2016年 今年の干支は丙申(ひのえさる、へいしん)

今年の干支は「丙申(ひのえさる・へいしん)」である。

干支は十干と十二支の組み合わせで60年で1サイクルになっている。一昨年の甲午は干支の31年目にあたり、そこで陰から陽に反転し、今年で陽に転じて3年目にあたる。

実際、経済面で見ると「陽」に転じてきており、昨年度末大納会の日経平均株価は19年ぶりの高値で1万9033円で終了。景気が上昇しつつあるように感じている。ただ、まだまだ我々サラリーマンの所得にまでその効果は波及していないのが残念だが、徐々に改善していくことは確かだと思う。

政治面については昨年のブログで下記のように予想していたが、あたっているのではないだろうか。

今年は改革の流れがまだはっきりとは出現しない上に、旧来の反対勢力である足元が見えていない理想主義者達に翻弄される場面も多いが、未来を信じて日本人みんなが力をあわせて奮闘努力すれば、必ず解決の糸口が見え、発展の兆しが見える年になるのではないかと思います。ただ、海外の混乱は今年も昨年以上に進む可能性が高く、その余波を受けて、日本の進む道に障害が発生する可能性も高いが、謙虚に着実に進むことでそれらの障害を突破でき、そのことにより、日本の国際的地位も更に向上する年になるのではないかと思います。

昨年はなんといっても新安保法案で、共産党やSEALDsという団体が「戦争法案」と連呼し、こともあろうか時の総理大臣を罵倒し、60年安保のころのように国会前でデモを繰り返すという事態が発生していたが、いざ法案が可決した途端に活動が終了してうやむやになってしまうという状況を見た。彼らに肩入れしていた人たちもさぞがっかりしたことだろう。中国の領土的野心が高まっている中での安全保障法案は中国に対する抑止力として必要不可欠なものであり、良い流れになったのではないかと思う。

また、年末には元慰安婦問題についても電撃的に日韓合意が成立し、「今後蒸し返さない」と言う言質を韓国から引き出した。その上に米国からその合意についての評価が得られ国際的なニュースになったのは大変良かったのではないだろうか?これについても昨年のブログでこう書いている

他国を引きずり降ろそうと過去の悪口ばかりを訴えるような方法ではいずれ誰からも信用されなくなり、日本のように今を誠実に行動していくことが評価されるようになるはず。なので我々も昨年のように中韓を貶めるような言動は慎み、日本人として謙虚に前向きに生きていけばきっと形勢は逆転するものと考えます。

このように政治経済の両面で日本の置かれている状況がやや向上してきているが、不安定要素もまだまだあり、今年はどんな年なのかをまたまた安岡正篤の「干支の活学」をひもときながら予想してみたいと思う。

まず丙申の「丙」について。

 

丙は乙より進んで陽気の発展した象。丙は炳(あきらか・つよし)を意味するが、文字の成り立ち=一・冂・入が示すように、一は陽気、冂はかこい、物盛んなれば哀うる理で、陽気がすでに隠れ始めることを意味する。

十干は植物の成長に対比されるのであるが、乙は芽が出始めて屈折している状態であるが、丙は芽が出て地上に出現した状態を表している。一番上の一が陽光を意味し、冂は広がるという意味もあるので、芽が出て大きくなろうとしているということである。だが、陽光が入って来ているが、冂はかこいの意味でもあるので、かこいの中に陽が入るとその明るさが減ずるようにせっかく出てきた芽がしぼんでしまう可能性もまだまだあるという意味を表す。
 

また、「ひのえ」というように火の兄なので、エネルギーが強く、燃え盛る状況を意味するので、事業なども発展する可能性が高い、ただかこいの冂があるため、有頂天になっているとそのエネルギーも反転する可能性があるという意味でもある。

