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秦氏を中心に古代史を見てみると様子が変わってくる。

ブログの更新をサボってましたが、そろそろ再開しようと思う。

ひょんなことから、古代史を「秦氏」を中心に見ると違って見えてくるのではないかと思い、先々週くらいからいろいろ調べており、それがあまりにも面白いの少しだけ紹介。

きっかけは、家の近くの百舌鳥古墳群を調べようと思ったことから。古墳群を築造するにはいろいろな技術が必要で、中でも「秦氏」を中心とした技術者集団が関連しているという記述があり、「「秦氏」って歴史にあんまりでなかったけど結構重要なのかな?」と思ったことがきっかけ。

で、いろんな本やネットで秦氏を調べていくと、応神天皇の頃に1万人もの規模で渡来し、各地に技術を伝承させたということになっている。1万人はものすごい規模だ。

大分県宇佐八幡宮は応神天皇を祀っているが、この大分県豊後半島は「秦王国」であったとも言われる。

一方百舌鳥古墳群を作った技術者集団は地元では「土師氏」となっているが(土師町という地名がある)、この土師氏も秦氏の一族であると言われている。で「秦氏」を中心に調べてみると次々と面白い話が出てくる。

最近調べたことを列記すると
  • 秦氏はもともとイスラエルのダビデ王族であるという説がある
  • 秦氏は百済出身ではなく新羅系(その中でも伽耶(任那)人)
  • ネストリウス系キリスト教(中国の景教)の寺院は中国で大秦寺という名前
  • 秦河勝の住んでいた京都の地名は「太秦」
  • 秦河勝は聖徳太子のブレーン
  • 秦河勝は最終的に赤穂の地に追われたが、ここで塩田などの技術を広めた。
  • 赤穂にある「大避神社」は秦河勝を祀っているが、本来は「大闢(だいびゃく)」→ダビデである。
  • 蘇我氏は秦氏の一族(聖徳太子は蘇我氏という説もあり)
  • 聖徳太子は厩戸皇子と呼ばれるがこれは明らかにキリスト教からきている。
  • 聖徳太子の母親である穴穂部間人皇女も秦氏系という説
  • 間人(はしひと)皇女の「はし」はペルシャ(波斯(はし))ではないかという説
  • 記紀の編纂は藤原不比等が行なっているので、対立していた「秦氏」の記述がない。
  • 宇佐八幡宮は秦氏のお膝元であるが、比売大神とは誰のことか?卑弥呼なのか?
  • 宇佐八幡宮は道鏡事件の時に伊勢神宮ではなく、宇佐八幡宮に神託に来ている。
  • 伊勢神宮の外宮の参道にはイスラエルの六芒星が並んでいる

などなど、トンデモ系含めいろんな説があり面白い状況。まだ、全然整理がついていないので、後日これらのことを整理して調べたいと思います。

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