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半沢直樹と銀行の人事の世界

半沢直樹がものすごい視聴率だ。前回の携帯電話を取り出して、「これが証拠です」と黒崎検査官に見せるシーンは思わず水戸黄門の印籠と重なり、正義が悪を懲らしめる感じで、日本人の心の琴線に触れるのではないかと思った。それにしても堺雅人の演技力はスゴイなぁ…。

…と、テレビドラマの解説を今日は書くつもりはなく、そこに見え隠れする銀行の人事のあり方について書きたいと思う。

先日の投稿でも書いたが、とにかく銀行は人事に異常なこだわりを持つ会社で、人事部が大きな権限を持っていた。

先週の半沢直樹のラストで大和田常務が「君の人事の話だよ…」と言って、近藤の動きを封じていたが、あれくらいこだわりが強い。

僕は子供の頃からそういう「誰それがどうのこうの」という情報に疎くて、噂話みたいなのに参加したことがなかった。(耳が少し遠いのでコソコソと話をされても聞こえないというのもあるが、「我が道を行く」のはもう一生変わらないことだろう…。)なので、クラスでイジメが起きていても、自分だけ知らないことが多く、特段意識もせずにイジメられてる子と遊んだりしていていた。その子たちに感謝されてたことを20年も経った同窓会で知らされたりした。

ましかし、クラスのほとんどの子が知ってることでも知らないことが多く、「どこでそんな話聞いたん?」という問いかけを小、中、高校、大学と何回したことか…。

という感じなので、そういう人事の件ではいろいろ困ったことが多かった。人事の話をしてる時に、相手の言ってる意図がわからないのだ。

銀行員の特徴として、はっきり言わずに腹で探るような話し方をする人が多く、そんなのは全く僕にはわからなかった。主語がよくわからないのだ。それなのに、上の人に「わかったな。」とか念を押される。「いいえ、全然わかりません。」とは言えない雰囲気なのでとにかく大変だった。

銀行の場合、人事発令は毎月末にあり、翌月初には異動になる。

3月と9月末は昇格があり、その人事も誰がトップ昇格かといった噂で持ちきりになったりする。入行7年目くらいで、「代理」(支店長代理とか部長代理を省略してこう呼ぶ)の昇格で最初の選別がなされる。

僕はそのすこし前に実施されていた労務試験や人事の面談に呼ばれなかった。同期の半分以上が呼ばれてたらしいが、そういうのがあることも知らなかった。

僕は間違ったことを言う上司には徹底反抗するなど自分の好きなように仕事をしていたので、まあ呼ばれなかったのは仕方がないが、それにしても一生懸命仕事をしている人をマイナス評価するなんてどんな会社なんだろう?とも思った。

銀行はとにかく減点主義なので、マイナス評価があるとダメになる。一度☓(ばってん)がつくと、もう逆転は難しくなる。これは半沢直樹の小説の中にも何度か出てくる。ドラマの今回の近藤のように1年休職して出向している社員が本店に役職者として戻ることは難しいのだ。先週のドラマを見て「なんで近藤は裏切るんだろう?」と思った視聴者がいるかもしれないが、銀行ではそういう逆転がありえないという前提知識がないとわからないシーンだと思う。なので、悪いやつに徹底反抗する半沢直樹の行動は理想的ではあるけど、銀行員としてはなかなか勇気のいる行動だと思う。

しかし、まあそうやってマイナス評価を恐れ続けてどうするんだとも思った。あの頃からどうも銀行には違和感を感じていた。30歳の頃だ。

その最初の昇格がダメになるだろうことがわかって、お金を貯めるために会社の借り上げ社宅に入ろうと無理に真冬に引っ越したのが失敗だった。引っ越し直後に子供が重度の細菌性髄膜炎になり、生死をさまようことになってしまったのだ。

1ヶ月半カミさんと交替で病院に寝泊まりしながら会社に通勤していた。そんな矢先に上司から呼び出しをくらって、わざわざ昇格がダメだったことを通知し、しかも自分が評価したのではないような言い訳をするくだらない場があった。子どもが死にそうな時に昇格がどうのこうのと、わざわざ呼び出していうか?と思った。そのときに銀行とその銀行員に心底失望した。

そのことをきっかけに銀行は一生勤めるところではないなと確信した。「人の命よりも会社の人事の方が重いと感じている人たちばかりがいるところ」でなぜ働く必要があるのだろう。それでその後は、(カミさんから大阪に戻りたいという希望もあり、)そういう昇格とかにあまり関係のない大阪のシステム部への転勤の希望を出した。

その後、半年後にようやく大阪転勤が決まるが、髄膜炎の後遺症で全く耳が聞こえなくなって、その頃は立つこともできなくなった長男のリハビリ施設として、「帝京大学医学部の田中美郷教授のスクール」や「母と子の教室」などの聴覚口話法を主体としているところを走り回って、ようやく千葉市川市にある「筑波大学附属聾学校」の幼児教室に落ち着いたところだったので東京勤務の方がその時には良くなっていたのだが、人命よりも人事を重視する東京で僕自身が働きたくなくて、家族に無理を言って大阪に戻った。半年後みんなより遅れて昇格した。

大阪に転勤後は仕事はよくやったと思う。が、一度☓(ばってん)がついているため、なかなかその後も昇格しないままだった。まあ仕事ができれば良かったのであまり個人的には気にせず楽しく仕事をしていた。

が、その後、銀行合併時のシステムトラブルがあり、わざわざ避けていた東京転勤を突然言い渡されたので、それをきっかけに銀行を辞めることを決意した。その異動は全く人の意見を聞かずに決められた。障害の子を抱えて困っている事情など何一つ聞かれなかった。銀行員には人間の心が通っていないのだろう。

辞める決意をした後の話として、大阪の某部署でイジメられた話を先日書いたが、本当にうんざりするような次長とその取り巻きだった。

銀行は優秀な人も非常に多いが、こういうおかしな人事制度の元では途中で人間もおかしくなっていくのだろう…。

僕がこのブログで何度か人事制度批判をしているのはこういう事情があってのことだ。実際に現場を体験し、こういう人事制度がこれ以上日本に広まらないことを世の中に訴えねばと思っているのである。

やっぱり会社は「人」があってはじめて成り立つもの。会社の中で働く「人」を大事にしない会社はこれからの日本には存在してはいけないのだと思うのだ。

評価:
池井戸 潤
文藝春秋
コメント:ドラマ半沢直樹の後半部分の原作。僕も昔ホテル再建に絡んだことがあり、ぐっと来ます。

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