読書ノート 五木寛之「林住期」

  • 2017.03.21 Tuesday
  • 22:03

JUGEMテーマ:読書

 

10年前に出版された本だが、五木寛之の「林住期」を読んだ。

 

仏教で説かれている話らしいが、人生を25年ごとに4つの期に分けて

(1)学生(がくしょう)期(0〜25歳)

(2)家住(かじゅう)期 (25歳〜50歳)

(3)林住(りんじゅう)期(50歳〜75歳)

(4)遊行(ゆぎょう)期 (75歳〜100歳)

と呼ぶそうだ。

 

(1)の学生期は「準備の時代」。心身を育て、経験を積むトレーニングの時代とのこと。まあ学校に行ってる時代です。

(2)の家住期は「勤労の時代」。社会人としての責任を果たし、家庭人としての義務を果たす時代とのこと。会社員時代という感じでしょうか?

そして、(3)の林住期は学生期、家住期で蓄えたものをベースに「離陸する時代」ではないか?と著者は問いかけています。

 

お金のために働くのではなく、やりたいことをやる時期。学生期、家住期に蓄えた力をもとに本来の自分の道へと進むべきと提案しています。好きなことをするためにはこの時期に、妻と別居(または夫と別居)するのも一つの道と書かれています。

 

なるほど、と合点がいく内容。離婚のすすめではないだろうが、子供を育て上げれば、親はいつまでも子供にべったりしていてはだめで、早めに家から巣立たせるようにしなくてはいけないだろうし、親たち二人も漫然と一緒に過ごすのではなく、それぞれ本来やるべきことをするのが重要だと思う。

 

ずいぶん昔に数学者の森毅さんも「人生20年説」という本を書かれており、人生を20年ごとに終わって4毛作の人生を歩むべきと主張されていたけれど、あの本も「林住期」のことを言ってたんだなと今になって思う。

 

私も現在52歳で「林住期」に入っている。好きなことをやっていくことにしよう。

「東京タワー」を今頃読んで…。

  • 2016.01.04 Monday
  • 11:04
JUGEMテーマ:読書

「そして父になる」や「海街Diary」でのリリー・フランキーさんの演技がとても自然体でああいう人になりたいなと思っていたら、年齢が一つ上なだけで驚いた。同世代なんだ。

小説というよりはほぼ自叙伝で、九州筑豊地方での子供時代、一人で大分の芸術高校に通っていたこと、武蔵野美術大学に入り、その後東京でアルバイト暮らしをしていたこと、そして現在に至るまでの間の母親との関係を綴っている。父親とは別居しており、小さい頃から母子家庭で育ち、最後の数年間は東京で母親と二人暮らしをしていたことを九州弁の会話が続く独特の文体で綴っている。

今やマルチタレントとして色々なメディアで活躍されているリリー・フランキーさんの生き様が手に取るようにわかる。

「家族」って何なんだろうと考えさせられる内容。僕自身もいろいろ悩みながら「家族」を維持しているが、将来のことまでは見通せない。子どもが成人すれば夫婦はどうなるんだろうか?と思うこともしばしばだ。

ところが、ここの「家族」はリリー・フランキーさんが4歳の時にすでに破綻していて、母子と父が別居生活に入る。その後住まいを転々としながらもオカンは一生懸命リリーさんを不自由なく生活をさせている。だが、母はずっと別居していたのに亡くなるまで離婚しなかった。「家族」は維持できなくても「親子」は続くのだ。

小説の中にいろいろな人が登場してくるが、オカンの料理を食べに集まってくるというのがなんだかほのぼのとしていい感じに思えた。結局同じ釜の飯を食うという関係、どうってことない話をしながら集まる仲間が人生においては大事なのかなと思ったりする。

昭和の時代は東京でもまだまだご近所の関係が残っていたが、ここ最近はとても希薄な関係、薄っぺらい関係に変わってきているような気がする。飲食店もチェーン店が増えて昔のような店主との会話がなくなってきている。コンビニが増えて昔ながらの八百屋や魚屋や駄菓子屋はめっきり減った。当然店頭での会話はなくなり、一日だれとも会話をせずとも過ごせるようになってしまった。引っ越しで隣近所に挨拶に行ってもお菓子などすら受け取らなくなってきているし、近所付き合いは子どもとの関係で維持出来るだけで、独身者や子どもの居ない場合は、ただ金を稼ぐための会社と自分の部屋の往復で人生が終わってしまいそうだ。子どもができたところで、子ども会の加入者は年々減少、自治会に至っては老人クラブと化しており、若い人がほとんどいない。僕達が本来過ごすべき居場所がなくなってきているのではないだろうか?
戦後は会社が家族的経営でそれを補完してきた。社員旅行や社内運動会、クラブ活動やさまざまな福利厚生。家族と会社が連結していたが、これがバブル崩壊で全部なくなり、地域社会を補完する場がなくなってしまった。「家族」がなくなってしまった原因はそういう大企業の動向にもあると思う。

