1960年代のワクワク感が今の日本にあるか?

  • 2016.08.27 Saturday
  • 23:26

リオのオリンピックが終わり、4年後に東京にオリンピックが来るのだが、1960年代に日本国民が感じていたワクワク感が今の日本にあるだろうか?

 

1960年代を振り返ると、1960年の池田勇人内閣による「所得倍増計画」で幕を開け、それ以降、オリンピックに向けて首都高速道路を整備し、羽田と都心を結ぶ東京モノレールを作り、東海道新幹線を開通させ、1058室のホテルニューオータニをはじめとした大型ホテルが次々と開業、渋谷・池袋・新橋などの駅前にあった闇市マーケットを一掃しステーションビルを作り、オリンピック競技場に至っては、駒沢オリンピック公園(サッカー競技場、第二球技場、体育館)、国立屋内総合競技場、付属体育館、日本武道館、渋谷公会堂を次々と作るということを一気に行った。もう国民全員がオリンピックに向けてワクワクドキドキ、なんかスゴイなーと思っていた時代であったと思う。

 

今は当時と同じ東京オリンピックの4年前なのだが、所得倍増計画も無ければ、首都高速を整備し直すとか、街を作りなおすとか、そんな話は一切なく、国立競技場にカネがかかり過ぎとか、東京都議会のドンがどうのこうのとか、オリンピックロゴがダサいとか、ボランティアの衣装が韓国風だとか、なんかくだらない、どうでもいい話しか聞こえてこず、全くワクワク感のないままオリンピックの旗を小池都知事が持って帰ってきている状況だ。

 

小池都知事はオリンピックの費用について調べていくとか言っていたが、そんな話ではなく、「2020年に向けた日本再生のグランドデザインはどうなっているのか?」ということを前提に何をこれからしていくべきなのかを問題にすべきである。

 

それは都知事だけの領域の話ではなく、国会議員をはじめとした日本国民全員がもう一度考えなおさなければいけないことだ。

 

企業はもちろん自社の利益のために活動をするのだけれど、日本の再生のための新しいことを考えないといけないと思う。「景観を損ねている首都高速道路の付替えをしませんか?」とか、「電線の地中化を一気にやりませんか?」とか、「超高級ホテルを誘致しませんか?」とか、「ロボットを駆使して案内センターに置きませんか?」とか、「キャラクターを活かしたコンテンツ・ビジネスをもっと海外に出しませんか?」とか、いろいろ国に提案できるのではないだろうか?

 

オリンピックにネガティブな感情をもっている国民が多いが、この前のリオのオリンピックを見て、やっぱりオリンピックってイイなと思ったはずである。なので、オリンピックをレバレッジとして日本を再浮揚させる目的で、どんどん投資を行うべきだと思う。

 

そもそも8月に開催しても良いのか?という初歩的な疑問を感じてしまう。暑すぎる日本でマラソンをするなんて想像できない。画期的に涼しいコースに出来るのであればそれはそれで「ものづくり日本」を宣伝できるけど、そんなこと誰も考えていないのではないだろうか。

 

オリンピックに至るまでのプランが全然国民に見えない。この大規模プロジェクトのリーダーは一体誰なのか?

 

もし、プロジェクトリーダーがちゃんといるのなら、もっと日本国民がもっとワクワクするように、オリンピックに向けたあっと驚くようなものすごいプランを公表するべきだと思う。というか、4年前なのでもう公表してないとおかしいと思うのだ。

 

JUGEMテーマ:経済全般

 

日本は模倣の力もなくなってきたのだろうか?

