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「慈悲の怒り」

評価:
上田紀行
朝日新聞出版
コメント:まさにおっしゃるとおりです。上田先生のストレートな文章が心に刺さります。

ここのところずっと上田紀行氏の本ばかり読んでいる。

最新刊はこの「慈悲の怒り」、副題が〜震災後を生きる心のマネジメント〜

上田先生はまず、このたびの震災を地震・津波による天災と福島第一原発の人災をはっきりと分けて考えるべきだという話から始めている。

天災と人災を一緒くたにして「がんばろう」というのがどうもひっかかると…。原発事故がなかったら頑張れたかもしれないが、原発事故が起こったことですっきりと頑張れない。だから天災の部分と人災の部分を明確にわけるべきだとのことだ。

確かに、震災後一連のACジャパンによる「がんばろう」とか「親切にしよう」とか「自粛しよう」とかの所謂「良いこと」の押し付けが全面に出てきた広告の繰り返しや、なんだか世間の「頑張ろう日本」的な話を聞くたびに、「欲しがりません勝つまでは」という戦時中の雰囲気がものすごく漂っていて、僕の心にモヤモヤ感が広がってかなり滅入っていた。

そのことをストレートに書かれているので、逆に気持ちがストンと落ち着いた。

上田氏はバブル崩壊以降の成果主義の台頭による「安心」「信頼」の崩壊を「第三の敗戦」と位置づけている。「第一の敗戦」が第2次世界大戦における軍事的な敗戦、「第二の敗戦」がバブルの崩壊という経済的な敗戦。この度の東日本大震災はここ10年くらい続いている「第三の敗戦」にどのように影響するかということをこの本の中で問いかけている。

また、今回の原発の対応については、「第一の敗戦」の前夜と全く同じ「日本型総無責任体制」にその原因を見ることができるとしている。「第一の敗戦」である太平洋戦争突入のときも、当時の首脳陣は誰もが戦争反対だったのに「その時のその場の『雰囲気』が日米決戦に突入せざるを得なかった」という話になっている。

今回の原発でも、首脳陣がまるで被害者のように振舞っているところが、当時のA級戦犯と重なってしまうということを資料を元にこの本の中で紹介している。

確かに、日本人は根本部分では戦時体制のころから変わっていないのかもしれない。場の空気を尊重するあげく、自分の意見を言わずに、場の雰囲気に流されてしまう国民。。。

それに加えて、第三の敗戦の原因となった「成果主義」「新自由主義」による「儲け重視」「効率化重視」「人間のモノ化」「人を蹴落とす風潮」…そんなことが複合して今の日本の停滞を生んでいるのかもしれない。

そういう悪しき風潮を駆逐し、日本に古来からあった「村会議重視」(村の長老たちがああでもない、こうでもないと議論を尽くしたあげく決定するというプロセス)という風土をもう一度根付かせれば、少しはこの国も変わるのかも知れない。

タイトルの「慈悲の怒り」とは、仏教では「怒り」は最低の事であるが、それは「人」に向けた怒りは鎮めなければいけないということなのだが、間違った「プロセス」「構造」「組織的な決定」に大しては大いに「怒っていい」ということだ。それを「慈悲の怒り」と呼ぶ。

今回の例で言えば、福島原発の事故状況に対する東電や政府の対応のことだ。肝心の情報が隠蔽され、人の不安感を増殖させた。そのことに対しては「怒って」しかるべきなのだと。

東電の社長の年棒は半額にしても3600万円。これだけの事故を犯しながらまだ給料をもらうという感覚は全く理解出来ないが、決してその社長を憎まず、そういう状況を作り出している状況に「怒る」ということが大事なんだそうだ。「罪を憎んで人を憎まず」に近いのかな…。

それにしても、原発はいつになったら収束するのだろうか。。。
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