なぜ、その子供は腕のない絵を描いたか
2005.05.23 Monday 23:57
なぜ、その子供は腕のない絵を描いたか
藤原 智美
「「家をつくる」ということ」という本からはじまって、「家族を「する」家」、「「子どもが生きる」ということ」と、藤原智美さんの本は「家」にまず着目し、そこから、そこに住む家族に焦点がうつっていき、今は子どものことを描いている。
戦後の高度経済成長期をすぎて、どうも核家族の周辺がおかしい。
私の実家も昭和40年代の高度経済成長期に建てられた新興住宅地の一角にある。ほぼ同じ年代の親たちが2000世帯も過ごすニュータウンだ。ぼくらが子どもの頃まではよかったのだが、大学を卒業するころから途端におかしくなってきた。
私もそうなのだが、大部分の子ども達がいっせいにその街から姿を消したのだ。それは当然の成りゆきなのだ。同じ時代に同じ年代の人々が核家族を構成したのだからしかたない。子ども達が都心に出れば、残るのは老人たちだけなのだ。ニュータウンの中央部分にあった商店街も姿を消し、昼間でも静かな街は不気味な感じを醸し出す。
おかしな現象が発生したのは、やはり、私が大学を卒業するころだ。僕らの親世代の人たちの多くが特に母親が精神的に変になっていったのだ。こどもたちが手を離れて、ぽっかりと心の中に空洞ができたのかもしれない。原因はよくわからない、子離れできなかったのかもしれないが、当時としては、共働きの多い地域だったにもかかわらずである。
ニュータウンのコンクリートの無機質な街づくりが問題なのかもしれないが、真相はよくわからないが、やはり子どもが家から出ていって生き甲斐をなくしてしまったのが一番の原因なのかもしれない。
この本では、母親の過剰な干渉が子ども達に「腕のない絵」を描かせるとしているが、当時の私達にくらべて、最近はさらに余裕がなくなってきているのかもしれない。子ども達も遊び場がなくなり、家にいる時間が長くなっている。いきおいストレスの多い母親はますますそのストレスを子どもに向けるのだろう。
社会のあり方、家族のあり方、いろいろな問題が噴出しているなか、徐々に日本人の子ども達は蝕まれているのかと思うと、胸が苦しくなってくる。
読後感がとても重たい本なのだけど、明日に向かって、子ども達にどう接するべきなのかを教えてくれる本でもある。
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