  • 2016.08.27 Saturday
  • 21:25

JUGEMテーマ:経済全般

 

IT関連のセミナーに行っていつもげんなりするのが、すべてがアメリカ発の製品の話ばかりで日本発のものがないということだ。パソコンのOSはWindowsかMacOSか、タブレットもAndoroidかiOSか、クラウドはAWSかAzureか、という感じで日本発のものはない。いろいろなITソリューションも、日本独自、日本発のものなんてほとんどない。検索サイトも中国は百度、韓国はNAVERと独自のものをつくっているのに日本にはそれすらない。

 

戦後の日本はなんだって模倣して自前で作っていた。

冷蔵庫も、洗濯機も、テレビも、ステレオも、エアコンも、自動車も何でもかんでも工夫して日本独自のものを創りだして製品にしていた。家電業界は今もまだ独自製品開発に頑張っていると思うのだが、先日電話を買い換えて気がついたが、FAXはまだリボン式だった。FAXはリボンという固定観念があるからなのだろうか?昔とあんまり変わってないなあと感じた。画面でFAX内容が確認できるのであればそれをPDFにしてクラウドにあげるとか、今や一家に一台はあるプリンタに出力させればいいのだ。なんか工夫がないと感じた。テレビも4Kとかの液晶ディスプレイはスゴイのだけど、有機ELディスプレイは韓国が殆どのシェアを持つし、なんだかここ最近の日本企業の独創力がなくなってきている気がしてならない。

 

パソコンだって昔はN88BasicとかのOSを作って、模倣ではあるけれども独自にパソコンを作っていた。ワープロソフトも一太郎とか松とか日本独自に作っていたのにいつのまにかWord一本になってしまった。

 

なんだろう、このなさけない感じは…。

 

戦後の日本は創意工夫の塊のような創業社長が多く居たということもあるだろうが、今だって同じような気持ちを持った若者は多いだろう。ところが、受験競争→有名大学→就活→成果主義の大企業に就職という流れの中で優秀な頭脳はスポイルされてしまうのではないだろうか?

 

アメリカの企業が元気なのは、スタンフォードなどの有名大学を出た若者は起業を志すのが多いという点かもしれない。

 

大企業で世渡り上手になったところで革新的な製品が生み出されるはずがない。しかも成果主義の名のもとに、「昨年よりちょっとストレッチした目標を立てましょう〜」とかバカなことやっていては飛び抜けたことはできないだろうし、失敗を恐れるがゆえに冒険しないということになってしまう。

 

スティーブ・ジョブズにしてもそうだが異端児でなければクリエイティブなものは生まれない。

 

みんなが同じような服を着て、同じような就活をして、同じような大企業に就職して、アメリカが言ってるグローバル・スタンダードにしたがって、言葉だけは流暢に英語を喋れたところで、日本を牽引するような製品は生まれないのだと思う。

 

だから大企業から成果主義を廃止したいと思っている。どんどんヤンチャにチャレンジしていくことでしか発展はないと思う。

 

最初は模倣でも良いのだ。とにかく日本独自の製品を作って、海外に売り出すということをもっと積極的にやっていかなければこの国は早晩成り立たなくなるのではないだろうか?と思うのだ。

 

2014年 今年の干支は甲午(こうご、きのえうま)

  • 2014.01.01 Wednesday
  • 09:49
今年の干支は甲午(こうご、きのえうま)という干支である。
十干十二支は甲子(こうし、きのえね)から始まり60年で一巡するのだが、甲午は31番目の年、60年の前半から後半へと陰陽反転する重要な年ということになっているそうだ。

安岡正篤の「干支の活学」によれば、
「「甲」はよろいで、鱗ーよろいをつけた草木の芽が、その殻を破って頭を少し出したという象形文字で、…旧体制が敗れて、革新の動きが始まるということを意味しておる。…この自然の機運に応じて、よろしく旧来のしきたりや陋習を破って、革新の歩を進めねばならぬということになるわけであります。」

「「午」は上のノ一の部分が地表を表しておる。十の一は陽気で|は陰気が下から突き上げてまさに地表に出ようとする象形文字であります。だから「午は忤なり」で「そむく」、「さからう」という意味になるわけです」
という解説になっている。なお「午」は杵を意味するとも言われ杵を上下につくことで硬い米がつきならされるという状態をあらわすとも言われている。

ということで「甲午」という文字が表す意味を考えると、前年までに胎動してきた革新への動きが、この年にはその殻を破って大きく出現する年であるが、その変化の動きに反対する勢力も内側から突き上げてくる年になり、その陰の勢力の対処法次第では混乱の幕開けにもなるが、上手くかみあえば、従来にない大変新しい時代のスタートとなる年にもなるということかと思われます。

