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やはり履中天皇陵だ



さきほど、戻ってもう一度確かめたが、宮内庁も「履中天皇陵」としっかりと表示している。もうすぐ近くに出来る住宅地の看板にも「履中天皇陵」という言葉が書かれている。道路の案内板ももちろん「履中天皇陵」、百舌鳥三陵周遊路の案内表示も「履中天皇陵」だ。履中天皇陵という名称以外は見当たらない。それでもなお、「ミサンザイ古墳」だとか「陵山古墳」と言い張る教科書業界の人たちは一体なんなのだろうか?wikipediaなんかでもこの表示だ。履中天皇陵ではヒットしない。

大山古墳(だいせんこふん)の方はずいぶん名前が浸透してきてしまった。中学生が歴史でそういう名前で習うことが一番大きいし、となりの公園が「大仙公園」ということもある。隣接する聾学校も「だいせん高等聾学校」という名前になった。

仁徳天皇といえば非常に庶民のことを大切にしたことで有名で、貧困を救うために3年間租税の徴収をストップして、庶民の生活を復活させた話がある。その後、「高き屋にのぼりて見れば煙(けぶり)立つ民のかまどはにぎはひにけり」という歌を作っている。名前も「仁(じん)」に「徳(とく)」ですから当時からかなり慕われていた天皇だったのではないかと思う。そんな天皇の存在を消すかのような「大山古墳」の名称だ。学術的にこの墓の埋葬者が倭の五王のうちのだれかが不明なのかもしれないが、世界遺産に登録しようとしている古墳を天皇名を出さずに子どもたちに教えていること自体おかしい話だ。うちの子には大山古墳と書かせるテストでも「仁徳天皇陵」と書きなさいと教えている。

とにかく地元では「履中天皇陵」と「仁徳天皇陵」で決着しているので、早く教科書を改訂して欲しいものだ。
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