消費税増税は言語道断

一体野田政権は何をやっているのだろうか?

今は東北の復興、福島の除染、エネルギーとしての原子力をどうするのか、日本の経済をどう立て直すのか、そういう事が政治の第一テーマであるはずだ。

それをどう間違えて「消費税増税」が焦点になるのかさっぱりわからない。

このブログでも何回も書いたが、デフレ期に必要な政策はインフレターゲットの設定だ。

年率3パーセントのインフレ目標を日銀総裁が宣言するだけで良いのだ。

実際アメリカのFRBは年率2パーセントのインフレターゲットを3日ほど前に発表した。

アメリカに出来る事がなぜ我が日本はできないのだろうか?

3パーセントのインフレだけで、世の中はずいぶん変わる。不動産などの資産価値は上がるし、給料が40万円の人は月に1万2千円も上昇する。これらが消費に回ればものすごい経済効果である。

そもそも1997年に消費税を3パーセントから5パーセントに上げたが、翌年からは逆に税収は下がり、デフレが更に進行した事で給料が下がり、自殺者は2万4千人から3万2千人に急上昇し、それ以来、自殺者は3万人を下らないままもう14年も経過している。

これ以上、国民を苦しめて何を民主党政権はしたいのだろうか?

今やるべき事は、インフレターゲットの設定とともに、東北の復興のための財政支出である。

やってることが全く逆である。財政を緊縮するのではなく拡大すべきだ。ここでエンジンをかけて、更にインフレターゲットを発表すべきである。

インフレは悪いことのようにイメージされるが、今の日本はあまりにも物価が安過ぎる。もっと高くて良いのだ。

議論の焦点がおかしくなるのは、戦前も同様だった。読売新聞を中心に消費税論議が話題になっているが、今日本人がやらなければいけないのは、東北復興をきっかけとした日本復興である。この国の元に国民が一致団結して東北を復興させ、原発事故を収束させること。ここを中心に頑張っていくべきだ。

決して「消費税増税」などという自虐的なことではないはずだ。日本を潰す気か。

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歴史は繰り返す

70年周期くらいで歴史は繰り返しているのでは?という仮説を検証したく、いろいろな本を読んでいるが、今読んでいる半藤一利氏の「昭和史」では約80年周期としている。

慶応元年(1865年)に当時の江戸幕府の鎖国政策から開国に方針を変更してから国づくりをはじめて40年後の明治38年(1905年)に日露戦争に勝利し一応の完成をみる。ところが、そこから衰退が始まり、その40年後の昭和20年(1945年)には太平洋戦争の敗戦を迎え国を滅ぼしてしまう。

戦後の混乱期を経て昭和24年(1949年)頃からを復興の開始と考えると、その40年後の1989年に経済のピークを迎え昭和が平成に変わる。その後は失われた20年と呼ばれている衰退期に入っているが、このまま衰退に向かうのかどうかは歴史を学び、同じ轍を踏まないようにしなければいけないと思う。

こうしてみるとやはり70〜80年周期で国は成長衰退を繰り返している。これは考えてみると人間の一生に似ているのかもしれない。40歳をピークに下り坂になり、80歳で死ぬように、国も同じように成長衰退があるのかもと思ってしまう。

なぜそうなるのか? 

具体的に自分のことを考えてみると、僕らは親の話を聞いて育っている。僕の父親は昭和12年生まれだが、そのころくらいのことしか語ってくれない。それ以前の話はおじいさんの代の話なので話が不確かである。なので、親の話が自分の身体の中の歴史観になってしまう。日本は2670年続いているという歴史を学んだ所で実感がないので、僕らですら、身体感覚としては80年くらいの歴史観しかない。それが70〜80年の周期を生むのかも知れない。(まあ、なんとなく思っただけで何の裏付けもないですが…。)

しかしながら、大変な時代である。

政治は全くおかしな方向に向かっている。今は東北を早く復興させ、エネルギー政策として傷ついた原子力を今後どうしていくのか、福島の汚染された土地をどう除染していくのか、ということを国民全体で考えていかねばならないときなのに、なぜか「消費税増税」である。狂っているとしか言いようがない。昔からやりたかったのかもしれないが、あまりにも時代が読めていない。財政再建が先ではなく復興が先である。

東北復興をきっかけに、日本再興をはかることをスローガンに掲げて、エネルギー政策、経済政策を一気に進めていくということは可能だと思う。消費税増税などという経済成長にブレーキをかけるような政策は言語同断ではないのか?

