ウォーキング再開

履中陵

今朝から、また土日のウォーキングを再開した。夏は暑くてウォーキングをさぼっているとしっかり体重が3.5キロ増加してしまったので、もう一度体を絞り込む為に歩くことにした。履中天皇陵を通ってTSUTAYAまで歩くコースはだいたい6km程度あるので結構な運動だ。(写真は履中天皇陵)

歩いていると、犬の散歩をしている人が多い。先週は仁徳天皇陵の近くを歩いたのだけれど、そこでも大きな犬を散歩している人が多かった。このあたりはうまく公園を整備すれば、ロンドンのハイドパークのようになるんじゃないかと思うんだけど、まあ、大阪府はお金がないから無理な相談かな?大阪女子大跡を住宅業者に売却するようなことがないことだけを祈りたいものだ。

昨日はこの百舌鳥古墳群の一つ御廟山古墳の見学会があったようで、地元の人間としては是非これらの古墳群が世界遺産に登録されることを願ってやまない。世界遺産に登録されれば、もう少し景観保存がなされるのではないかと思うのだ。

一昨日は丹波篠山でぼたん鍋を食べて一泊してきたのだけど、その帰りの電車で「仁徳天皇陵って教科書ではなんか名前が変わったんだよね」という話になった。

そうそう、何故か教科書には「大山(だいせん)古墳」と表示されている。まったく聞き慣れない名前だ。地元の人間はだれもが仁徳天皇陵と呼んでいる。確かに隣の公園は大仙公園といい町名は大仙町なのだけど、陵墓は間違いなく仁徳陵なのだ。なのに教科書では大山古墳という名前を徹底し、天皇の名を出さないようにしている。

「実際に埋葬されているのが仁徳天皇かどうか怪しい」というもっともらしい理由をつけて名称を変更したそうだが、実際のところは、左翼が支配的な教育界では天皇イコール軍国主義だと思っているからなのではないだろうか。これはどう考えても行き過ぎだ。地元の人が仁徳さんと呼んでる仁徳天皇陵を無理矢理「だいせんこふん」と呼ばせるのはあまりにもおかしい。ピラミッドもクフ王の墓ではないことが判明しているがそれでも今でもクフ王のピラミッドのままだ。仁徳陵と呼んでいた長い歴史を20年ほどで葬っていいのか?

戦時中の軍国主義に行き過ぎがあったとしても、それはその時代の話であって、今の日本はもっと堂々としているべきだ。それよりも古墳時代の仁徳天皇と軍国主義を同列に考えて名前を伏せたままにしている教科書とは一体何なのだろうかと思う。教育界に正しい歴史観を取り戻して欲しいものだ。

また、話がそれてしまった。

話を戻すが、朝歩くのは本当に気持ちいい。
毎週続ければ22日の人間ドックの日には多少は正常値に近づいているのではないかと
密かな期待を抱いているのだけれど…(忘年会が心配)

メタボ脱却 | comments(0) | trackbacks(0)

地下鉄(メトロ)に乗って

「地下鉄(メトロ)に乗って」のDVDをTSUTAYAで借りてきた。

ううん。。なんだか哀しい。。岡本綾の役どころがあまりに切なくて哀しい。浅田次郎の原作を読んでないので何とも言えないが、原作もこんなストーリーなのだろうか。。。映画そのものは出演者の演技がとてもすごく(特に大沢たかお!)いい映画だとは思うのだけど、ちょっとクライマックスが哀しすぎる。

あと、岡本綾を見ていると、昔好きだった人にものすごく似てて、あの頃の日々を思い出してしまったではないか。ホントに哀しい。。僕個人の切なさとストーリーの切なさがあわさって、非常に苦しい映画だった。夜中に見たので、なかなか寝付けなかった。

あとで、ネットで調べると、この岡本綾って中村獅童が飲酒運転で捕まった時に横に乗ってた人なんだね。事件の後は女優を休業しているとのことで、とてもザンネン。

今日東京に出張してたのだけど、東京で働く彼女に会えないかなあと、普段はJRなのに、今日はこの映画の舞台の銀座線に乗ってみました。(もちろん会えませんですけど…)

40過ぎて何やってんだろう…。
映画 | comments(0) | trackbacks(0)