次に「申」について。
 
申の金石文字(殷・周時代)の形は電光の走る象形である。神の初形とされている。電光が斜めに屈伸して走ることから、申は伸に通じ、伸びるという義に通じる。この電光の屈伸を人や物事の屈伸にも適用され、伸張、伸舒というように用いられる。
ということで、丙申を合わせて考えると、昨年まで土の中でもがきながら屈折していた芽が地上にあらわれ、エネルギッシュに更に伸びていく年ということが言えるのではないかと思う。ただ、冂(かこい)の話もあったように、エネルギーが過度に注入され有頂天に拡大していると突然陽気が遮られ、衰退していく可能性もあるので、慎重に進めながら発展させていくと良い年になるのではないかということである。

60年前の丙申の年は1956年(昭和31年)。この年は同年発行された経済白書で「もはや戦後ではない」と書かれ、前年1955年から始まった神武景気が本格化し、冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビを三種の神器と言い始め、経済がこの年から本格的に成長基調になった年でした。また外交的には日ソ共同宣言が調印され国際連合に加盟したのもこの年で、やはり丙申の年は前年までに膨らみ始めていた芽が伸張する年と考えられる。

以上のことから、今年2016年を予測すると、引き続き経済については堅調に伸びていくものと思われ、前年までの輸出関連の伸びが更に進み、原油価格の低価格化や原子力発電の再開などによる輸入減少で貿易黒字の伸展もあるし、また、2020年のオリンピックに向けた内需もあるため、国内景気は引き続き上昇するものと考えられる。ただし、中国や中東などの動向が不安定要因となり、また消費税やTPPの関係で夏以降の相場は不安定になる可能性があります。

また、ひのえ(火兄)ということもあり、火のエネルギーは強く、120年前の明治29年には函館大火(2200戸焼失)や越前勝山町大火(1200戸焼失)が発生している。60年前の昭和31年にも富山魚津大火(1583戸焼失)などが発生しており、火の災害が予想される。現代では大火は発生しにくいと思われるものの昨年同様、火山の活動が活発化する可能性は捨てきれない状況です。

外交的には昨年末の慰安婦問題日韓合意を受けて、韓国との関係は改善に向かい、嫌韓ムードは退潮するのではないかと予測します。また年末年始のプーチン大統領の行動からロシアとも北方領土で何らかの伸展があるのではないかと考えられます。中国については引き続き近隣諸国との関係を強化(特に韓国)し領土的野心を抑えこむ方向に進むと思われるものの不安定な状況は引き続きつづくものと思われ、経済的な関係においても夏以降変化があると思われます。また、中東の動きは中国以上に世界経済の不安要素になり、夏以降の相場の下落を引き起こす原因になる可能性があります。

国内の動きとしては、国民全体が内向き志向になってきており、現状維持を願う勢力が台頭してきているものの、今や世界はボーダーレスになってきており、欧米の動きも日本に直接関係してくる時代になっているため、日本の成長を阻害している原因を国内に求めて内部攻撃をするのではなく、目を外に向けて世界的な視野で国民一人ひとりが行動しなければならないのではないかと思います。

以上、本年は政治的にはまだまだ不安定要素があるものの、引き続き景気が回復し伸展する年と予測します。ただ、特に経済は国民の気持ちに左右される面が大きく、実際のサラリーマン世帯の所得増加が現実化しないことには、景気も減衰する可能性も残されており、政治家はもちろんのこと、各企業の経営者が夢を持って新しい未来に歩を進められるかどうかが鍵になるのではないかと思います。
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インドで僕も考えた



インドは北京よりもPM2.5が酷いらしいというのは聞いていたのだが、こんなに酷くなってるとは思わなかった。寒くなるこの時期暖房のために焚き火をするのが原因らしいが、それにしても酷い煙霧だ。



あと、ニューデリーに向かう道の歩道にあたる部分がかなり汚い。



火山灰のようなPM2.5が草を覆い、歩道は砂だらけの感じ。しかもゴミは溜まり放題。その合間を野良犬がひょこひょこと走り、野良牛が悠然と人々の間をのしのしと歩いていく。



これを日本のような街並みにするにはとてつもなく時間がかかる気がする。

しかしながら一方きらびやかなモールもあったりする。




開発できるところは開発し、外観は後回しにしているのかもしれない。

ニューデリー市内は外観からは想像がつかないが綺麗な地下鉄網もしっかりと出来ていて、かなり便利になっている。

道端に立って所在無げにしている人や、道の分離帯の中で生活している人がいる反面、国としては矛盾を抱えながらも発展している感じだ。(まだ下書き中)

