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家族的経営がやっぱり理想的

昨日の昼休みに銀行時代の話をしていて、急に徳島支店のことを思い出した。徳島寮の売却話をしながら、15年くらい前に行った支店のことを思い出した。

当時、パソコン研修で徳島支店に行ったのだが、そこの古参の職員に過去のアルバムを見せてもらった。

そこには阿波踊りの写真がいっぱいあって、「これ銀行と何の関係があるんですか」って聞くと、なんと、踊ってる人達が全部会社の人達だったのだ。当時は企業連という形で支店のメンバー総出で阿波踊りの連を出していたのだそうだ。

昔は100人近くいた支店のメンバーも合理化が進み段々と減り、当時はもう20人くらいに減ってたと思う。20人では連が出せず、関連の信託銀行などと合同でなんとか5、6年前までは出してたもののついに90年代中頃には「連」から撤退したのだという話を聞いた。

なんか滅びゆく企業活動の一つを見た感じで、まさしく、その合理化を推進していたシステム部としては胸が痛んだ。

僕も入行してしばらくは運動会や社内旅行もあり家族的な雰囲気の中、なんとなく将来の夢も見えたりしていた。入行直後から寮対抗スポーツ大会やら、支店対取引先のソフトボール大会やら、春は花見、秋は紅葉狩り、とイベントの連続で、結婚後も毎年保養所に泊まりに行き、安い価格で美味しい食事を満喫していた。

それが90年代半ばを境にバブルが弾け、みるみる家族的なことが失われて行ってしまった。

その後はご存知の通り、一向に景気は回復せず閉塞感から全く脱しないまま、もうかれこれ20年だ。

「生まれた時が悪いのか…、それとも俺が悪いのか…」という歌があったが、本当に時代の波に翻弄され、あろうことか、夢を持って入行した銀行を辞めざるを得なくなり、追われるように転職してしまった。

そしていま、相変わらず、合理化を推進し、ますます家族的経営から遠ざかる施策の片棒を担いでいるようにも感じる。

いい加減この悪いルーティンから抜け出さなくてはいけない。

でも、よく考えてみれば、合理化すれば、ますます楽になるわけなのだから、新しいことを考える余裕が生まれているはず。それをどういう訳か人員整理に結びつけるから話がおかしくなってくる。

もう一度原点に戻るべきだと思う。

起業した当時は、これでいいのかな?やっぱりこうすべきだったかな?と色々チャレンジしては、失敗を積み上げながら、発展してきたはず。

そんな、忙しい中、社員の士気を上げるためにいろんなレクリエーションが取り入れられてきた。社長の考えに惚れてみんなで頑張ってきたし、いろんな提案をみんなで考えては実行していたはずだ。

そういうトライ&エラーを繰り返していた創業時の雰囲気を取り戻すべきだと思う。

日本衰退の一番の原因は人事評価制度にあると思う。失敗したらバツがつくような評価制度で誰がチャレンジングなことをするだろうか?

だから「ストレッチした目標」という言葉遊びをしては結局現状維持にも行かないようなくだらないことをしているのが今の日本だ。

できそうもない「どえらいこと」をするのが日本人であったはず。今現状ですでにできそうなことは他の国もやってしまうのだ。普通は考えられないとてつもないことをしないことには日本の発展はないと断言できる。アメリカの経営者にはそういう発想ができる人がいるので、いまだに持続的に発展しているが、日本は従業員の足を引っ張る経営者ばかりで、せっかく出かかっている芽を根こそぎ摘んでしまう。

だから、そういう個人評価主体の人事制度は捨ててしまい、チームで動きやすくする対策をすべきだと思う。自由に提案を言い合い、失敗しそうでもやらしてみる。そういう雰囲気を作るべきだ。

まず、その第一歩として、家族で参加できるイベントや、社内旅行、保養所の契約など、社員のコミニュケーションが増大する施策を行うべきだと思う。なんでも言えて、どんどん「やってみよう!」と思える社員が増えれば、また日本も良くなって行くのではと思う。

大手企業こそこういう施策をやって、日本をもう一度復活させていくべきだと思う。
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