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光あるうち光の中を歩め

評価:
トルストイ,原 久一郎
新潮社
¥ 340
俗世間の中で生きるユリウスが長い人生の迷いの中で最終的にはキリスト教の道に入る物語。浄土真宗の悪人正機の説と主題的には同じようなものと考えたら良いだろうか。

しかしながら、読み進めても、やはり俗世間にどっぷりつかっているボクなどはなかなか神の道へ入れそうにもない。

これと同じようなことで、サラリーマンの世界にどっぷり浸かっているので、起業する方向へはなかなか進めない。

人間、おかしいと思うところがあっても、結局は俗世間に埋没してしまう気がする。結婚という問題に対する考え方も同様で、結婚し、子どもを作ると、もう逃れない執着の世界に足を踏み入れてしまう。

20年くらい前に流行った、浅田彰の「逃走論」の世界もそうだ。結婚という道を取った時には結局家に執着するパラノ型人間への道を進んでしまう。

あらゆる物から距離をおいて、本当は自由に生きたいのに、結局、人間は不自由な世界の中で偏執狂のようにカネを稼ごうとするのだ。カネに執着するからカネに支配され、己の人生を狭くしてしまう。

主人公ユリウスも何度となく神の道に足を踏み入れようとするが、その根拠を失ってしまう。ところが、最終的に富に恵まれたにもかかわらず、子どもが放蕩三昧に陥ったところで、やっと神の道への選択をするのだ。

だけど、読後感はすっきりしない。はたして、私有財産をもたない共同生活で良いのだろうか?という疑念が晴れない。

ということで、最近「資本論」を読み直している。共産主義は破綻したが、資本主義だって何を生み出しているのだろうかと懐疑的になっている。成果主義も日本では破綻した。家庭とは?仕事とは?国家とは?疑問がつきない。

人との関係の中で、自分は何をしたいのか、何をなそうとしているのか?世のため人のためになることって何?何をすれば社会に貢献できるのだろうか…?

そんなことばかり考えながら、日々の生活に追われている今日この頃なのでした。。。
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