僕らは歴史を学び、同じ轍を繰り返さないようにしなければいけない。

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なぜ増税なのかわからない

勝手に消費税増税を政府は決めている。このデフレ期に増税などありえない政策だ。

今では国民のほとんど誰もが信用していない民主党政権が「消費税増税を決めました」と勝手に言ってもいいのだろうか。マニフェストに書かれていたことは何一つ実行していないのに、書いてもいなかったことを勝手に決めるとは何事なのだろうか。

なんだか今の政権が決めることは「中学校の生徒会か」と思うことばかりだ。ホントかウソかもわからない。ほとんどが手順を踏んでいないし、議論を尽くさずに、全く唐突な発言が先行する。先日の福島原発「収束宣言」なんてのもいい例だ。何の話かさっぱりわからない。

増税をやりたいのならそれを公約にして、一度、国民の信を問うてから決めるのが筋ではないのだろうか? 

とにかく順序が逆なのだ。今は消費にブレーキをかけることをやるのではなく、消費増大を促す方策をとらなければいけない。今増税すればますます消費が縮小し、デフレスパイラルが助長される。

日本の景気にブレーキがかかっているのは、雇用不安と年金制度崩壊による「将来への不安感」が原因だ。なので、まず政府が取組まなければいけないのはこの「将来への不安感の払拭」だ。給料が下がったり、年金制度が破綻するのはいずれも経済の低成長が原因である。以前にもこのブログに書いたが、年率で最低2%の経済成長が必要だと思う。預金金利も2%程度は必要だ。前に進んでいくためには徐々に成長する必要がある。成長が止まった社会には未来がなくなってしまう。

「経済成長率5%を目指し、積極的投資を行います。所得の増大を保証します。」と発言するだけでも効果がある。池田勇人の「所得倍増計画」や田中角栄の「日本列島改造論」のようなことだ。最近の例では橋下大阪市長の「大阪都構想」がそうだ。政治家が将来ビジョンを語ることで「何かが変わる」とみんなを思わせることが大事だ。で、そのビジョンの中に「ワクワク感」があるって事が大事だ。

トップがものを語るときにはこの「ワクワク感のあるビジョン」を語ることが大切だ。そういう高揚感を感じないようなビジョンに誰がついていくかということだ。間違っても「消費税増税で財政を安定させます」というトップについていく人はいない。

スティーブ・ジョブズが楽しそうにプレゼン出来たのは本人自身が新製品に本当に心からワクワクしていたからだ。眉間にシワを寄せて「消費税増税なのであります」と言われたって「ああ、そうですか。勝手にやって下さい」としか言えない。

トップに立つ人間は周りを明るくする人でないとダメなのである。
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憲法9条と原発

左翼が主張する「憲法9条を守ろう」と「反原発」は良く似ている。

長い間、僕も憲法9条を守ること、戦力を放棄し世界平和を願うことが正しいとずっと思っていた。この前広島に出張に行ったときに平和公園をちょっとだけ見てきたが、今の中高生も同じように「憲法9条を守り、二度と世界に戦争を起こさない」ということを貞子の像(原爆の子の像)の前で誓っている。(というか誓わされている) 

戦争が起こらないということは確かに良いことだし、あるべき姿だが、そのあるべき姿を実現するために自分の国が丸腰で良いというのはちょっと話が違う。議論が逸脱しすぎている。全く無防備なまま、無法地帯にすくっと立って、「右の頬を打たれたものは左の頬も打たれなさい」とは言えないはずだ。自己防衛できないまま、無法地帯は歩けないのだ。