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【読書日記】「この世界の片隅に」こうの史代

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「この世界の片隅に」という漫画を上中下三巻買って読んだ。

彼女の作品では、前に「夕凪の街 桜の園」というのを読んだことがある。広島原爆のことを書いたもので、主人公は結局原爆症で亡くなっていくのだが、原爆投下前からの生活から投下後の様子、および原爆症の後遺症で主人公の目がだんだん見えなくなっていく様子を含めを淡々と語る内容だったが、この「この世界の片隅に」も主人公すずの子供の時(昭和9年)の話がプロローグとしてあり、本編は昭和18年にすずが広島から呉へ嫁ぐ話から始まり、日記風に淡々と時代の状況を伝える内容になっている。

すずが嫁いだ呉は日本の軍艦を作っていた呉海軍工廠のある街で、戦争時には呉工廠だけでなく隣の広村に広工廠、第11航空廠が設置され大きくなり、その結果広島原爆の前に大空襲があった街でもある。

漫画は途中、時代の風景を描きながらも庶民たちの生活を淡々と描いており、漫画の合間に「愛國いろはかるた」や「とんとんとんからりんと隣組」の歌の解説があったりして、戦争時代の状況が手に取るようにわかるようになっている。

空襲の時に姪っ子の晴美が亡くなってしまうシーンや街が焼きつくされてしまうシーンが描かれ、住んでいた広島には原爆投下と…淡々と流れていたストーリーの中で酷い内容が終戦に向けて描かれている。

戦争のことを語り継ぎ、二度と戦争を起こさないためにも、無謀な戦いを挑む勢力に対して日本はこれからは毅然と対応していかねばならないのだと思う。「安保反対、9条を守れ!」と唱えるだけでは平和は来ないのだと思う。
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香港

香港に出張。

仕事なので観光地は行ってないのだけれど、夕飯を食べに行く前に少し、街を撮ってみました。


名前がSUZUKIなので思わず撮りました。


香港駅から一駅の上環という街です。


唯一食べた香港料理「シャコエビのにんにくチリ揚げ」です。
巨大シャコエビの上に載ってるのはミンチではなくニンニクなのです。
えらい元気になりました。


翌朝帰ったので、もったいなかったです。観光したかったな−。
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自分の目で見て、自分で考えよ。

韓国や中国が歴史認識で日本を攻撃しているが、「君たち自分の目で見たのか?」と問いただしたくなる。

歴史ほど後世の人間に書き換えられるものはなく、何が本当なのかは結局「闇の中」である。歴史認識はどこまで行っても他国と折り合うことはないのだ。だから、問題解決には自国の歴史観を相手国に押し付けるのはやめるというルールを作るしかないと思う。どこの国も自国に有利なように歴史を書き換えるのは仕方ない(日本は自虐的なのでそうでもないが…)がそれを押し付けるのはやめてほしいと思う。

個人的に今、古代史の研究をしているのだが、日本書紀や古事記を読んでいると、執筆担当の藤原氏がかなりの部分を史実を歪めて書き換えているため、天皇家の成り立ちや、聖徳太子、蘇我氏の実態は推定するしかない。基本的には革命で成り立った政権は過去の政権を否定し自分たちを正当化するように捏造する可能性が高い。

話変わって、レベルは低い話だが、
会社の中では人の評価を「うわさ話」で決めてしまう上司がいる。告げ口やうわさ話を信じるのもおかしな話だが、「自分の目で見て、自分の頭で考える」というクセを僕らはしっかりとつけていくべきだと思う。

現場の実態は、現場に行かないと見えない。報告だけを信じて判断していては判断ミスを犯すことが多い。昔の帝国陸軍などの作戦失敗を見ても「報告」を鵜呑みにして、現場をちゃんと見ずに決めてしまったのではないかという例が多い。

だからといって、社長が現場に行けばいいのかというとそうでもない。東日本大震災の福島原発事故前の無駄な総理の訪問にも見えるように、トップの訪問のために無駄な作業が増えるケースが多い。現場を監督する人間にしっかりした人物をあて、真実が報告される仕組みをつくっていかなければいけないと思う。