十干は10年毎に時代が変革するということですが、甲午の年は、前年30年の陰を陽に反転するという非常に大きな時代変革の年でもあるということで、従来の延長線上で考えられるような改革では太刀打ち出来ないのではないかと思っております。

前回1954年は自民党の前身の一つある日本民主党がが結党し、この年から経済の著しい成長が始まった年でもあります。

昨年、自民党政権が低迷していた日本経済に楔を打ち込み、大きく反転させましたが、今年は経済だけでなく、あらゆる面で日本の復活の幕開けになる年であればと願います。
 
評価:
安岡 正篤
プレジデント社
コメント:勉強になります。

「現代東京奇譚」を聴きながら

  • 2013.09.16 Monday
  • 19:47
 『現代東京奇譚』 桑田佳祐
 
 明日の行方も知れない
 羊達の群れ
 都会の闇に彷徨い
 身を守るだけ
 (中略)
 飼いならされた僕は
 一人じゃ立てそうもない
 川は流れ ただそれを
 見つめるばかり
 (中略)
 幼き日に見た夢が
 全て嘘と言うのなら
 世の中は裏表
 何故か教えて…

昨日から、この曲ばかり聴いている。

世の中の不条理を嘆いても仕方ないが、バブル崩壊以降の各企業が採用した成果主義がこの国に落とした陰は異常にまでに現代の日本人の心を蝕んでいる。

将来に希望が持てない異常な「成果主義」中心の人事制度のせいで、同じ職場の人同士がライバルとして競争相手となり、上には媚びへつらい、下には傍若無人に振る舞う輩が増えた。そこには会社を良くしようとか、もっと言うと「この国を良くしよう」という発想はなくなり、いかに会社の中で自分が人を出しぬいて出世するかが大切になっていく。

昔から銀行にはこのおかしな成果主義が取り入れられていた。それが今ドラマ「半沢直樹」で取り上げられているが、このドラマに代表されるように銀行の内部では異常なまでの人事へのこだわりと歪な出世競争にさらされていた。ホントに異常だ。

ところが今では銀行だけでなく、ほとんどの大企業がこの異常な人事制度を取り入れ、日本企業が大切にしていた「企業は家族」という思想、すなわち「終身雇用」「下がらない賃金」「老後の保証」「社内福利厚生」が砕け散ってしまったのだ。

バブル崩壊以降の低成長、デフレスパイラル、下流社会、イジメ…、それらはすべて、この企業の変質が原因だと思う。

将来上がることが確約されていない賃金制度の元では高額の長期のローンは組みにくい。これは住宅取得意欲減少の大きな原因だ。あきらめて賃貸(それも会社負担の)にするか、自分の給料の範囲内の安い家で我慢するようになっていく。

年金もあてにならないので、なるべく日常では安い買い物をして貯蓄しようとする。それがデフレの大きな原因だ。「もっと安く」と安値競争をして日本企業はお互い足を引っ張り合っていた。

会社では、失点が少ないように達成可能な目標を掲げるようになる。目標が低すぎれば評価が低くなるので、目標ちょっと上くらいにして、毎回失敗がないように無難に過ごすようになる。常に上司の目を気にし、自分の仕事が何の役に立っているのか、そもそも会社の理念は何だったのかなんてことは忘れて、ただ日常を過ごしていく。

過度のストレスにさらされているのでちょっとした事でメンタル的にやられ、原因を人のせいにしていく。「俺は一生懸命に働いているのに」と家族にあたりちらし、朝から電車内では押されたと言っては喧嘩をし、怒り、眉間に皺を寄せて出社する人が増えている。そういう親は子どもに未来を語れていないことだろう。

一体人は何のために生まれてきたのだろうか?
この日本で僕らは何をやればいいのか、ということを問わずに多くの人は日常を生きている。

だが、だれもが何かの役割を担って生まれてきたはずだ。会社員として過ごしていても、それは単に自分の評価を上げるためでなく、会社が担っている社会的使命の一翼を担っているといつも考えることが大事だ。