戦争がなくなることはめでたいことだが、それと我が国が無防備になること、攻められても指を咥えて見てるだけでいいというのは議論が逆立ちしている。そんな事態を呆然と見ているだけの日本で良いという主張は御免蒙りたい。やはりこの国は軍隊を持ち、他国から侵略されるおそれがある際には徹底的に抗戦すべきなのだ。それはアタリマエのことであり、この国ができた紀元前からずっと守ってきたことなのだ。

それを左翼連中は「理想論」と「現実」を混同し、軍隊不要論をぶつのである。

このことと、反原発は良く似ている。
「理想論」と「現実」を混同しているのだ。福島の事故が起こったため、原発は危険なものと認識された。できればそんなものは無くしてしまえ。というのは理解できる。

放射能汚染による風評被害もものすごい勢いになっている。こういう事態は避けなければいけないだろう。

確かに理想的にはそうなのだが、エネルギーを今すぐ原発から別のものに変更するというのは不可能だ。そもそも石油や石炭など海外に依存しているものから脱却するためにこの国は戦後「原発」を選んだのだ。第2次世界大戦の直前の時のように、エネルギーの海外依存が過ぎるとこの国の安全保障上の障害になるからだ。

ABCD包囲網により、石油の輸入が止められたことが太平洋戦争に突入した主原因だ。だから海外依存のエネルギーから脱却することが戦後の日本の使命だったのだ。このことを忘れて脱原発という話は有り得ないのだ。

左翼連中があれほど「第9条を守り、戦争をしないのだ」と主張しているにもかかわらず、なぜまた戦争に突入するに匹敵するエネルギーの海外依存を選択するのであろうか?主張していることが矛盾している。「脱原発」を声高に主張すればするほど、エネルギーの海外依存度が上がり、国内の工場は海外に脱出し、日本が壊れていくのだ。

「理想」と「現実」は違う。「現実」つまり足元を良く見て、一歩一歩「理想」に近づくという手法を取らない限り、永遠に「理想」が遠のいてしまう。

滋賀県知事が卒原発という言い方をしていたが、何年もの歳月をかけて徐々に原発から卒業するという手法しか今は選択できないのだ。急に原発を止めるのは逆に危険であるし、前回のエントリーでも述べたが、動いても動いてなくても原発がある限り危険度は変わらないし、冷却装置はずっと動かさざるをえないのだ。

国内のメタンハイドレートなどの別資源の掘削が成功して、国内で資源が自給できるのであれば自然エネルギーという選択もあるだろうが、それまでは原発に頼らなければいけないのではないのか、それよりも原発を今よりももっと安全な管理ができるようにする、そういう技術の向上を図るほうが止めることよりも大事なのではないかと思うのだ。

反対反対!と主張するよりもまず、福島については早く放射能を土壌から除去し、帰宅できる地域を増やすべきではないのだろうか?まだら汚染のマップをちゃんと作って帰れる地域は帰宅させ、さらに放射能除去技術のノウハウをしっかり身につけることが大事なのではないだろうか?また、そういった原子力を扱える専門家が国内に多数いるということがこれまた安全保障上の担保になるのではないだろうか?

理想はいくら正義を振りかざして主張したところで「絵に描いた餅」であり、現実には不可能なのだ。食べれる餅をつく人は餅をちゃんとついたことのある人であり、理想論ばかりぶって杵を持ったことのない人ではないのだ。

現実をしっかり見据えて、この国は進んでいくべきだと思う。
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衰退する日本経済?

今朝の日経新聞を読んでると「穏やかな衰退続く日本経済」という特集記事が出ていた。19世紀末の英国よりももっとひどいなどと書かれている。

たしかに、現状はひどい。20年間も全くGDPが増えていない。したがって給与水準も一段と低下、非正規雇用の増加で、正規雇用との賃金格差も広がっている。

しかし、非正規雇用の問題は企業側があまりにもそれを利用しすぎたという面も否めない。一旦コストダウンが図られてしまうとそれ以上にコストを上げるという行動に企業は移るはずもなく、低価格が恒常化してしまった。本来ならインフレに移行し、価格上昇をおこなわなければいけない時期に中国などの低価格商品流入と時期が合致してしまい、デフレが恒常化してしまった。

