皇の名前をつけた方がいいに決まっている。

中国などとの歴史比較のためにも、是非「伝」がついてもいいので大山古墳とか陵山古墳とか地域の人が決してそう呼ばないような記述を廃止して「仁徳天皇陵」「履中天皇陵」として教科書の記述を昔の状態に復活させてほしいと思う。

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