ドラマ半沢直樹の原作「オレたち花のバブル組」の中でこんな文章がある
仕事は二の次で余暇を楽しめればいい、そう考えたこともある。
しかし、一日の半分以上も時間を費やしているものに見切りをつけることは人生の半分を諦めるのに等しい。誰だって、できればそんなことはしたくないはずだ。いい加減に流すだけの仕事ほどつまらないものはない。そのつまらない仕事に人生を費やすだけの意味があるのか?
仕事を面白くするためにも、一刻も早く今の人事制度を変えていく必要があると思う。
ここに来てアベノミクスの成果が出てきた。オリンピックも7年後に東京開催が決定した。夢の持てた昭和30年台が復活したかのようにも思える。だから今こそ日本人としての原点に復帰すべきだと思う。

昔のように、将来に希望が持てる日本になるべきだ。日本人としての誇りを持てる国、「ああこの国に生まれてきて良かった」と子どもたちが思える社会。そんな国にしていきたいと思う。

そのためにも親世代が一生懸命この国のために働き、子どもたちに未来を語らなければならない。自分の出世よりもこの国のために生きるというふうに今までとは視点を変えて生きていく必要が大人たちにはあるのだと思うのだ。

誰にでもできると思う。

僕も、銀行時代にシステム部でのびのびとやっていたが、合併後に東京転勤を拒否したことから、異動したある部署で徹底的に虐め抜かれ、精神がおかしくなりそうになった。教えられていないことができないと言っては全部員に僕を誹謗中傷するメールを送る次長がいた。それは今で言うパワハラにあたると思う。僕だけでなくもう一人ターゲットになっている社員がいたが、そういう次長がいると全員がそいつの顔色を伺うようになる。そんなバカな話があるかと思いこちらも徹底的に無視をしていたことから、たった半年で、仕事を取り上げられ挙句の果てには5万円給料を下げられた上で異動させられた。

そこで一旦銀行という組織に諦めを持てることができた。もう銀行なんてどうでも良くなった。なので、その後異動した総務部不動産売却部門では嘘のように楽しい銀行員生活を送れた。毎日10億単位の物件の売買を一人でできる環境で、猛烈に働いた。システム部員に不動産取引などできないと思ったのだろうが、残念ながら僕の得意分野だったのだ。不動産会社に就職しようと思ってたくらいだからね…。会社に評価してもらおうという欲をなくせば人間なんだってできるんだと思った。

その後は運良く転職でき、元のシステムの仕事ができ、今のところ順風満帆の状況だ。今の会社でもあまり会社の社内政治とか人事制度には無頓着に日々飄々と生きている。

組織にしがみついていると見えないものが、一旦、組織を離れてみると見えるようになってくる。「何のために仕事をしているのか」ということを忘れずに生きていれば、人間かならずいいことがあるのだと思うのだ。

捨てる神あれば拾う神あり、かならずお天道さまは頑張ってる人を見てくれていると思う。

評価:
桑田佳祐
ビクターエンタテインメント
¥ 2,829
コメント:「愛しい人へ捧ぐ歌」を聴きたくて買ったのですが、「現代東京奇譚」ばっかり聴いてます。

海外に行くとやっぱり日本がイイなと思う

  • 2012.12.24 Monday
  • 08:31
今年の夏頃から仕事が激変し、海外出張が続いている。

先月末は2週間アメリカに滞在したが、そこで感じたのはやっぱり日本がイイなということだ。

具体的に言うと、日本は「ウォシュレットがある」「レストランの店員のサービス態度がイイ」「コンビニがいっぱいある」「電車網が充実している。電車と徒歩でほとんどの場所に行ける。」「スーパーの品ぞろえがすごい」「おみやげものがいっぱいある」 といった細かいことなんだけど、生活をし始めると途端に感じるが、アメリカにいると何だかすごく不足感がある。あれもないこれもないという感覚に陥る。お好み焼きを作ろうと思って買い物したのだが、包丁一つまともなのがない。まな板もない。お好み焼用ソースがない(これはあたりまえ)。

AppleやAmazonがすごいサービスを考えついているが、どちらもアメリカだと不足感が大きくて、それを補うために発案できているのかもしれない。CDを買ったり、本を買ったりということが面倒だったんじゃないかということだ。

