ウォーキング再開
2008.11.30 Sunday 09:50
今朝から、また土日のウォーキングを再開した。夏は暑くてウォーキングをさぼっているとしっかり体重が3.5キロ増加してしまったので、もう一度体を絞り込む為に歩くことにした。履中天皇陵を通ってTSUTAYAまで歩くコースはだいたい6km程度あるので結構な運動だ。(写真は履中天皇陵)
歩いていると、犬の散歩をしている人が多い。先週は仁徳天皇陵の近くを歩いたのだけれど、そこでも大きな犬を散歩している人が多かった。このあたりはうまく公園を整備すれば、ロンドンのハイドパークのようになるんじゃないかと思うんだけど、まあ、大阪府はお金がないから無理な相談かな?大阪女子大跡を住宅業者に売却するようなことがないことだけを祈りたいものだ。
昨日はこの百舌鳥古墳群の一つ御廟山古墳の見学会があったようで、地元の人間としては是非これらの古墳群が世界遺産に登録されることを願ってやまない。世界遺産に登録されれば、もう少し景観保存がなされるのではないかと思うのだ。
一昨日は丹波篠山でぼたん鍋を食べて一泊してきたのだけど、その帰りの電車で「仁徳天皇陵って教科書ではなんか名前が変わったんだよね」という話になった。
そうそう、何故か教科書には「大山(だいせん)古墳」と表示されている。まったく聞き慣れない名前だ。地元の人間はだれもが仁徳天皇陵と呼んでいる。確かに隣の公園は大仙公園といい町名は大仙町なのだけど、陵墓は間違いなく仁徳陵なのだ。なのに教科書では大山古墳という名前を徹底し、天皇の名を出さないようにしている。
「実際に埋葬されているのが仁徳天皇かどうか怪しい」というもっともらしい理由をつけて名称を変更したそうだが、実際のところは、左翼が支配的な教育界では天皇イコール軍国主義だと思っているからなのではないだろうか。これはどう考えても行き過ぎだ。地元の人が仁徳さんと呼んでる仁徳天皇陵を無理矢理「だいせんこふん」と呼ばせるのはあまりにもおかしい。ピラミッドもクフ王の墓ではないことが判明しているがそれでも今でもクフ王のピラミッドのままだ。仁徳陵と呼んでいた長い歴史を20年ほどで葬っていいのか?
戦時中の軍国主義に行き過ぎがあったとしても、それはその時代の話であって、今の日本はもっと堂々としているべきだ。それよりも古墳時代の仁徳天皇と軍国主義を同列に考えて名前を伏せたままにしている教科書とは一体何なのだろうかと思う。教育界に正しい歴史観を取り戻して欲しいものだ。
また、話がそれてしまった。
話を戻すが、朝歩くのは本当に気持ちいい。
毎週続ければ22日の人間ドックの日には多少は正常値に近づいているのではないかと
密かな期待を抱いているのだけれど…(忘年会が心配)