街場の教育論

評価:
内田 樹
ミシマ社
¥ 1,680
最近、内田樹先生の本ばかり読んでいる。もちろんブログも毎日のようにチェックしている。

その内田先生の新刊がこの本だ。昭和のエートスというのも同時に発売されているが、教育に興味があるので、まずはこの本を手に取った。

書かれている内容は教育論というよりは社会論。なぜこんな社会になっちゃったのかということを独自の視点で書いている本。講義録をもとに作られたとのことだが、こんな講義を受けれる神戸女学院の生徒は幸せだなあと思う。大学っていうところは、本当はこういうことを考え、議論し、思考力を身につけるところなんだろうなあと今更ながら思う。私の学生時代は一体なんだったんだろうと思いながら、40を過ぎてはじめて学問に目覚めた感じだ。

この本の中で特に感銘を受けたのは、一つは「学ぼうとする人にはメンターが必要」だということ、もう一つはキャリア教育の問題点だ。

前者のメンターが必要という点は結構見落とされがちだ。師のいない教育なんて成り立たない、という至極当たり前のことが今の世の中では忘れられているような気がする。e−ラーニングがうまく行かない理由もこのことがポイントだ。メンターの存在が皆無の自習だけの教育というのはありえない。「場」の持つ意味は確かに強力だと思う。大学のキャンパスという場があってはじめて成り立つ話は多い。

社内でもe−ラーニングを推進しようとしている人たちがいるが、所詮小テストにしか使えない代物だ。教育という場にはメンターとなる師や競争相手や「かしこいんやね」と言ってくれる女の子という存在があってはじめて成り立つのであって、それなしには頑張れないのだ。(本の内容からちょっとそれたかも)

後者のキャリア教育の話はなるほど〜と思った。会社の面接官を何回かやって思ったことは、入社希望の学生が面接室に入ってきた最初の5秒で決めれるということだ。以前から思ってたことをこの本でもズバリ指摘している。

大学までの受験勉強ではインプットしたことが何らかの成果にあらわれたが、就職活動ではそれまでの受験勉強とは全く違うことで面食らう学生が多いらしい。しかし、会社の論理はあくまで一緒に仕事をしたい人を選ぶだけなので、内定をもらえる学生はどこの会社でももらえ、5秒で×のつく人はどこへ行っても×なのだ。

あまりにもひどい人には「君、そんな態度だとどこ受けても落ちるよ。今度からは○○××…しなさい」と教えてあげていた。その後どこかの会社で拾ってもらえたかどうか心配だが、本当にどうしようもない学生が多い。

この本でも述べられていたが、現代はあまりにも個性を強調しすぎたため、自分さえよければという考え方が蔓延している。会社に来る営業担当者も自分のことを考えている人が多い。本当はお客様のためになることを提案するのが仕事のはずなのに、全く自分本位で相手のことを考えてない人が増殖している。

日本人は「和の文化」だったはずなのに、いつのまにか人間関係が希薄になり、アメリカからやってきた俺俺文化が幅を利かせるようになってきた。

その根底にあるのが教育だと思う。なかなか変わりようがない教育だが、もう少し日本の良かった点を思い出し、もういちど舵を切り直さなければ行けない時代に突入したのではないかと思うのだ。


読書 | comments(0) | trackbacks(0)

ドラマ「ジャッジ2」から学んだこと

NHKの土曜ドラマ「ジャッジ2〜島の裁判官奮闘記」というドラマが終わったが、西島秀俊扮する島(奄美大島をイメージした大美島)の裁判官の言動やコミュニケーション時の態度がとても勉強になった。

ドラマでは、いろいろな事件が島でおこるのだが、裁判官は上から見下ろす態度で対応するのでなく、常に相手の目線に降りて話を聞く態度をしていた。こういうのはなかなか実際には身に付かないと思う。私など、レベルの低い話や内容のない長話には、ついていけなくて、ついつい怒ってしまう。

コーチングの世界でも「傾聴」という態度が要求されるが、なかなか難しい。仕事での部下からの報告を聞いてるとすぐ「先に結論言ってくれない?」と言ってしまいがちだ。でも日常生活はビジネスとは違うので、まわりくどい言い方しか出来ない人が多い。仕事と生活を切り離さなくちゃいけないし、仕事でも直接の仕事仲間以外は、コミュニケーション不全に陥り易いので気をつけなくちゃいけない。

裁判官は判決を下す立場なので、、自ずと慎重な物言いになるのかもしれないが、ああいう態度は見習わなければと思った。

仕事で、ついつい「アホちゃうの。」とか「最低な施策やな」と自分の思った通りに批判してしまうのだが、今後は気をつけてモノを言うようにしたい。なかなかすぐに性格が変わるとは思わないけど、批判してても会社は良くならないし、損なだけだ。特に、判断を伴うものはこれからは慎重に言葉を選ぼうと思う。