日本経済が上向きになっているとマスコミは言うが、失われた20年以降壊滅的になった現場の状態はまだあまり改善されていないと思う。ベテランが活用されていなさすぎる。

日本企業は昔からゼネラリストを好み、部署を多く経験させて出世させるということをやっていたが、そういうのはこれからはやめたほうが良いと思う。何故なら各現場での現場力が今まで以上に必要だからだ。世の中はものすごいスピードで変わっており「事件は現場で起こる」ことが多いのだ。だから現場をとことん経験する必要がある。ころころ部署を変わるのがわかってしまうと、ベテランのノウハウを身につけようとせず「どうせ3年で異動だから」みたいな感じで仕事が上の空になる。目の前の仕事をきっちりとしてその分野のプロになることを目指すべきだと思う。もちろん向き不向きが人それぞれにあるので、見極めは必要だと思う。

ある分野を極めると、その他の分野も見えるようになってくる。いくつかのプロジェクトを成功させたことのある人は、どんなプロジェクトであっても(たとえ専門外であっても)注力すべき勘所がわかるし、リスクも見えるようになってくる。なので、昔のようにころころ部署を変えるのではなく、各々の人材を専門家として登用すべきだと思うのだ。

そうやって現場のプロを養成し、現場でしっかりと判断できるようになれば、本人も自信がつくし、「報告」も嘘を書かずに率直に正しい内容を書くようになってくる。現場を長く経験し、いくつかのプロジェクトを成功させた人は、出世してトップになっても現場からの「嘘」を見抜けるようになっているだろうし、何か問題が起こる前に、事前に問題をキャッチし、間違いない道筋を作ることができる人材になると思う。

手前味噌になるが、私も長くITの仕事をやってきたが、この10年は全くのノートラブルで来ている。長い経験から問題を事前に察知できるし、プロジェクトの途中でもリスクをキャッチでき、プロジェクトの阻害要因をすべて除去できている。そういう意味ではベテランのノウハウの領域に達していると思う。こういう人を企業は多く育てるべきだと思うのだ。

とにかく、仕事として重要なのは、現場に長くいて、その道の専門家になり、「自分の目で見、自分の頭で考える」そういう経験をコツコツと積み重ねていくことなのではないかと思う。
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ポピュリズムに陥りやすい日本人の気質

日本人はどうも白か黒かの極端にブレる傾向にある。
 
時代劇でも悪者と正義の味方がはっきりと分けられている。勧善懲悪が好きである。
政治では中韓擁護者や反体制派をサヨク、安倍総理擁護者をウヨクと決めつけて、やれ左だの右だのと、中韓の話なのに中間がないのである。

で、話は「大阪都構想」の話である。

この前の大阪都構想の住民投票でも同じで、橋下氏が頑張っている「改革」に賛成なのか反対なのか?というものすごく極端な話になってしまった。

この構想の問題点は、事務の流れが整理されておらず、いざ大阪市が廃止され特別区になった場合の組織形態、ガバナンス、制度、権限、その他諸々のことが不明確なまま見切り発車だったという点だったと思うのだがあまり議論されなかった。橋下氏の性格なのか人の気持を理解せず、例えば大阪市立大学出身者の気持ちなど全く無視して、「大阪府立大学は存続し、大阪市立大学はなくなります」と平気で言ったりする。「文楽廃止」と言った時もそうだし、とにかく見切り発車で現場の気持ちを汲み取っていない。特に今回は大阪市職員や大阪市営交通のような大きな組織の人員をどう処遇するのかなど大事なことが全く決まっていないようにみえた。

また、基本的には新自由主義経済の傾向が強く、都構想の効果に当たる部分は「コストカット」と「民営化」でやっていこうという(大失敗だった)民主党がやっていた事業仕分けに近く、大阪経済を強くするというのには逆行しているように感じた。

なので反対多数になって正直ホッとした。

今回の住民投票は「改革しないのか」「このまま利権が蔓延っていいのか」という「改革にYesかNoか」の極端な選択肢になってしまったが、これは日本人の「白なのか黒なのか」、「左なのか右なのか」という極端な発想に陥ってしまうという問題点を露呈したと思う。