日本だと、会社帰りにちょっと買い物っていうのが簡単にできる。とにかく日本のお店はものすごくたくさんのものが詰め込まれている感じだ。

ANAの国内線で今月は「詰める」ということをテーマにお弁当箱の話やキディランドやお土産物屋のような店では、ありとあらゆるものがものすごくたくさん展示されているということを機内番組で流している。デープ・スペクターが日本の良さを語っているんだけど、外国人から見ても日本は良い国だと思うんじゃないだろうか?すごくモノやサービスが充実しているからだ。先日海外から日本に来たアメリカのITのチーフが「ヨドバシカメラ」と「東急ハンズ」に感動していた。まあ、確かにものがいっぱいあるもんね。

しかし、日本人はあまりに充実しているのでそこに安住してしまっているという気がする。人間はハングリーでなければ成長しない。つねに不足感を感じて新しいチャレンジをしていかなければいけないと思う。

アメリカの場合、テレビなどは自国生産をしていない。ほとんどのテレビにLGかSAMSUNGのロゴがついている。日本はそれをがんばってやろうとして価格競争で負けている。そのあたりは割り切っているという感じだ。

でも、かといって日本企業が生産をやめるべきだとも思えない。日本独自の技術を追求しなければイノベーションはできないからだ。製品ラインナップを変えるということだ。現状の問題は商品のレパートリーと集中投下すべき商品の選択を誤っているだけだと思う。

パソコンやテレビのようにパーツの組み合わせでできる商品で新興国に勝とうと思ってもそれは勝てなくなっている。円が異常に強いからだ。そういうのは新興国にまかせてしまっていいと思う。日本がやるべきことはもっと違う付加価値の高い商品を作るということだ。それがAppleでありAmazonの戦略なんだと思う。

ということをつらつら考えながら思うのは、日本の大企業に属している人では、もうこれからの世の中に太刀打ちできないかもしれないということだ。大企業の中にいては社員はあくまで「労働者」という位置づけでしかなく、経営者自身もサラリーマンであり、リスクを取って博打ができない人ばかりになっているからだ。

イノベーターを発掘しようという気が経営陣にないので、当然イノベーティブな製品はできるわけがない。現状改良型で今まで日本は戦後頑張ってきたが、そういうことは韓国のほうが得意になってきている。日本は先進国として一歩先を行かなくてはいけなくなっているということに気づいていない。ステージが10年前くらいから変わってきているのだが、日本企業はいまだに新しいステージに適応できていない状態になっている。

それに輪をかけて「人事制度」のあやまりが是正されていないことが問題だ。「成果主義」では「成果」は出ない。それに早く気づくべきだ。成果主義のおかげで、技術を大事にすること、年長者を大事にすること、家族的な経営という日本的な一番重要な根っこの部分が壊れてきてしまっている。これはとても問題だ。

テレビを見ていると訳知り顔でこれからは「モノづくり」ではなく「金融」だとかいう馬鹿な評論家がいる。そんなわけはないだろう。AppleやAmazonが金融なのか?? やっぱり新しい「技術」が重要だと思う。儲からないかもしれないけれど、これからは新しいことにチャレンジする人を評価する人事制度に変える必要がある。一見無駄なことが重要だと思う。

日本人の中にはすごい能力を持っている人がいると思うのだ。企業がそういう人たちの芽をつんでいる気がしてならない。従来の発想からは考えつかないものを考える人がいるはず。そういう人を大切にし、自信をもって新しいことにチャレンジしていく国に変われば、日本も復活すると思う。

従来のやり方に固執するのではなく、それでいて捨て去るのでもなく、伝統を重んじつつ、伝統の延長線上に新しい階段を積み上げていくのが日本式の経営だと思う。

先日伊勢神宮の式年遷宮を調査しに、実際に神宮に行ってきたが、昔からの伝統を大切にし、従来の方式にこだわりつつも時代に応じて新しい技術を導入していることがわかった。式年遷宮とはは20年に一度、伊勢神宮の外宮内宮のそれぞれの建物と、別宮の建物や各種装飾品、橋までも付け替えるのだが、建築技法や和釘づくりや飾り職人などそれぞれの「ワザ」を継承していくために20年毎に行なっている。一見無駄なことのようだが、毎回の建築作業の中にも新しい発見があり、技を継承していくと同時にイノベーションが起きている。