だが、最近ベンチャー企業では社員旅行や社内イベントが復活してきているらしい。良い話だ。日本はもともと和の国。家族を中心として人と人とが繋がる社会であったはずだ。これらのベンチャー企業のように友達同士、家族同士が触れ合えるそういう場を創る企業を中心にこれからの日本が変わっていければなぁと思うのだ。

【読書日記】「この世界の片隅に」こうの史代

  • 2015.07.25 Saturday
  • 20:27
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「この世界の片隅に」という漫画を上中下三巻買って読んだ。

彼女の作品では、前に「夕凪の街 桜の園」というのを読んだことがある。広島原爆のことを書いたもので、主人公は結局原爆症で亡くなっていくのだが、原爆投下前からの生活から投下後の様子、および原爆症の後遺症で主人公の目がだんだん見えなくなっていく様子を含めを淡々と語る内容だったが、この「この世界の片隅に」も主人公すずの子供の時(昭和9年)の話がプロローグとしてあり、本編は昭和18年にすずが広島から呉へ嫁ぐ話から始まり、日記風に淡々と時代の状況を伝える内容になっている。

すずが嫁いだ呉は日本の軍艦を作っていた呉海軍工廠のある街で、戦争時には呉工廠だけでなく隣の広村に広工廠、第11航空廠が設置され大きくなり、その結果広島原爆の前に大空襲があった街でもある。

漫画は途中、時代の風景を描きながらも庶民たちの生活を淡々と描いており、漫画の合間に「愛國いろはかるた」や「とんとんとんからりんと隣組」の歌の解説があったりして、戦争時代の状況が手に取るようにわかるようになっている。

空襲の時に姪っ子の晴美が亡くなってしまうシーンや街が焼きつくされてしまうシーンが描かれ、住んでいた広島には原爆投下と…淡々と流れていたストーリーの中で酷い内容が終戦に向けて描かれている。

戦争のことを語り継ぎ、二度と戦争を起こさないためにも、無謀な戦いを挑む勢力に対して日本はこれからは毅然と対応していかねばならないのだと思う。「安保反対、9条を守れ!」と唱えるだけでは平和は来ないのだと思う。

「舟を編む」

  • 2012.04.22 Sunday
  • 12:27
評価:
三浦 しをん
光文社

今年の本屋大賞第一位の三浦しをん作「舟を編む」を読んだ。

辞書編纂の裏側をドラマ仕立てで進めていくストーリーがすごく面白かった。キャラの設定が非常にすぐれていて、一気に読める本だ。

辞書の話といえば、有名なのが15年ほど前に出版された赤瀬川原平の「新解さんの謎」である。こちらは三省堂「新明解国語辞典」のそれぞれの見出し語の説明にものすごい編集者の想いが詰まっていることを解き明かした本でこれを最初読んだ時はぶっ飛んだ。

有名な「恋愛」の語句説明であるが、手元の第4版の辞書を見てみると、

  •  れんあい【恋愛】ーする 特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。「ー結婚・ー関係」

え〜これが辞書?っていう感じですが、辞書がこれほど身近に感じたことはなかったです。あまりに面白いので当時職場のいろんな人に「新明解国語辞典」を宣伝してまわったのですが、おかげで女の子たちからは変な目で見られました。ま、最近の第7版ではかなり内容が変わっているとのことで、また買おうかなと思っています。

それにしても、辞書編纂はものすごく根気のいる仕事だと思う。言葉の意味をそれこそ5万とか6万というとてつもない数の言葉を一つづつ検証していくという仕事だ。『舟を編む』の中でも「用例採集カード」というものに事あるごとにメモする主人公や監修者の姿が描かれている。

途中、主人公の奥さんが、主人公と付きあう中で「言葉の重要性に気づいた」と言うシーンがあるのだが、この「言葉の重要性」というのがこの本の底流を流れている、著者が言いたかったことなのでは、と感じた。

「言葉」がなければ人間は感情を持てないし、思考もできない、あらゆることは「言葉」があってはじめてできることで、人間が人間であるのも「言葉」があるからだ。聖書に「始めに言葉ありき」という有名なフレーズがあるが、言葉がなければ神の意思も伝えられないし、理解できない。言葉=神であるといってもよいのかもしれない。