麻生首相がさっそくいろいろ問題をおこしているが、偉くなればなるほど言葉は大切にしなければね。
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瓶入りコーラの販売機

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スーパーの自販機コーナーに昔なつかしコカコーラグッズみたいなものが置いてあった。この自販機もその一つ。アメリカングラフィティの時代にアメリカにあったような自販機だ。

日本が昭和30年代を懐かしむように、アメリカ人だって昔の方がよかったなんて思っているかもしれない。なんだか、あの頃はいまよりずっと不便だったのに、なんだかいいよなあと思ってしまう。

だけど、今、あの時代に戻ったら戻ったできっと生活できないだろう。懐かしむぐらいがちょうど良いのかもしれない。
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子どもは親を選べない

昔のおもちゃ売り場では、よく「買って、買って〜」と泣き叫んでいる子どもを良く見かけたが、最近はほとんどみかけない。

それもそのはず、よくよく観察していると、気前よく、何千円もするおもちゃをばんばん買っている。そのほとんどがジジババである。子どもたちはおじいちゃんおばあちゃんにおねだりすれば欲しいものがすぐに手に入るという構図だ。

だから、昔のように泣き叫んでいる子どもたちが減っているのだ。こんなことでいいのだろうか?

親が子どもたちに教えなければいけない一番大切なことは「我慢をする」ということだ。それなのに現状は、子どもたちは全然我慢なんて必要ない状況になっている。むしろ親が我慢して子どもにわがままをさせている状況だ。こんなバカなことがあっていいのだろうか。

ジジババは孫なんかにかまっているんじゃなくて、残り少ない自分たちの人生を充実するための投資を行なうべきだ。その方が日本の経済のためにもかなり大きな貢献になる。潤沢な個人資産を孫のために放出するのではなく、自分たちの趣味、住居、旅行などに使うべきだ。孫や子どもに楽をさせる必要など全くないのだ。

現代の親世代は本当に軟弱になっている。子どもに好き放題させて、全く毅然とした対応ができない。だから子どもたちはつけあがり放題だ。もっとカミナリオヤジが増えるべきだと思う。

学校も同様で、先生たちが友達感覚丸出しでとても見てられない。どちらかといえば、横暴とも思えるくらい威厳をもって子どもたちに接するべきだ。同時に親ももっと先生たちに敬意を払うべきだ。ところが、今の政治家と同様、先生たちも全く敬意を払う対象になっていない。これが日本の問題の根幹だと思う。

昔は警察官や先生は畏怖の対象だった。先生の言っていることが絶対で、親が先生にとやかく言うなんてことは絶対になかったし、考えられないことだった。先生に怒られればすべて子どもが悪いということで親は自分の子どもを叱っていた。ところが現在は自分の子どものバカさ加減を棚に上げて、信じられないことに先生を攻撃するのだ。

行列のできるナントカという番組の影響だと思うが、「訴えてやる」という親が急増中だ。そんな輩に「そんなに言うなら訴えろバカ」と言える教師がいなくなってしまったのが悔しい。実際裁判の費用を払ってまで訴える親なんか数えるほどしかいないのだ。もっと教師は毅然と対応しなければいけない。

モンスターペアレント急増の世の中で、子どもたちはますますバカになっている。金髪にしている子どもたちやだらしない格好をしている子どもも多いが、そんなバカな格好をさせる親は何ものなのだろうか。同じ日本人としてとても恥ずかしいし、大声で注意したくなる。(本当に言う時もあるけど…)

日本人としての最低限の常識を破壊したのは誰なのか。

その一つは国の為に死んでいった人々を大事にしないというあやまった思想が日本に蔓延している点も大きい。祖先を蔑ろにするその罰が当たったのだろうと思う。村山談話はすぐにでも撤回してほしい。ことの本質はそのあたりにあると思う。

戦争を悪としてそれを非難することはとても容易いし、わかり易いが、歴史はそれほど単純ではない。その時の社会状況を考慮せずにいたずらに祖先を犯罪者として扱うことで日本民族を陥れることが戦後教育でなされてしまったこと、またそれをタブー視してしまったことに現代日本教育が抱える大きな問題があるのだ。本当にここ20年ほどですっかり日本は変わってしまった。

