1960年代のワクワク感が今の日本にあるか?

リオのオリンピックが終わり、4年後に東京にオリンピックが来るのだが、1960年代に日本国民が感じていたワクワク感が今の日本にあるだろうか?

 

1960年代を振り返ると、1960年の池田勇人内閣による「所得倍増計画」で幕を開け、それ以降、オリンピックに向けて首都高速道路を整備し、羽田と都心を結ぶ東京モノレールを作り、東海道新幹線を開通させ、1058室のホテルニューオータニをはじめとした大型ホテルが次々と開業、渋谷・池袋・新橋などの駅前にあった闇市マーケットを一掃しステーションビルを作り、オリンピック競技場に至っては、駒沢オリンピック公園(サッカー競技場、第二球技場、体育館)、国立屋内総合競技場、付属体育館、日本武道館、渋谷公会堂を次々と作るということを一気に行った。もう国民全員がオリンピックに向けてワクワクドキドキ、なんかスゴイなーと思っていた時代であったと思う。

 

今は当時と同じ東京オリンピックの4年前なのだが、所得倍増計画も無ければ、首都高速を整備し直すとか、街を作りなおすとか、そんな話は一切なく、国立競技場にカネがかかり過ぎとか、東京都議会のドンがどうのこうのとか、オリンピックロゴがダサいとか、ボランティアの衣装が韓国風だとか、なんかくだらない、どうでもいい話しか聞こえてこず、全くワクワク感のないままオリンピックの旗を小池都知事が持って帰ってきている状況だ。

 

小池都知事はオリンピックの費用について調べていくとか言っていたが、そんな話ではなく、「2020年に向けた日本再生のグランドデザインはどうなっているのか?」ということを前提に何をこれからしていくべきなのかを問題にすべきである。

 

それは都知事だけの領域の話ではなく、国会議員をはじめとした日本国民全員がもう一度考えなおさなければいけないことだ。

 

企業はもちろん自社の利益のために活動をするのだけれど、日本の再生のための新しいことを考えないといけないと思う。「景観を損ねている首都高速道路の付替えをしませんか?」とか、「電線の地中化を一気にやりませんか?」とか、「超高級ホテルを誘致しませんか?」とか、「ロボットを駆使して案内センターに置きませんか?」とか、「キャラクターを活かしたコンテンツ・ビジネスをもっと海外に出しませんか?」とか、いろいろ国に提案できるのではないだろうか?

 

オリンピックにネガティブな感情をもっている国民が多いが、この前のリオのオリンピックを見て、やっぱりオリンピックってイイなと思ったはずである。なので、オリンピックをレバレッジとして日本を再浮揚させる目的で、どんどん投資を行うべきだと思う。

 

そもそも8月に開催しても良いのか?という初歩的な疑問を感じてしまう。暑すぎる日本でマラソンをするなんて想像できない。画期的に涼しいコースに出来るのであればそれはそれで「ものづくり日本」を宣伝できるけど、そんなこと誰も考えていないのではないだろうか。

 

オリンピックに至るまでのプランが全然国民に見えない。この大規模プロジェクトのリーダーは一体誰なのか?

 

もし、プロジェクトリーダーがちゃんといるのなら、もっと日本国民がもっとワクワクするように、オリンピックに向けたあっと驚くようなものすごいプランを公表するべきだと思う。というか、4年前なのでもう公表してないとおかしいと思うのだ。

 

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日本は模倣の力もなくなってきたのだろうか?

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IT関連のセミナーに行っていつもげんなりするのが、すべてがアメリカ発の製品の話ばかりで日本発のものがないということだ。パソコンのOSはWindowsかMacOSか、タブレットもAndoroidかiOSか、クラウドはAWSかAzureか、という感じで日本発のものはない。いろいろなITソリューションも、日本独自、日本発のものなんてほとんどない。検索サイトも中国は百度、韓国はNAVERと独自のものをつくっているのに日本にはそれすらない。

 

戦後の日本はなんだって模倣して自前で作っていた。

冷蔵庫も、洗濯機も、テレビも、ステレオも、エアコンも、自動車も何でもかんでも工夫して日本独自のものを創りだして製品にしていた。家電業界は今もまだ独自製品開発に頑張っていると思うのだが、先日電話を買い換えて気がついたが、FAXはまだリボン式だった。FAXはリボンという固定観念があるからなのだろうか?昔とあんまり変わってないなあと感じた。画面でFAX内容が確認できるのであればそれをPDFにしてクラウドにあげるとか、今や一家に一台はあるプリンタに出力させればいいのだ。なんか工夫がないと感じた。テレビも4Kとかの液晶ディスプレイはスゴイのだけど、有機ELディスプレイは韓国が殆どのシェアを持つし、なんだかここ最近の日本企業の独創力がなくなってきている気がしてならない。

 

パソコンだって昔はN88BasicとかのOSを作って、模倣ではあるけれども独自にパソコンを作っていた。ワープロソフトも一太郎とか松とか日本独自に作っていたのにいつのまにかWord一本になってしまった。

 

なんだろう、このなさけない感じは…。

 

戦後の日本は創意工夫の塊のような創業社長が多く居たということもあるだろうが、今だって同じような気持ちを持った若者は多いだろう。ところが、受験競争→有名大学→就活→成果主義の大企業に就職という流れの中で優秀な頭脳はスポイルされてしまうのではないだろうか?

 

アメリカの企業が元気なのは、スタンフォードなどの有名大学を出た若者は起業を志すのが多いという点かもしれない。

 

大企業で世渡り上手になったところで革新的な製品が生み出されるはずがない。しかも成果主義の名のもとに、「昨年よりちょっとストレッチした目標を立てましょう〜」とかバカなことやっていては飛び抜けたことはできないだろうし、失敗を恐れるがゆえに冒険しないということになってしまう。

 

スティーブ・ジョブズにしてもそうだが異端児でなければクリエイティブなものは生まれない。

 

みんなが同じような服を着て、同じような就活をして、同じような大企業に就職して、アメリカが言ってるグローバル・スタンダードにしたがって、言葉だけは流暢に英語を喋れたところで、日本を牽引するような製品は生まれないのだと思う。

 

だから大企業から成果主義を廃止したいと思っている。どんどんヤンチャにチャレンジしていくことでしか発展はないと思う。

 

最初は模倣でも良いのだ。とにかく日本独自の製品を作って、海外に売り出すということをもっと積極的にやっていかなければこの国は早晩成り立たなくなるのではないだろうか?と思うのだ。

 

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