そういう意味で、辞書編纂の仕事は地道で時間がかかるものなのだけれど、誇り高き仕事なのだなと思える。

また、この小説に出てくる辞書編纂作業は、あくまで製本する紙の辞書を取り上げている。製紙会社社員のその辞書のためだけの特別な紙質へのチャレンジなども描かれており、究極の技術にこだわる日本人の心意気も感じられる内容になっている。

電子辞書全盛の時代に、ふと感じたのは、こういう技に対するこだわりが最近なくなってきているのではないかという危惧だ。とことん良い辞書を作るための紙へのこだわり、製本へのこだわり、印刷技術へのこだわり、装丁へのこだわり、そういったものが最近どんどん劣化しているような気がする。

僕自身社内でITを担当しながらも、ここ最近の「なんでもIT化」、「なんでも効率化」、とか「とにかく経費削減」というような風潮にはものすごい抵抗を感じてしまう。

本当にIT化が正しいことなんだろうか?

アナログな「人と人とのつながり」は大切じゃないんだろうか?とか、昭和時代のように職場では先輩を敬い、先輩は後輩をいたわり、和気藹々と仕事をすることのほうが大事なんじゃないか?と日々自問自答している。

それは決して「昭和時代に戻りたい」というノスタルジックな気持ちではなく、最近の日本はなんだかIT化、効率化と言い過ぎで、肝心なことを忘れてきたのではないかと思うのだ。

辞書編纂に人生を傾ける生き方もいいなあ、と読みながら、ふとそんなことを感じたのであります。

(追伸:この本のカバーを取り除いた本の装丁、めちゃ凝ってます。漫画本があるのかと思ってしまいました。)

「ぼくらの祖国」

  • 2012.01.28 Saturday
  • 10:39
青山繁晴氏の本「ぼくらの祖国」を東京から帰る新幹線の車中で一気に読んだ。

読んでいる途中、右手に富士山が見えた。雲一つない快晴の青空の下、雄大な姿を見せる富士山を見ながら、祖国についての本を読む。いつもはボンヤリ風景を眺めてたり、iPhoneをいじっていることが多いのだけど、今日は富士山を過ぎてからはずっとこの本に集中した。

内容は「北朝鮮拉致問題」「東日本大震災と福島原発事故」「硫黄島の滑走路の下に埋められたままの英霊1万3千人」「日本海のメタンハイドレート」のことをメインに、日本という国を考える内容になっている。

青山繁晴さんの主張は関西テレビのニュース「アンカー」で毎週聞いているのでだいたいおさえているつもりでいるが、こうやって活字になると更に重みがましてくる。

特に「硫黄島(いおうとう→いおうじまは米国の言い方)」の話は圧巻だと思う。新幹線の中で不覚にも涙を零してしまった。YouTubeで以前この青山さんの硫黄島の話は視聴したことがあるのだが、それでもやはり本を読んでいるうちに身体の芯がゾクゾクしてきて、感極まってしまった。

僕らは事実をあまりにも知らなさすぎる。

硫黄島で犠牲になった2万1千の英霊のうちまだ1万3千人が島の地下壕などに埋まったままになっていること。しかもその遺骨の上に滑走路が作られているためそれを剥がさなければいけないこと。ところが青山さんの活動で始まった「滑走路を移転し今の滑走路を引き剥がして遺骨を収集する」という計画が2009年に防衛省で1億円の予算がついたのに今は消えてしまっていること。硫黄島を米軍が占領したかった理由は本土爆撃の拠点にするためだが、その爆撃の目的は日本の女性や子どもまでを殺して民族を根絶やしにするためだったこと。栗林中将はアメリカの戦略をわかっていたので一日でもそういう空爆を遅らせるために穴を掘って戦いを引き延ばそうとしたこと。など…。

僕らには知らされていないことが多すぎる。この本を読みながら、そういう硫黄島の戦いの背景を知り、日本人のあり方についてもう一度考えてみたいと思った。

栗林中将が最後の出撃時に述べた言葉がある。

「予が諸君よりも先に、先陣に散ることがあっても、諸君の今日まで捧げた偉功は決して消えるものではない。いま日本は戦に敗れたりといえども、日本国民が諸君の忠君愛国の精神に燃え、諸君の勲功をたたえ、諸君の霊に対して涙して黙祷を捧げる日が、いつか来るであろう。安んじて諸君は国に殉ずべし。」(梯久美子「散るぞ悲しき」より)

はたして、今の日本人は、日本のために命を捧げた英霊たちの勲功をたたえ、涙して黙祷を捧げているだろうか?

