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「生きる意味」

評価:
上田 紀行
岩波書店
¥ 526
コメント:最近一番衝撃を受けた本。上田先生の言うとおりだと思う。

先日、上田紀行先生の講演を聴いてから、ずっと上田先生の本を連続して読んでいる。
最初に読んだのがこの「生きる意味」という本。それ以降ずっと「生きる意味」について考えている。。。

講演の中で、まず、「最近の若い人達は「透明な人間」であろうとする」という話に衝撃を受けた。つまり、自分のカラーや匂いを出さずに極力透明な存在であろうとする人が増えているという話だ。「私って〜、どこにもいそうなタイプの人で〜」というような自己紹介をするのが増えているらしい。結局みんなと同じような自分、取り立てて人と違うことを強調しない「良い子」であろうとする。というのは、異質で目立つと「嫌われる」「いじめられる」からなのだそうだ。そういうことを怖れて、極力自分を出さないのだそうだ。

透明な存在といえば、1997年に起こった神戸の連続児童殺害事件の首謀者酒鬼薔薇少年の犯行声明に「私は透明な存在である。しかしその透明な存在が実在であることを認めていただきたい」と出てくる。

90年代初頭のバブル崩壊後くらいからこの国はどんどんおかしくなって、この事件の翌98年から毎年自殺者が3万人を超えるようになった。もう13年連続となっており、約40万人くらいが自殺している。僕の好きなパラオという国は2万人くらいの人口なので、日本ではこの10年くらいでパラオの20倍もの人が自殺したということだ。異常としかいいようがない。

今調べると、40万人以下の国家は46か国もある。それらの国の人口が日本の自殺者の数と同じなのだ。なんということなのだろうか。もっと身近な例でいうと、鳥取県の人口が58万人。もうすぐ県がひとつ自殺者だけでなくなってしまうということなのだ。

いつからこの国はこんなふうになってしまったのだろうか?

この本の中ではグローバリズムを標榜した「構造改革」「新自由主義」がこの国の「喪失感」を増し、「生きる意味」を失わせたとしている。

この意見には全く同意見だ。ずいぶん前から僕も「成果主義」の問題点をブログなどに書いてきたが、ここまですっきりと直球で批判している本に出会えたのは初めてだった。

そうなのだ。バブル崩壊後の「成果主義」「効率主義」「数字至上主義」が「喪失感」を日本人の心のなかに増大させてきていた。

僕自身。銀行時代にシステムトラブルでは不当な濡れ衣を着さされたり、その後の部署では意味不明な「いじめ」に合ったりした。僕のように突出した意見を言うものは容赦なく切り捨てられるのだ。正論を言うと嫌われる。だからなるべく自分を透明にする人が増えているのかもしれない。でも、そんなことをしていては会社に対する信頼感も育たないし、忠誠心も生まれない。ただ、自分を透明にして目立たずに「ごますり」に精を出せば出世するという馬鹿げた風潮だけが蔓延するだけなのだ。

成果主義でもなければなんでもない。ただ自分を透明にすることが大切なのだ。

透明な存在を続けていくと人はいつか「交換可能な存在」になってしまう。別に僕でなくても他の人がそこにあてがえられるのだ。そんな会社、そんな社会にいつまでも居たいと思うだろうか?

僕はそんなくだらない会社からいち早く脱出したが、会社に身を捧げている人にとっては「神に裏切られた」ように感じるのかも知れない。だから自殺に走るのだろう。

昔の会社は「神様」と同じ存在だった。会社に一生を捧げていれば定年まで保証されたし、その後も企業年金など手厚く保護された。

が、バブル崩壊以降はそういう「安心」「信頼」が一気に壊れてしまった。日本人のように宗教を持たない国民にとっては「生きる意味」を失い、言いようのない「不安」が増殖されてきているのだ。

だけど、少しずつこのことに気づき始めている人たちもいる。日本人はもともと「和」を大切にする国民だった。話し合いで解決をはかる「会議中心主義」の国民なのだ。

そういう古い国の形が戦後の教育で失われてきていたが、ここに来て、日本人の本質を問い直し、大きな和の国「ヤマト(大和)の国」であったことを見直そうという機運が盛り上がってきている。

結局チームのコミュニケーションが大切なのだと思う。村の寄り集まりのように、上下の差もなく、とはいえ長老の言うことにはよく耳を傾け、出席者皆が納得出来る議論をするということが民主主義のベースなのだと思う。この国はそういう小さな村の集合体だったはずなのだ。

話変わるが、
先日、僕を嫌って「いじめ」ていた銀行時代の元次長がフラフラと銀行のATMコーナーから出てきた。髪はボサボサでうだつがあがらないような風体になっていた。で、ぶつかりそうになったので目が合ったのだが、こちらは「久しぶり〜」と言おうとしたが、相手は怯えたように走り去った。「成果主義」の犠牲者を見たような気がした。因果応報なのだ。人を蹴落とすような人間は、結局だれかに蹴落されるのだ。

それでも、転職するキッカケを作ってくれたので正直感謝している。あの男がいなければ転職に踏み切れなかっただろうと思う。人生は何処かで誰かが作用していると思う。

仏教の教義の根本は「縁起」。「縁起」とは「すべてのものが関係性の中にある。関係の中になく自生しているものはない」ということだ。人と人の関係で言えば、誰かがどこかで関係していて、それらは相手によって相対的に関係が変わっていくということ。

先程の話で言えば、僕をいじめていた上司はいじめられていた時には腹のたつ上司だったのだが、いざ、転職する時には感謝している存在であり、先日のATM前遭遇事件では哀れみを感じる存在になっていた。

話は取り留めなくなっていくのだけれど、「生きる意味」を見いだせない時代の中で、「成果主義」だからといって、自分を出さずに上司に言われたことを(間違ってると思いながらも)するとか、人の足を引っ張って自分の優位性を際立たせるというような輩に成り下がらなくて良かったなあとシミジミ感じる。

あるがままに正直に生きること、自分の利益を考えずに人のために生きること、そういう事が「生きる意味」なのかなあと思う。

まだこの本一度読んだだけで完全には読みきれてないので、何度も読んで、自分の「生きる意味」をもう少し見出したいなと思う今日この頃なのでした。

本当にオススメの一冊です。
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【縁起】

本当にこの世の仕組みがよく解るキーワードだと思います。
過去を振り返って「良かった」と思えることは素晴しいですね。
なみき | 2011/06/27 09:22
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