特に30年くらい前までは女性労働者は少なく、専業主婦の比率が高かった。が、25 年前に男女雇用機会均等法が施行されて以来どんどん女性の社会進出が増えてきた。特に非正規雇用への進出が進み、スーパーやファーストフードなどの販売業務だけでなく、派遣業者による派遣事業により一般企業の事務職にも進出することになった。

一方日本全体のGDPに変化がなく、従来型の企業ではITの機能向上により、職務は合理化してきているため、従来の企業構造で労働者が増えている現状では、労働者一人当たりの賃金支払額は低下せざるを得ない。

つまり、合理化してきているのにあわせて売上が増加しておらず、しかも労働人口は相対的に増えてきているのだからどうしようもない。女性が進出している分、旦那の取り分が減っているという状況だ。結局、家計における取り分は男女合わせてやっと20年間変化なし、もしくは2人働いているのに、昔の1人分より少ないという状況も生まれてきている。かくして、専業主婦家庭では従来よりも給与水準が減少するという事態になっている。

これに加えて離婚率の増加により、シングルマザー家庭も増加、到底一般的な生活は不可能な世帯が増加している。これが社会保障費の増加を生んでいる。

日本の問題は、これに高齢化が加わり、年金支払額が膨大になってきている。これだけ経済が疲弊している中、高齢者だけがこの世の春を謳歌することになっているのがもうひとつの問題だ。

以上の論点をまとめると、企業全体の相対的な価値創造は20年間変化なし→支払える給与総額変化なし→女性の進出分だけ労働人口が増加→一人当たりの賃金減少→専業主婦世帯の維持が不可能→女性も働く→さらに労働人口増加→加えて保育所など育児のサポートが必要→
財政破綻 というような流れになる。

結局何が問題かというと、日本に新しい価値を創造する産業が創出されていないということだ。GDP増加のために新しい産業分野に各企業が進出し、賃金向上を目指さねばならない。従来の売上を大きく超える事業、特に農業、エネルギーなど、ライフラインを支える分野に進出し、外国依存から脱却し、国内で賄う形に変えていく必要があると思う。

各企業は対前年比何%上昇というような小さな目標を立てるのではなく、大きな目標を立てなければ日本の労働者への全体支払額が減少していくばかりなのだ。「現状維持は緩やかな衰退」と言われるが、まさしくそのとおりに日本経済が緩やかな衰退に突入している。来年度からはとにかくGDPを向上させるための手立てを各企業が知恵を出してその対策を打っていかなければいけない。

また、政府は小さな政府をめざし、各企業の自主的な動きを制限しないようにしなければならない。政府のやることは、インフラの整備(だから公共事業削減だけの考えでは駄目だ)、国防、教育など最低限かつ非常に重要なことだけに注力し、経済発展を阻害することはやめてほしい。特に首相は、日本の国益を害することばかりをして日本の地位を低下させるのではなく、トップセールスマンとして日本企業の海外進出を後押しすることに精を出していただきたいものだと思う。

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法人税減税意味なし

 法人税減税幅がマイナス3%になったので経団連というところが噛みついているとの話。なんだかなあと感じる。

法人税がマイナス3%になろうが、5%になろうが、本質的には変わらないのではないのか?というのが率直な感想。

そもそも、企業の経営目標を立てる時には「営業利益」か「経常利益」を考えるはずで、税引後当期利益などは関係ない。したがって法人税が減税されたからといって、企業の行動がなにか変わるというようなことはない。

しいていえば「配当金」か「役員報酬」が増額するくらいだ。経団連のお偉方は自分の報酬を目当てにそんなことを言ってるのかもしれないが、従業員には何の恩恵も被らないし、GDPが増えるわけでもない。

外国企業の参入を促すという話もあるが、日本40%に対して韓国25%だったらどっちの国に行くのかは明白だ。何も海外の企業が参入してくれる必要も無い。海外の企業が日本に寄りつかないのは、国税の無理難題が気に入らないからに違いないと思っている。税率ではないのだ。