英霊だけの話ではない。今の日本人は日本に対する「祖国愛」についても思考停止している。自国の国旗国歌に敬意を示さない国民がいるのは世界中の中でも日本だけである。

残念ながら戦後教育で刷り込まれた自虐史観が国民に浸透してしまっている中でなかなかこういう「祖国愛」についての主張をしても虚しいばかりだが、少しづつそのことに気づいてきている人も多い。

こういうのを右翼の思考だと思う人も、一度この本を読んでみてはいかがかと思うのである。

2024年、会社はなくなる!?

  • 2012.01.26 Thursday
  • 22:57
マインドマップで有名な神田昌典さんの本を読んだ。

こういうハウツー系の表題の本はあまり手に取らないのだが、『なぜ、神田昌典は「日本人の未来は明るい」と言い切れるのか? 』という帯が気になって手に取ってみた。

読むとすごく引きこまれた。先日のブログにも書いたが、僕は歴史が70年くらいの周期で繰り返しているのでは?と思っているのだが、同じ事をこの著者も書いている。小泉元首相が浜口雄幸に似ていると言われた頃から歴史が繰り返しているのではと思っていて、その後の短命内閣の連続でまさしく戦前と同じだなと感じていたのだが、こうして本に書かれると、やっぱりと思ってしまう。同じようなことを考えている人がいるのだ。

ということで、現在は変革期に直面している。70年前といえば戦争の真っ只中である。変革と言うよりも破壊と創造が起こった頃と言えるのかもしれない。

で、第4章の表題がすごい「2024年、会社はなくなる!?」である。

確かに、今の大企業はどこかおかしい。意思決定が遅く、新規案件は軒並み握りつぶされる。全く前に進めない企業が多い。

その点中小企業は小回りが効いて意思決定も早い。ITの世界でもクラウドが出てきたので、小さな会社でもすぐに本格的なWeb開発環境を手にすることができる、大手の企業と対等に戦えるインフラが整ってきている。こうなってくると、機動性が高いかどうかが企業の勝敗を決めてしまう。大企業の人たちと話していると「内部統制がどうのこうの」「セキュリティがどうのこうの」などなど、動けない理由ばかりを並べ立てて、一向に前に進まない。これでは著者が言うようにあと10年もすれば大企業は衰退していくばかりだろう。

会社がなくなる理由として次の3点をあげている。
  1. 会社では社員が育たない。
    成熟期の既存事業はシステム化されているため従業員はオペレーターになっているだけ。事業立ち上げを経験できなければ脳を使わない。
  2. 会社では無から有を生み出す経験が積めない  
    新規事業を立ち上げるにはリスクがあるため、決裁されない。
    リスクのあることに会社は及び腰になるため、事業立ち上げ経験が積めない。
  3. 一部の仕事をしている社員が抜けると、会社には何も残らない。
    優秀な人材はフリーエージェントとして会社にいなくても仕事ができるようになる。
    かくして、会社にはオペレーターだけが残る。
その後について、著者はNPOが中心になっていくと言っている。ドラッカーの「ネクスト・ソサエティ」にもそう書かれていたが、確かに社会貢献活動が少しずつ日本に根付いてきているような気がする。

何のために仕事をしているのか?っていうのを突き詰めると結局、「世の中を良くするため」にということになるのではないだろうか。日本人は「利他」の精神があるし、他人のために何かをしようという人が多い。

これからは会社のビジョンが明確な機動力のある小さな会社やNPOが世の中の中心になっていき、現状維持ばかりで前に進まない大企業は衰退していくのかもと、あらためて感じた次第であります。

空気を読まない生き方

  • 2012.01.20 Friday
  • 23:42
昔読みかけて挫折した「君主論」。自宅の本棚を探したがなかったのでおそらく今は某古書チェーン店の棚に収まっていると思うが、もう一度読みたくなってきた。

成毛眞氏が書くとどうしてこんなふうに読みやすくて刺激的な内容になるのか不思議だが、「大人げない大人になれ」の読後と似たような爽快感に包まれる。

いつの時代もリーダーのあるべき姿というのは同じで、いざというときに毅然とした対応ができるかどうかということだ。平和な時のリーダーは愚鈍でもつとまる。変革期に必要なのは強烈なリーダーシップである。なので、そのためにも普段から媚びない姿勢が大事だ。

マキアヴェッリがが言う「ためらいなく敵か味方かを打ち出せ」というのは一見トラブルを発生させるだけのように感じるのだが、どっちつかずの態度をとっていると、結局その人は敵か味方かがわからないため両方から相手にされなくなってしまう。最近の日本の外交のように中国にも米国にもいい顔をしようとするから両方から相手にされなくなってしまう。

