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「無駄」が大事なのでは

JUGEMテーマ:経済全般

各企業では「無駄」をできるかぎり排除し、効率的な経営をめざしているところが多い。

経営学の教科書にはそんなことを書いてある。「コストカット」だ。自社の短期的なことだけを考えればそれが正しいことなのかもしれない。しかし、車のハンドルにも「あそび」があるように、経営の舵取りにも「あそび」が必要なのではと思う。世の中つねに余裕がなければいけない。いつもギリギリでコストカットばかりを考えている会社にどれほどの魅力があるのだろうか?

バブル崩壊以降、なんだか、日本ではとにかく「無駄」を排除することに邁進してきたような気がする。がしかし、そのことでずいぶんと生きにくい世の中になってきているような気がする。

昨日見た番組で北野武さんが「昔はテレビ番組の予算がたっぷりあっていろんなことができた」と話していた。「近年はインターネットが普及してきて、オンデマンドで番組が見れたり、情報の多くがネットから取得できるので、テレビの役割が減ってきたからだ」などと知ったかぶりの評論家はそう言うだろうが、事のそもそもの発端はスポンサーが「無駄」を排除して、お金をあまり出さなくなってきているからだ。スポンサーがお金を出せば昔のようにできるはず。20年前から給料はそれほどあがってないのだからできないことはないのだ。

そういうことは日常でも見かける。先日、京都の下鴨神社に行ったのだが、この世界遺産の下鴨神社は式年遷宮の資金を捻出するため、敷地の一部を高級賃貸マンションとすることが決まった。これも昔だったら近くの企業が寄付金を納めていたのにそういう交際費が捻出出来なくなってきているのではないだろうか。どこの神社の石柱にも氏子さんの名前に混じって銀行や証券会社の支店、大企業の営業所の名前が彫られていたものだが、あの費用を出すことはコストカットで最近は難しくなっているのではないだろうか?

前の会社の徳島支店では阿波おどりの講を支店単位で出していた。ところが人員カットで講を構成できなくなってしまい、現在では全く参加していないようだ。

繁華街でも昔のような接待は見られなくなってきた。夜に接待をしてなんとか営業につなげるスタイルはいいとも思えないが、それでもお金は回り、いろいろな雇用を創出していたはずだ。ところが各企業の交際費が絞られて、今では一握りの金持ちだけの場所になっているように感じる。規模は縮小してしまい、中国人旅行客相手の慣れない商売をしている人たちも増えている。

ひなびた温泉宿に泊まると、昔は社員旅行で使われてたんだろうなあと思える舞台があったりする。5人位でそのだだっ広い大広間で食事をした時には、なんだかすごい侘びしさを感じてしまった。ここで昔は大勢でカラオケをしたり、踊ったりしたんだろうなあというのが目に浮かぶからだ。

考えてみれば昔の会社は無駄なことを結構やっていた。そもそもパソコンもインターネットも携帯電話もない時代、資料は手書き、プレゼンなどというのはなく言葉でのやりとりが多く、思い違いも多かった。海外出張の手配などは旅行業者がいなければ到底出来ず、現地でも地図だけでは不安で相当な準備をしなければ出張できなかった。

車がガス欠で交差点の真ん中で止まってしまっても、部署に連絡するには、ひとりで車を道端に置いて、それから何十分もかけて公衆電話のあるところまで歩いて行かねばならなかった。待ち合わせに遅れることの連絡も一苦労で、遅れないように相当余裕のあるスケジュールを立てていたと思う。

「無駄」だらけだった。そんなことを考えると、今は格段に効率がよくなり、仕事も猛スピードでできるようになったのだが、何か肝心なことが抜け落ちしているような気がしてならない。

余裕がないのだ。

年功序列型から個人評価型に変わってしまい、同僚がライバルとなり、短期的な成果を上げなければ出世レースから乗り遅れ、のんびりしていれば降格される羽目になってしまう。だれもが目先のことだけを考え、長期的な成果を生み出しにくい状況になってしまっている。

ところが日本はモノづくりが主体の国なのだ。工夫に工夫を重ねて改善をし、新しい品質の良い物をつくりあげていく風土があった。サービス面でも顧客のことを第一に徹底した品質とアフターサービスをこころがけていた。ところが目先のことを重視する風潮が高まれば高まるほどクリエイティブな発想はなくなっていき、現状維持にとどまるようになってしまった。

現状維持どころか、昨今の日本はサービス品質は格段に悪くなり、使い捨ての風潮が蔓延し、長く使うものを作らなくなってしまった。工場や現場でいろいろなミスが発生し、ボヤが発生し、社内はどんどんギスギスとしていく。ベテランを敬わず、マニュアルに頼る世代が非常事態に対応できなくなっているからだ。

だからこそ、日本の企業に余裕を取り戻す必要があると思う。

科学者が大きな発見をするのは、たいてい、ぼんやり歩いている時だったり、お風呂に入っている時だったり、寝ている時だったりする。ルーティンワークをこなしている時には大きな発見なく、実は「無駄」な時間にこそクリエイティブなことが生まれたりするのではないだろうか。

一見、現実とはかけはなれた研究をするというのが大切だ。短期的な成果は産まなくても20年先のことを考える研究チームがあってもいいと思う。先日、ホンダジェットが公開されたが、本田宗一郎氏が創業時から考えていた夢がようやく今実現したのだ。

企業には人々の役に立つ「大きな夢」とそれを「やってみよう」という余裕のある態度が必要だと思う。

短期的に「現状より少し「ストレッチ」した目標を立てましょう」などといういかがわしいい個人業績評価制度などは捨ててしまい、元の年功序列型に戻すべきだ。各企業はもっと長期の夢のあるプロジェクトをたくさん作っていくべきだと思う。

一見、「無駄」に見えることの中にもクリエイティビティはある。「無駄」を排除せず、働く人が「わくわく」するような組織、俺が俺がと自分の存在をアピールをするのではなく、チームとして協力しあう組織を作り上げていかなければならないのでないかと思う。

日本は「和」の国。

日本のバックボーンは何なのかということを考えずに、MBA的な発想でコストカットや収益至上主義で経営をしても長くは続かないのだと思う。
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