日本的な文化として「残すべきところは残し、変えていくべきところは変える」という取捨選択をし、他国に惑わされず、自信を持ってチャレンジしていくことが大事だ。現状のような豊富なモノやサービスがあることに安住するのではなく、「常に良い物はもっとある」という考え方でさらなるイノベーションを起こしていく国が本来の日本の姿なんだと思う。

「現状維持はゆるやかな衰退」である。来年こそは日本飛躍の年にしたいものだと思う。

家族的経営がやっぱり理想的

  • 2012.10.22 Monday
  • 19:38
昨日の昼休みに銀行時代の話をしていて、急に徳島支店のことを思い出した。徳島寮の売却話をしながら、15年くらい前に行った支店のことを思い出した。

当時、パソコン研修で徳島支店に行ったのだが、そこの古参の職員に過去のアルバムを見せてもらった。

そこには阿波踊りの写真がいっぱいあって、「これ銀行と何の関係があるんですか」って聞くと、なんと、踊ってる人達が全部会社の人達だったのだ。当時は企業連という形で支店のメンバー総出で阿波踊りの連を出していたのだそうだ。

昔は100人近くいた支店のメンバーも合理化が進み段々と減り、当時はもう20人くらいに減ってたと思う。20人では連が出せず、関連の信託銀行などと合同でなんとか5、6年前までは出してたもののついに90年代中頃には「連」から撤退したのだという話を聞いた。

なんか滅びゆく企業活動の一つを見た感じで、まさしく、その合理化を推進していたシステム部としては胸が痛んだ。

僕も入行してしばらくは運動会や社内旅行もあり家族的な雰囲気の中、なんとなく将来の夢も見えたりしていた。入行直後から寮対抗スポーツ大会やら、支店対取引先のソフトボール大会やら、春は花見、秋は紅葉狩り、とイベントの連続で、結婚後も毎年保養所に泊まりに行き、安い価格で美味しい食事を満喫していた。

それが90年代半ばを境にバブルが弾け、みるみる家族的なことが失われて行ってしまった。

その後はご存知の通り、一向に景気は回復せず閉塞感から全く脱しないまま、もうかれこれ20年だ。

「生まれた時が悪いのか…、それとも俺が悪いのか…」という歌があったが、本当に時代の波に翻弄され、あろうことか、夢を持って入行した銀行を辞めざるを得なくなり、追われるように転職してしまった。

そしていま、相変わらず、合理化を推進し、ますます家族的経営から遠ざかる施策の片棒を担いでいるようにも感じる。

いい加減この悪いルーティンから抜け出さなくてはいけない。

でも、よく考えてみれば、合理化すれば、ますます楽になるわけなのだから、新しいことを考える余裕が生まれているはず。それをどういう訳か人員整理に結びつけるから話がおかしくなってくる。

もう一度原点に戻るべきだと思う。

起業した当時は、これでいいのかな?やっぱりこうすべきだったかな?と色々チャレンジしては、失敗を積み上げながら、発展してきたはず。

そんな、忙しい中、社員の士気を上げるためにいろんなレクリエーションが取り入れられてきた。社長の考えに惚れてみんなで頑張ってきたし、いろんな提案をみんなで考えては実行していたはずだ。

そういうトライ&エラーを繰り返していた創業時の雰囲気を取り戻すべきだと思う。

日本衰退の一番の原因は人事評価制度にあると思う。失敗したらバツがつくような評価制度で誰がチャレンジングなことをするだろうか?

だから「ストレッチした目標」という言葉遊びをしては結局現状維持にも行かないようなくだらないことをしているのが今の日本だ。

できそうもない「どえらいこと」をするのが日本人であったはず。今現状ですでにできそうなことは他の国もやってしまうのだ。普通は考えられないとてつもないことをしないことには日本の発展はないと断言できる。アメリカの経営者にはそういう発想ができる人がいるので、いまだに持続的に発展しているが、日本は従業員の足を引っ張る経営者ばかりで、せっかく出かかっている芽を根こそぎ摘んでしまう。