普通の感覚で「改革」にYesかNoかと聞かれると、ほとんどの人はYesというに決まっている。巨額の赤字を抱えた大阪市・大阪府をどうにかしなくてはいけないというのはみんなが思っていることだ。が、そのソリューションとして大阪都構想しかないのかというと実はそんなことはない、従来の組織形態でも十分対応可能なのだ。が、橋下氏はそのあたりのイメージ誘導がうまく大阪市を解体することにYesかNoかという投票だったのに、前者の「改革」にYesかNoかというイメージでとらえられたのが賛成が多かった理由だと思う。

もっとも反対派の中には本当に「改革しなくていい」と思っている御仁たちも含まれていて、特に自民党大阪府連が共産党や民主党と組んでしまったのには正直がっかりした。あれを見れば誰だってその反対の行動をしたくなる。

ましかし、今回の大阪都構想の住民投票でも見られた日本人の極端な行動様式は危険だなと思う。賛成派から見れば、反対派はまるで大阪のことを考えない現状維持の非大阪民みたいになってしまった。

戦前もエネルギーの補給路を遮断されてにっちもさっちもいかなくなったあげく、国民すべてが「開戦やむなし」の気持ちに振れてしまったのはこの日本人の「白か黒か」の極端な発想の賜物だと思う。反戦思想の人は当時は非国民扱いである。

日本人はポピュリズムに陥りやすく、なんだか危なっかしい。今回の大阪維新の会の動きは、漫画「20世紀少年」に書かれた「”ともだち”とその仲間」にそっくりに見えた。特に梅田のヨドバシカメラの前によく置かれていた宣伝車の大型ディスプレイで何度も表示された「府・市あわせて「ふしあわせ」のビデオ」が漫画にも出てくる洗脳ビデオに見えたのだ。
 
あなおそろし。今後、日本人はこのポピュリズムに陥りやすい気質に十分注意すべきだと思う。
白か黒かだけではなく灰色も赤色も青色もいろいろな色がこの世にはあるということを認識すべきだと思う。
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レーゲンスブルクへの日帰り旅行

ミュンヘン郊外のレーゲンスブルクというところに行ってきた。

レーゲンスブルクはミュンヘンから1時間半ほど北に向かったところにある街。池田理代子の漫画「オルフェウスの窓」の舞台になった修道院がある街です。この日はブラジルサンパウロへ移動しなければならなかったのですが、深夜便で日中は時間が開いていたため、その時間を使って日帰り旅行へ。

事前にドイツ鉄道のサイトで列車の時刻を確認。ミュンヘン中央駅9時44分の電車に乗り、一路レーゲンスブルクへ。切符はバイエルン州の一日チケットというのがあり、2人で28ユーロ。一人14ユーロでレーゲンスブルク往復、並びにミュンヘン空港への片道も行けちゃうというお得なチケット。ちなみに空港ーミュンヘン中央への片道料金は10.8ユーロであります。

【ドイツ鉄道(DB)の時刻表サイト】


レーゲンスブルクに向かう列車の2等席に座っていると、突然小学生の遠足か修学旅行の一行がバタバタと大量に入ってきて、そりゃもう大騒ぎが始まる。ホントマナーもクソもないミュンヘンの小学生、まあ元気でいいけど。私達が座っている席の頭上で大声で会話をし始めるのには参って、1等席に移ることにした。
が、1等席も適当な席がなく、さらに前方に移ると、また車両は2等席に変わったが、ガラガラ。なんのことはない先頭車両だとすいているのだった。ということで落ち着いた雰囲気の2等車両でのんびりと列車は進み始めた。

【車窓の風景】


列車は延々と田園風景の中を進み、ただただノンビリと1時間半。寝過ごすとマズいのだけど、時差ボケも手伝って爆睡状態に。
一体ホントにこの電車はレーゲンスブルクに着くのだろうか?と心配だったけれど、文明の利器iPhoneのgoogleMAPはWi-FiにつながってなくてもGPS機能で現在位置がわかるので便利。安心してよく眠れました。

【レーゲンスブルク駅 到着】


レーゲンスブルク駅に到着。ドイツの鉄道は改札がなく、自由な雰囲気。

【レーゲンスブルク駅】


【レーゲンスブルク駅前の風景】


【駅から大聖堂に向かって少し散歩】

【レーゲンスブルク大聖堂】


レーゲンスブルク大聖堂に徒歩10分位で到着。大聖堂の周りを少し歩いて、まず一杯目のビール!