そのあたりが日本の似非経済学者たちも無茶苦茶なことを言うのだ。

はっきり言って法人税は今のままで良い。そんなことよりもまずは経済活性化、GDPの増加を促す政策をするべきだ。法人税減税などGDP増と何の関係もない。

減税すればするほど財政難を引き起こすだけなのだ。企業がするべきことは減税をあてにするのではなく、収益率をあげることなのだ。大企業はもっとちゃんとした経営をしろということなのだ。
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経済活性化について

R女史のTwitterを見てると事業仕分けに頑張っておられるのはよくわかるのだけど、日本国は一企業ではないのであんまりそうやって無駄なお金を使わなくしたからといって全然景気は回復しないことに理解が及んでいないような気がする。

企業の場合であってもコストダウンだけしていても成長するわけではなく、一時的に体力がつくだけであって、本業の回復がなければ、早晩倒産するのだ。

国家の場合も成長なくして進歩は無いのだけど、コストダウンはその成長の芽も摘んでしまいかねないので気をつけなければならない。国は一企業とは違い、お金のキャッチボールがなくなればそれだけで衰退しかねないのだ。

だから事業仕分けは削減ありきではダメで、投資先の変更を検討する作業であるのなら僕だって納得する。ところが民主党の政策のように削減ありきで、その真逆に子ども手当やら高校無償化やら農家の戸別補償などバラマキに使うばかりでは全く経済は成長しない。子ども手当については中学生に指摘されて答えられなかったらしいが、まさしくこんなバラマキ政策は一刻も早くやめるべきだ。

経済というのは単純化すればかなり簡単な話で、とにかく、自由な競争をさせることが一番最適な成長に近づくということだ。政府がお金の配分などを管理しだすと途端にうまく機能しなくなってくる。社会主義がうまくいかなかったロシアなどを見れば一目瞭然だ。自由経済に移行したとたんに息を吹き返している。

政治主導などという幻想に洗脳されて、大きな政府を目指すのはヤメて、企業の自由競争に移行するべきだ。なるべく民間でできることは民間に移行し経済の爆発的な急回復をおこなっていきたい。それでいて民間でできないインフラの整備や外交調整、そして、国家百年の計と言われる「教育」に軸足を置くべきだと思うのだ。
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ムラ社会の崩壊と日本の衰退について

戦後、集団就職で田舎の村から都会に出てきた若者たちの話を前回したが、もう少し深く、その団塊の世代と言われる層から始まった新しい家族形態を中心に見て行きたいと思う。

戦前までの日本の一般的な家族形態は、農村での大家族制だった。大部分の農家は長男を中心に大家族を形成していた。次男以下も一家の農地を分割したり、新しく開拓したりで農業をすることが多かった。一部は町に奉公に出ていったケースや明治以降は軍隊に入るケースや公務員や会社勤めもあったが、一般的には地元で農業か近くの商店という流れが多かった。家族が病気や不幸があった場合もすぐに集まれたし、何より、村全体で各家庭を見守っていたという安心感があった。もちろん村の掟がきつく、しがらみも多く、閉塞感が漂っていたかもしれないが、それでも村にいればなんとかなるという気持ちはあったはずである。

が、戦後はがらっと変わって、住み慣れた村とは全然違う東京や大阪に出て行き、全く新しい家庭を一から築くのが主流になっていった。核家族化の進展である。集団就職で会社の工場に入り、結婚後もしばらくは社宅に住み、会社にしがみつきながら生きて行くという形になっていった。会社の方もそういった若い労働者を引き止めるために、一種のムラ社会を形成して行った。

社宅で会社の奥さん同士のネットワークを作り、運動会には家族を呼び、会社にいることで一種のムラにいる居心地の良さを演出した。当然ムラにはルールがあり、社宅などでの生活は窮屈さもあるが、子供時代に育ったムラ社会が甦ったことで、会社への忠誠心がますます醸成されていった。社員旅行やレクレーション、クラブ活動などで親睦を深め、それと同時に経済自体は高度経済成長の波に乗り年率10%以上の急成長を果たして行った。