田母神論文にもあったが、昔の日本人は本当に素晴らしかったと思う。この素晴らしい日本を育んできた祖先に感謝し、世界に誇る国に今後もしていくためにも、僕たちはやはり間違ったことは間違っているとはっきりいい、現代のあやまった風潮に対して毅然と抗議していかなければならないのだろうと思う。
社会論 | comments(0) | trackbacks(0)

言葉狩りの国

兵庫県知事が東京大震災が起これば「チャンスだ」と知事会かなにかで発言したことが問題になっている。

確かに不用意な発言だが、それは会議に参加している人たちが、「それはあんた言い過ぎやで」とたしなめて、「いやあ、そう言う意味じゃないんだけど、すまんすまん」と応えれば済む話のような気がする。ニュースになりようにもない話だ。

それをマスコミは鬼のクビをとったかのように次から次へと糾弾する。しかも謝罪しているにもかかわらず、今度は「発言を撤回していない」と叩き込む。マスコミの論理はそうやって自分たちの納得する型の中に無理矢理押し込めようとするのだ。簡単に撤回できるような言葉だったら、先程述べたように会議の議事進行中に「すまんすまん」と撤回すれば済む話なのではないか。どこの世界に震災で人が被害にあうことを喜ぶ人がいるだろうか。知事がそう思っていってないことは明らかだ。「地震が起こることを想定して、東京一極集中を分散することを考えるのにいいチャンスだ」という意味のことを言いたかったはずだ。現に言い方がまずかったと語っていたではないか。

今のマスコミのやり方は「言葉狩り」としかいいようがない。
この前の中山前国交相のときも全体の発言をとりあげず、失言三連発などといい、揚げ足ばかりをとっていた。

世論はマスコミによって形成されるだけにおそろしい。田母神論文事件でも朝日や毎日の主張を聞いていると本当に戦前の日本はひどい国だと思ってしまう。

しかし、田母神さんが言いたかったのはおそらく論文の最後の部分だと思う。日本人の大人の大半は田母神さんの意見に同調していると信じて疑わないのだが、もしもマスコミの意見をうのみにしている人々が多いのであれば、日本もおそらく近い将来崩壊するしかないだろう。

田母神論文より
日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。

この論文は私からすればごく当たり前のことを主張しており、日本人として誇りを持てる良い内容の論文だと思う。

戦争は常にマスコミのプロパガンダから始まる。国民がマスコミの言っていることをちゃんと取捨選択する力を持たなければ、簡単に誘導されてしまう。今の国民の反応を見ているとマスコミの想い通りに動きそうな気配があり、とてもおそろしい。

日教組が問題と中山前国交相が言っていたが、今月号のSAPIOを読んでいると大臣の発言の方が間違っていなかったとあらためて感じる。結局大臣は辞めてしまったけれど、「言葉狩り」がこれ以上進まないこと、および、変な思想が日本人に根付かないようにして欲しい。特にマスコミの関係者はもっと国民に対して責任を感じて欲しい。自分たちの思想を日本国民に注入する為に会社が存在するのではないのだ。マスコミの使命は日本を良くするため、世界を良くするためではないのか?
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勝間和代のビジネス頭を創る7つのフレームワーク力 ビジネス思考法の基本と実践

今年はいわゆる勝間本がビジネス書を席巻しているけど、この本も本当にためになると思う。とてもよくまとまっており、頭の整理ができる。

基本的なフレームワーク21選として「戦略の3C」とか「マーケティングの4P」「PDCAサイクル」などおなじみのフレームワークが出てくるし、それ以外にも「組織の7S」とか「WillーSkillマトリクス」などいろいろと図解で解説しているページが特に便利。

なお、この本で言うビジネス思考力とは次の7つ
1)論理思考力
2)水平思考力
3)視覚化力
4)数字力
5)言語力
6)知的体力
7)偶然力
それぞれについて具体的に書かれており大変勉強になる。

特に知的体力のところで「三毒の追放」というのが書かれており、これは大事だなあと思う。仏教で言う百八の煩悩の中でも最も強力なものを「三毒の煩悩」というのだそうだが、次の3つ

1)貪欲(とんよく)…むさぼり欲しがる心
2)瞋恚(しんに)…怒り腹立つ心
3)愚痴(ぐち)…言っても甲斐のないことをくどくどと言って嘆くこと

これを追放するのが大事だということだ。
私もこの本を読んで以来「妬まない、起こらない、愚痴らない」を手帳に書いて自分に言い聞かせています。

他にもいろいろなノウハウ満載の本でした。

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