だから、そういう個人評価主体の人事制度は捨ててしまい、チームで動きやすくする対策をすべきだと思う。自由に提案を言い合い、失敗しそうでもやらしてみる。そういう雰囲気を作るべきだ。

まず、その第一歩として、家族で参加できるイベントや、社内旅行、保養所の契約など、社員のコミニュケーションが増大する施策を行うべきだと思う。なんでも言えて、どんどん「やってみよう!」と思える社員が増えれば、また日本も良くなって行くのではと思う。

大手企業こそこういう施策をやって、日本をもう一度復活させていくべきだと思う。

時代の転換点

  • 2012.01.22 Sunday
  • 22:11
時代の転換点に来ている。

今年は壬辰(みずのえたつ)ということで、干支からみると、昨年までの問題が更に膨らみ、一歩間違えば(人事を間違えば)取り返しのつかない年になるかもしれない一方で、新しい時代の芽生えが出てくる年でもある。マヤ暦が2012年12月21日で終わっていることから終末説もまことしやかに噂されているが、終末ではなく、そこから新しい暦が始まる年ともいえる。

つまり、今年をボトムとして、新しい時代への始まりがやって来るというふうにも考えられるのだ。うまくいけばV字回復の年である。

価値観に大きな変動がおきるはずだ。

総理大臣がこのところころころと毎年変わっているが、これは戦前も同様のことが起きていた。特に昭和11年2.26事件のあった岡田啓介内閣以降は超短命内閣が続いた。つまり、時代がおかしな流れをしているときには政治の成り行きが注目されるため、リーダーシップのない人が嫌われるのだ。歴史は繰り返すというが、ライオン宰相浜口雄幸を小泉純一郎とダブらせるとあまりにも歴史が似すぎている。大衆に人気のあった首相がいなくなった途端、時代の破綻を人々が感じ取って短命内閣が続くようになったということだ。

歴史を振り返ると、どうも70年の周期になっているような感じである。となると昨年は第2次世界大戦突入の年になる。戦争ではないが、昨年は東日本大震災、福島原発と大変な年だった。

70年前の今は戦時体制に入ったという状況下である。ミッドウェー海戦を回避していれば戦争終結を模索できたのかもしれないが、当時はそのまま戦争を継続させてしまった。この轍を繰り返さないように、今年はうまく時代を転換させていくべきではないかと思う。

だが、従来の延長線の考え方では、この難局をくぐり抜けることは不可能だ。

従来の延長線にない全く違うアプローチで、時代を変換させていかなければならない。今の政府にそういうことができるはずはない。なので政府に頼るのではなく、民間の我々がなんとか知恵を絞ってやらなければいけないと思う。大阪では橋下市長の大阪改革が進行している。それを一つの流れとして、橋下改革に匹敵することを各企業も進めていく必要がある。

橋下改革のポイントは、従来の発想とは全く違うやり方をしていること、生活をしている市民に納得性の高いことを中心に非常に早いスピードで実施していること、間違った方針だった場合その修正速度が早いこと、などがあげられる。

ものすごい勢いで次々と政策を打ち出している。

こんなことを民間企業でやるには、トップがものすごい勢いで各部署に指示を出し、上がってきた意見のうち良いものはすぐに実施するということだ。1年先とか3年先などと戯言を言ってくるようなら「馬鹿か」とすべて切り捨てて、「すぐにやれ」と命令することが大事だ。早くやろうとすると意外に短時間にできることが多いのは事実だ。ごちゃごちゃ考えているうちに時代はすぐに変容してしまうので、考えていたことは陳腐化してしまう。

今のようにものすごい勢いでITが進展している時代に、恐竜時代のようなスローモーなやり方をしていても、他国に追いぬかれて行かれるばかりだ。水戸黄門のテーマソングではないが、「泣くのが嫌なら、さあ歩け」って感じで、がんがん進んでいかなければいけない。そうやって突き進んでいくと、きっと良い時代が待っていると思う。

物事をスピーディーに処理していくと、気持ちも高揚し、前向きになる。前向きになると消費も増え、経済が活性化するのだ。スローモーに動くと、なんだか陰鬱になり、ボヤキが増えてくる、消費は低下し、経済は落ち込んでいく。

