<< 預担融資。普通は運転資金の融資に使うやり方では? | main | スーパーで間違って牛乳を他の奥さんの買い物かごに入れる私 >>

聾者のコミュニケーション

高一の長男が聾者である。

長男が失聴した1歳の頃は圧倒的に「聴覚口話法」が一般的で、手話を使うなどということは限定的だった。が、トヨエツのドラマ「愛しているといってくれ」や菅野美穂の「君の手がささやいている」以降、ここ10年で状況は一変し、聾者は手話を使うことが一般的になってきた。

原因の1つは聾者を扱ったそれらのドラマの影響も大きいのだが、最も大きな原因は「聴覚口話法」だけで育った子供が大人になり、結局聾者とも健聴者ともコミュニケーションができないという現実がわかったからだと思う。

15年前まではインテグレーションという言葉が聾教育の中でもてはやされ、聾学校に通うなんてのは「落ちこぼれ」と看做される感じがあった。口話を習得し、一般校に通わせることを「インテグレーション」と呼び、親達は子供を一般校に通わせることでエリート意識を持っていたような気がする。

私と家内も当初はそういうグループの中で子供を育てていたのだけれど、途中からこの方法は長男にとっては「無駄なのでは」と思い始めた。長男は両耳とも130db損失という超重度難聴でほぼ聞こえていないというレベルだった。そういう子供に無理矢理言葉を発声させることの無意味さを途中からいやというほど味わったからだ。90db程度の聴力損失とはわけが違い、自分の声も補聴器でフィードバックできないのに無理矢理声を出させるのは拷問以外のなにものでもないと感じたのだ。長男は4歳まで言葉の認識がないまま、もちろん声も全然出なかった。

聾学校は「聴覚口話法」主体の学校だったのだけど、時代の流れにあわせて長男が4歳のころから若干指導方針が変わって手話もとりいれるようになってきた。この状況の中で長男の場合はインテグレーションは無理があると思い聾学校にずっと通わせたのが良かった。聾学校は幼稚部の間は家内も一緒に登校し、毎日の状況をスケッチブックに絵日記のようにして書き込み、その文字を覚えさせることと、当初はキュードスピーチ(子音を指で表現し、母音を口型で示す方法)というもので言語を覚えさせ、その後指文字や手話を取り入れるようになった。小学校低学年まではキュードスピーチで、高学年から指文字と手話という感じで言葉を大量に毎日毎日語りかけることで、急速に言語を獲得していったような気がする。

小学校4年生からは公文の塾に通わせたのだが、これが意外に効果があり、算数にかなり自信をつけた。算数については耳が聞こえなくてもあんまり関係なく、普通の塾とは違い自分のペースで進めることができるのでとても長男にあった教育方法だったのかもしれない。

おもしろいことに算数一教科だけでも得意科目ができたことで、中学校にはいってからは見違えるように言語の習得もスピードがあがっていった。自己肯定感というのか、1つ得意教科があると他の教科にも影響を与えるようだ。

中学校ではほぼ満点に近い点をいつもとるようになり、結局地元の大阪の聾学校ではなく、今は筑波大学附属聾学校に通っている。

言葉は私たちには聞き取れるのだが、一般の人はちょっと聞き取りにくい声だと思う。が、聾学校に行ったことで手話で話すことができるので、聾者間のコミュニケーションは全く問題がない。聾学校に行かせてよかったなと感じる。

今はITが発達し、長男はブログやTwitterをやり、FLASHやIllustratorでマンガを書いている。普通の高校生よりも趣味は本格的なのではないだろうか?昨日のTwitterには「英検準2級受けに行きます」とか書いていた。勉強もちゃんとやってるみたい…。

大阪と千葉で離ればなれなので生活状況が直接はわからないが、Twitterやブログがあるので間接的にはよくわかる。友達も多いみたいだ。考えてみれば私たちだって結局友達と呼べるのはそんなに多くなく、本当に親しいのは4、5人だ。そんなふうに考えると多趣味で青春を謳歌している長男はうらやましいし、将来も心配がない。

無理矢理インテグレートして一般校に通わせて友人のない生活をさせるよりも数倍楽しい生活をしているんじゃないかと心底思う。本当によかったと思う。

 
評価:
上農 正剛
ポット出版
¥ 2,835
コメント:聾教育に関係している方は必読。

教育 | comments(0) | trackbacks(0)
 
Comment








   
 
Trackback URL
http://fukarei.jugem.cc/trackback/726
Trackback