給料もどんどん増え、居心地の悪い社宅から、まずは公団住宅に移り住み、それでもますます給料は増えるので郊外の一戸建てへと移り住むのがブームになって行った。昭和40年代に公団住まいだった人々も昭和40年代後半くらいから郊外にニュータウンと呼ばれる一戸建てが作られるようになって行った。これがムラ社会の崩壊の第一歩である。

団塊の世代を中心とした前後5年くらいの世代はそれでも非常にいい時代を駆け抜けていったと言える。現在60歳から70歳くらいの人達である。

ところが、団塊の世代が第一線を離れるようになってきたころ、2003年くらいからこの国は急速に坂道を転がり始めた。前兆はその10年前の1993年ごろ(バブル崩壊2年後)から始まるのだが、ただ、その頃はまだバブルの余韻があり、あまり明確には下り坂に入ったことは人々の中で意識されていなかった。が、会社の中では成果主義が台頭し始め、日本の会社の特徴であった年功序列、終身雇用が保証されなくなりはじめたのである。前回のエントリーに書いたが、この頃から会社での社員旅行が減少し、運動会を取りやめたり、保養所の廃止などが始まりだした。

それから5年経った1998年頃から自殺者が毎年3万人を越えるようになってきた。会社というムラが崩壊し、人々の心が荒み始めたのだ。

失われた10年が過ぎ、2003年になってもまだ経済は回復しない、その頃から急激にデフレが始まりこの国はどんどん奈落の底へ落ちて行き始めた。

団塊の世代はその頃から老後の準備をし始め、一斉に知らぬ顔の半兵衛を決め込み、会社の衰退を横目にせっせと自分たちのための生活をしはじめた。退職後は掛け金よりもはるかに多い年金をもらい悠々自適の満ち足りた老後生活をエンジョイしようということなのだ。

バブル以降の社員達は過去のムラ社会の良さを知らないまま、勝ち組、負け組の熾烈な競争社会に放り込まれ、社員同士がライバルとなった殺伐とした会社員生活を送っている。

将来の年金はもうもらえそうにないにもかかわらず、かといって、昇給はほとんど望めない。核家族どころか配偶者のいない独身世帯が急増、せっかく結婚してもすぐに離婚しシングルマザーとなって子供を抱えながら仕事もするという悪循環に陥っている人達が増えている。

すべてはムラの崩壊が引き金なのだ。シングルマザーなどはあってはいけない家族形態なのだが、これを良しとする風潮が蔓延している。民主党の政策も女性が働くことを前提とした政策になっている。少子化対策とは全く逆行している考え方なのだ。

本来は母親は子供を育てるのが仕事であって、会社で働くことではないのだ。その前提が狂っているのでもう日本は昔のようなムラ社会を形成することは不可能になってきているのかもしれない。(ただし、全く女性の労働そのものを拒否しているわけではなく、0歳から小学校高学年あたりまでは母親が面倒を見る必要があると個人的に強く思っている次第。子供達が小学生にあがれば時短で仕事に復帰し、高学年にあがればフルタイムに復職できる制度を作ることが重要で、女性と男性を全く同列に論じる風潮には反対という立場。)

古き良き時代を復活させるには、核家族という形態は考え直さなければならない。親世代と一緒に住むのが理想だが、それでなくても近くの仲の良い人同士でコミュニティを形成することが重要だ。何らかの形で人と人とのネットワークを作り擬似的なムラを作らねば良い社会は形成されない。

子供を車に置きっぱなしでパチンコに夢中になる母親などがいるが、コミュニティの中で監視し合えばそういうことはないはずなのだ。自由がなくなるという話もあるが、ある程度の相互監視は社会に必要だと思う。そういうコミュニティにいれば、死んだはずの親が戸籍上生きてるなんてことはあるはずもないのだ。日本人として恥ずべき行為をしている友人にはきちっと忠告する仕組みも大事だ。(昔で言えば村の掟を守らねば村八分にするということか?)

会社という擬似的なムラが崩壊した以上、そういう意味では新しいムラ社会を形成していく途上にいま日本はいるのではないかと思うのだ。。。

ううん、、、なんだか、話が違う方向に行ってるようなので、今日はここまで。
 
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