【大聖堂前の日当たりの良いテラスにて】


【少し街を散歩」


【ドナウ川に掛かる橋】


街を北上し、ドナウ川沿いを少し散歩。橋を渡ってみると…。

【大量の南京錠!】


どこかの街でもこんな風景見ましたが、愛しあう二人が将来に渡って拘束しあう証拠を残したという感じではあります。

ドナウ川からまた街に戻ると、路地にたくさんのお店があり、とてもいい雰囲気。

【レーゲンスブルクの路地裏】

【おしゃれな雑貨屋】


【そして、2杯めのビール、さっきと同じ銘柄】

【店の雰囲気 なんかイイ感じ】


【ドイツと言えばソーセージ バイエルン地方はこの白いソーセージが有名】


【本日3杯目のビール めちゃウマ】


【お店の外観】


そして、またまた街をブラブラ。

【レーゲンスブルクの町並み】








ブラブラと散歩しながら、今回の日帰り旅行の最終目的地「オルフェウスの窓」の舞台になったところであります。
3枚前の写真の入り口から間違えって中に入って怒られちゃいました。

【オルフェウスの窓の舞台 トゥルン・ウント・タクシス城(聖エメラム城)】


そのオルフェウスの窓の舞台を左手に小道を歩いてレーゲンスブルク駅へ


滞在時間3時間の短いレーゲンスブルクの旅でありましたが、天気が最高によく、ビールも美味しく、最高の1日でありました。
ということで、写真でめぐるレーゲンスブルク紀行でありました。

 
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「無駄」が大事なのでは

JUGEMテーマ:経済全般

各企業では「無駄」をできるかぎり排除し、効率的な経営をめざしているところが多い。

経営学の教科書にはそんなことを書いてある。「コストカット」だ。自社の短期的なことだけを考えればそれが正しいことなのかもしれない。しかし、車のハンドルにも「あそび」があるように、経営の舵取りにも「あそび」が必要なのではと思う。世の中つねに余裕がなければいけない。いつもギリギリでコストカットばかりを考えている会社にどれほどの魅力があるのだろうか?

バブル崩壊以降、なんだか、日本ではとにかく「無駄」を排除することに邁進してきたような気がする。がしかし、そのことでずいぶんと生きにくい世の中になってきているような気がする。

昨日見た番組で北野武さんが「昔はテレビ番組の予算がたっぷりあっていろんなことができた」と話していた。「近年はインターネットが普及してきて、オンデマンドで番組が見れたり、情報の多くがネットから取得できるので、テレビの役割が減ってきたからだ」などと知ったかぶりの評論家はそう言うだろうが、事のそもそもの発端はスポンサーが「無駄」を排除して、お金をあまり出さなくなってきているからだ。スポンサーがお金を出せば昔のようにできるはず。20年前から給料はそれほどあがってないのだからできないことはないのだ。

そういうことは日常でも見かける。先日、京都の下鴨神社に行ったのだが、この世界遺産の下鴨神社は式年遷宮の資金を捻出するため、敷地の一部を高級賃貸マンションとすることが決まった。これも昔だったら近くの企業が寄付金を納めていたのにそういう交際費が捻出出来なくなってきているのではないだろうか。どこの神社の石柱にも氏子さんの名前に混じって銀行や証券会社の支店、大企業の営業所の名前が彫られていたものだが、あの費用を出すことはコストカットで最近は難しくなっているのではないだろうか?