自分のスタンスを表明できないリーダーが多すぎる。敵をつくらないようにするあまり、どっちつかずの対応をしてなるべく波風を立てない方向に進めようとしてしまう。

なんだか、強く感じるのは、最近の日本の問題点は「空気を読む」人ばかりになってしまったということだ。

学校時代から「同調圧力」が強く、突出した個性を出さないようになってしまっている。みんなと違うことをしているといじめの対象になってしまうため、なるべくみんなと同じようにしようとする。

会社に入ってもリクルートスーツも全く同じ、髪型や喋り方まで似ている。成果主義なので欠点をださないように無茶なことはしない。そういう彼らは弱くなっているので、波風を立てないように上司は部下に気をつかい「頑張ってるね」とか「期待しているよ」と声かけをしては調和を保とうとする。それがコーチングとか傾聴態度などということになってしまい、メンタルをことさら刺激しないことが、さも良い事のように取り扱われてしまう。

しかし、空気を読んでばかりいても改革など出来るわけがない。

リーダーに必要なのは、「俺はこう」と決めたらそっちに突き進むことが必要である。あまりにもそれがズレていれば、修正すればいいだけだ。(最初からズレてる人間は本来リーダーになる素質のない人であり、そのうち誰もついていかなくなる。)分かれ道で右に進むのか、左に進むのかに迷って、足踏みの練習ばかりしているようでは、一向に前進しないし、そのうち別の連中が横から入ってきて行く手を遮ってしまうのだ。なのでリーダーはしっかりとした判断軸を持ってどっちかに猛烈に進んで道無き道であれ突進することが大事だ。万が一崖に落ちても、また這い上がればいいのだ。

空気を読むってことは、結局ゆでガエルになってるってことだ。

なので、これからは「空気を読まない」ことにしたい。

「人生がときめく片づけの魔法」を読んで

  • 2012.01.12 Thursday
  • 23:42
超ベストセラー「人生がときめく片づけの魔法」を読んだ。

なるほどなとは思ったが、何と言っても著者が可愛いというのが本が売れた一番のポイントだと思う。同じ内容をおばさんが指摘しても「なるほどー!」とは思わない。本を手に取って「こんな子が片づけの本を書いているのか〜」という好奇心から本を買うという行動に移るのではと思った。最近マーケティングに興味があるのでそういうことばかり気になる次第なのです…。ちなみに著者近藤麻理恵さんの名前を略した「こんまり流の片づけ術」というのは、女子の間では結構浸透しているようだ。

この片付け術を一言でいうと、「手に取ってときめくものだけを残してほかを捨てる」ということだ。モノ別に衣類、本類、書類、小物類、思い出品の順番に一気に捨てるということを薦めている。

僕自身、衣類は元々少ないのでいいのだが、本や書類が馬鹿みたいにたくさんある。何度となくブックオフに持っていったりしているのだが、捨てる端からまた買ってくるので一向になくならない。しかしその膨大の本の数々を読んだからといって賢くなっている訳でもない。いい加減にしなければと思っていた矢先のこの本である。なかなか面白かった。

著者が力説しているのは、手に触れてときめかないものは処分し、ときめくものだけに囲まれた理想的な空間にいると、新しい自分(本当に求めていた自分)を発見するということだ。「ときめく」という言葉に置き換えているが、これは「自分の本来の夢」のことを意味していると思う。本来の自分は何をしたかったのかということを片付けたことで再発見するようになるということだ。

どういう空間で暮らしたいかというのはかなり重要だ。歌手になりたかった人は楽器に囲まれたいだろうし、作家になりたかった人は本に囲まれて暮らしたいだろう。料理が好きな人はキッチンの空間を重視するだろうし、植物に囲まれたい人というのもいるだろう。つまりこの本は「片づけ」というキーワードで書かれているが、インテリア空間をどうデザインするべきかという内容の本でもある。

なので、不要なものを捨て、できるだけ小さく収納し、自分の好きな物だけが目に見える範囲に存在するという形をとるというアプローチだ。こうすることで、ますます自分のやりたかったことが明確になり、人生そのものまでもがHAPPYになるという内容だ。

ということで、今日は朝から職場の机の引き出しにある書類を「原則全部捨てる」というやり方でやってみた。とにかくここ1年見てないものばかりなので即シュレッダーである。山のようにあった書類がなくなると気持ちがよいものだ。が、まだまだたくさん残っているので明日中になんとかしようと思う。

で、週末は自宅の本をまたまた大処分する予定。本だけでなく、キーボードもパソコンラックもなにもかも捨ててクリーンセンターに持っていく予定。できると思う。

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