この時代の転換点で生きていくためには、猛烈な勢いで走っていくことが大事だ。細かいことは気にせずに、とにかく前に向かって大きく歩き出そうではないか、と思うのだ。

850円もする牛丼を食べながら感じたこと

  • 2012.01.17 Tuesday
  • 00:05
東京出張の際には、飯田橋から歩いて靖国神社を経由してから市ヶ谷駅前の会社に向かうようにしている。健康のためというのもあるけど、なんとなく靖国神社の雰囲気が好きなので毎回参拝している。

昼飯時には、靖国神社の中の遊就館にあるレストラン「結」で海軍カレーを食べることが多い。が、たまには趣向を変えてみようということで、今日は普段は入らない近寄りがたい雰囲気の靖国神社境内の手前にあるお食事処(外苑休憩所)で食べてみることにした。

しかし入ってみてビックリ(@_@;) なんと牛丼が850円!吉野家だと2杯以上食べれる価格である。が、他に待ってるお客さんもおらず逃げるわけにもいかないので、しかたなくその850円の牛丼を頼んだ。(靖国うどん800円もあったがどんなものかわからないので却下。)

牛丼と味噌汁と漬物だけである。吉野家だと490円。ずいぶんな価格差である。が、味はまあまあ美味しかったし、つゆだくでよかった。がしかし、やっぱり850円はちょっと高いのではと…。

しかしながら、考えてみれば、僕らが大学生の頃(今から25年以上前)のミスタードーナツのドーナツセット(ドーナツ2つとコーヒー)は550円だった。(今だと400円しない!)。大学時代電器店でバイトをしていたが、当時ステレオは20万円以上したし、VHSのビデオデッキも20万円以上した。テレビもビデオも今は異常に安い。デフレがすぎるのではないかと思う。

が不景気とはいえ、新卒の初任給は年々上昇しており銀行業界でも来年度の初任給は20万5千円とのことだ。僕が入行したときは16万円だった。30%程度の増加である。そんなことを考えると、先ほどの靖国神社の牛丼850円もそんなにおかしな値付けでもないかもしれない。

デフレが進行し過ぎで、あらゆる価格が最近異常に安いので感覚が麻痺しているが、280円の牛丼の方が考えてみれば異常である。マクドナルドの100円バーガーにしろあまりにも異常な感じがする。高いと言われる吉野家の牛丼ですら380円。どこが高いのだろうか?

デフレが進行しすぎである。

日本のGDPが減少しているが、デフレがひどすぎるだけなのではないかと思う。以前、このブログでも書いたが、日本はインフレターゲットとして、年率3%程度のインフレに誘導すべきだと思う。デフレを脱却し、年3%の物価上昇を行うだけで、日本経済は劇的に変わる。個人の所得で考えても、月収30万円の人は9千円毎年給料があがっていく。10年で毎月9万円、20年で毎月18万円も賃金が上昇する計算である。(子ども手当がいかに少ないかということでもある…。手当ではなく賃上げをすべきである。)

インフレになれば資産価値も上昇する。私事であるが、10年前に4000万円で買ったマンションが今や2000万円になっている。なのでうちの家計のバランスシートは相当傷んでいる。本来耐用年数が50年のマンションは年率2%で減価するので、普通であれば3200万円の評価でバランスするのだが、デフレが進みすぎたことで2000万円にまで落ち込んでいる。がしかし、今後年率3%で物価が上昇していってくれれば、毎年2%減価したとしても1%は資産価値が上昇するので10年後の売却額は2200万円になっているはず。現状では10年後に1600万円になる計算なので都合600万円も違いが生じることになる。老後資金の600万円はかなり大きい。40歳の人であれば老後まで25年あるので、85歳まで生きるとすると、年金的には毎月6万円も上乗せされることになる。

なので、年率3%のインフレターゲットというのはとても大事だ。デフレは資産が目減りするので百害あって一利なしである。刹那的な物価安を享受できるが、我々は未来に向って生きているのである。やはり年々成長していくのが大事なんだと思う。

世の中は消費税増税がどうのこうのとバカげた論争になっているが、そんなことよりもデフレ脱却のほうが大事なのである。

靖国神社の850円の牛丼を食べながらそんなことを考えたのでありました。。。

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