前の会社の徳島支店では阿波おどりの講を支店単位で出していた。ところが人員カットで講を構成できなくなってしまい、現在では全く参加していないようだ。

繁華街でも昔のような接待は見られなくなってきた。夜に接待をしてなんとか営業につなげるスタイルはいいとも思えないが、それでもお金は回り、いろいろな雇用を創出していたはずだ。ところが各企業の交際費が絞られて、今では一握りの金持ちだけの場所になっているように感じる。規模は縮小してしまい、中国人旅行客相手の慣れない商売をしている人たちも増えている。

ひなびた温泉宿に泊まると、昔は社員旅行で使われてたんだろうなあと思える舞台があったりする。5人位でそのだだっ広い大広間で食事をした時には、なんだかすごい侘びしさを感じてしまった。ここで昔は大勢でカラオケをしたり、踊ったりしたんだろうなあというのが目に浮かぶからだ。

考えてみれば昔の会社は無駄なことを結構やっていた。そもそもパソコンもインターネットも携帯電話もない時代、資料は手書き、プレゼンなどというのはなく言葉でのやりとりが多く、思い違いも多かった。海外出張の手配などは旅行業者がいなければ到底出来ず、現地でも地図だけでは不安で相当な準備をしなければ出張できなかった。

車がガス欠で交差点の真ん中で止まってしまっても、部署に連絡するには、ひとりで車を道端に置いて、それから何十分もかけて公衆電話のあるところまで歩いて行かねばならなかった。待ち合わせに遅れることの連絡も一苦労で、遅れないように相当余裕のあるスケジュールを立てていたと思う。

「無駄」だらけだった。そんなことを考えると、今は格段に効率がよくなり、仕事も猛スピードでできるようになったのだが、何か肝心なことが抜け落ちしているような気がしてならない。

余裕がないのだ。

年功序列型から個人評価型に変わってしまい、同僚がライバルとなり、短期的な成果を上げなければ出世レースから乗り遅れ、のんびりしていれば降格される羽目になってしまう。だれもが目先のことだけを考え、長期的な成果を生み出しにくい状況になってしまっている。

ところが日本はモノづくりが主体の国なのだ。工夫に工夫を重ねて改善をし、新しい品質の良い物をつくりあげていく風土があった。サービス面でも顧客のことを第一に徹底した品質とアフターサービスをこころがけていた。ところが目先のことを重視する風潮が高まれば高まるほどクリエイティブな発想はなくなっていき、現状維持にとどまるようになってしまった。

現状維持どころか、昨今の日本はサービス品質は格段に悪くなり、使い捨ての風潮が蔓延し、長く使うものを作らなくなってしまった。工場や現場でいろいろなミスが発生し、ボヤが発生し、社内はどんどんギスギスとしていく。ベテランを敬わず、マニュアルに頼る世代が非常事態に対応できなくなっているからだ。

だからこそ、日本の企業に余裕を取り戻す必要があると思う。

科学者が大きな発見をするのは、たいてい、ぼんやり歩いている時だったり、お風呂に入っている時だったり、寝ている時だったりする。ルーティンワークをこなしている時には大きな発見なく、実は「無駄」な時間にこそクリエイティブなことが生まれたりするのではないだろうか。

一見、現実とはかけはなれた研究をするというのが大切だ。短期的な成果は産まなくても20年先のことを考える研究チームがあってもいいと思う。先日、ホンダジェットが公開されたが、本田宗一郎氏が創業時から考えていた夢がようやく今実現したのだ。

企業には人々の役に立つ「大きな夢」とそれを「やってみよう」という余裕のある態度が必要だと思う。

短期的に「現状より少し「ストレッチ」した目標を立てましょう」などといういかがわしいい個人業績評価制度などは捨ててしまい、元の年功序列型に戻すべきだ。各企業はもっと長期の夢のあるプロジェクトをたくさん作っていくべきだと思う。

一見、「無駄」に見えることの中にもクリエイティビティはある。「無駄」を排除せず、働く人が「わくわく」するような組織、俺が俺がと自分の存在をアピールをするのではなく、チームとして協力しあう組織を作り上げていかなければならないのでないかと思う。

日本は「和」の国。

日本のバックボーンは何なのかということを考えずに、MBA的な発想でコストカットや収益至上主義で経営をしても長くは続かないのだと思う。
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