憲法改正について考える

学生時代はバリバリの護憲派だったと思う。「9条を守る」と今でも言っている人たちと同様に戦争放棄をうたった憲法をもつ日本に誇りを感じていた。ただ、その感覚の根底にあるのは「戦争が嫌」ということにすぎないということもわかっていた。戦争のような悲惨なことに巻き込まれたくない。世界中の人がどうして兵器を捨てて仲良くならないんだろうかと、どちらかと言えばメルヘンチックな感覚で考えていたのも確かだ。

全く軍備をもたずに非武装無抵抗でいられるのかと問われれば、それは無理に決まっているのだ。日常生活でも、たえず犯罪を犯す輩は存在し、そのために自己防衛もすれば、警察という機能も犯罪の抑止力として存在する。そういう防衛をしているから安全が保てるのだ。でも、社会規範がしっかりしていれば警察そのものの数もそんなにいらない。日本は戦後、僕らが子どもの頃からついこの前までは結構社会規範がしっかりしており、世界で一番安全な国だとも言われていた。ところが、年々その社会規範が低下し、道徳観念も薄らいできて、最近は親子殺人など、凶悪犯罪が後を絶たなくなってきている。

それと平仄をあわすかのごとく、改憲論、軍備増強論が増えてきている。つまり国際社会が一筋縄ではいかない無法者の集まりなのだということが、日本の国内でも露見しはじめて、身近にそんなことが見えはじめて、やっと気がつき始めているのだと思う。国が経済向上のために突っ走っていた時代には見えなかった「防衛」ということについての意識が芽生え始めているのではないかと思うのだ。

そこに来て、この前のテポドン騒動だ。日本の頭越しにミサイルを打つ国が隣に存在することが明確に理解できた。日本にもPAC3などという地対空ミサイルが何台もあることを国民が知った。ノドンという日本に向けた核搭載可能なミサイルが320機もあることが判明し、しかも今度は核実験を行うなどと言い出す。ノドンに関してはパトリオットミサイルなんて全く効果がない。飛んでくる前に敵地をたたくしかない。そうなってくると現行の専守防衛といった防衛力しか維持できない憲法9条は改正せざるを得ないではないか。

中国にも日本や台湾に向けたミサイルが何百機と配備されている。そんな危ない国々が近くにいることが明確にわかってもいまだに「9条を守る」のだろうか?

高校時代の日本史の先生に教えてもらったことに、「時代の転換点でかならず憲法改正論議が出てくる。」ということがある。古くは大宝律令からはじまり、御成敗式目などなど、だいたい将軍や執権の3代目がピークで8代目あたりで時代が衰退しはじめる。そのころにかならず基本法の改正がはじまるのだということだ。その先生はだから日本国憲法も護るべきという理論だったと思うが、その理論を適用すれば今は「時代の転換点」のような気がする。

最近「台湾人と日本精神(リップンチェンシン)」という本を読んだ。日本が台湾統治時代に行った善政とその後の国民党のひどい支配が書かれており、台湾の人たちが日本に望むことが余すことなく書かれたものだ。「2・28事件」について日本人はほとんど知らないのだが、戦後すぐに本省人(台湾人)に対する国民党の大量虐殺が行われたのだそうだ。だから余計に日本統治時代を是とする層が多く、中国本土に対する憎しみも大きいのだそうだ。台湾の人たちは日本の支援を期待している。このことは日本人全員がしっかりと認識すべきだ。われわれ日本人はこの「親日国家『台湾』」をもっと大切にすべきだと思う。

そのためにも、毅然と中国や北朝鮮と対峙し、着々と防衛力をつけて行く必要があると思う。武士道の基本として、強烈な強さを持っていれば敵はせめて来ないというのがある。強烈な「抑止力」は現代では「核兵器」ということになるのだが、まずその前に自衛隊を「軍」と規定し、日本国を守るための隊員の力量の向上が必要だと思う。村山談話がどうのこうのと言って幕僚長をクビにしているようでは自衛隊員が日本を守ろうとは思えないのだ。

必要不可欠な「防衛」ということをこの機会に再認識し、しっかりとした防衛力をつけていかなければ、竹島と同様に知らぬ間に「尖閣諸島」や「対馬」も大陸の国のものになってしまうのだ。
社会論 | comments(0) | trackbacks(0)

この国に欠けていること

NHKの番組「JAPANデビュー」の第1回目放送で取材を受けた親日の台湾の人が番組では日本を悪く言っている部分だけをとりあげていると、その偏向的編集を非難している。

中曽根氏の靖国参拝問題や宮沢氏の教科書問題など、対中韓の過去の歴史問題はいずれも日本のマスコミ発の問題だった。中川酔いどれ会見もあまりに日本のマスコミが騒ぐから辞任に追い込まれてしまった。今回も同様の事件に発展しなければいいのだがと祈るばかりだ。

それにしてもマスコミの自虐的歴史観にはいい加減に腹立たしく感じる。すべての問題のきっかけを作っておきながら、全く反省の色がない。NHKは国民から受信料を取っておきながら、なぜ日本を貶めるようなこのような番組を制作するのであろうか?

少し前に従軍慰安婦の偏向番組をオンエアー前に安倍氏、中川氏が待ったをかけた事件があったが、彼らのような政治家が表舞台にいなければ、NHKは何をやってもいいということなのだろうか?

日教組問題もそうだ。村山談話もそうだ。なぜここまで日本は悪い国だと自虐的にならなければいけないのだろうか? 麻生内閣になってから、中山成彬、田母神俊雄、中川昭一と立て続けに日本のことを本当に思う人たちが表舞台から消えている。

地元堺では西村真悟氏がパチンコの換金を違法化しようとしているが、そんな法案についてマスコミは一度もとりあげたことがない。ミサイルを打ってくる北朝鮮に流れるお金を根本から止めようという重要な法案なのにもかかわらずだ。あろうことかパチンコを支援している国会議員も多い。

「日本国の国益を考えていない」人がこの国には多い。そんなおり、先日YouTubeで見た「国益を考える講演会」は本当に感動した。右翼、左翼とかではなく、純粋にまっすぐ日本のことを大事にするということはどういうことかということを真剣に僕らは考えなければいけない。

ネット上では両極端な人たちが左巻きとかネットウヨなどと呼び合い、互いに非難の応酬をしている状態だが、そういう低レベルの議論ではなく、本当に国を思ったときにどう対処すべきなのかを考えるべきだ。お互いのことを非難し合うのは簡単で、低次元な作業だ。どちらのサイドも役に立たない評論家にすぎないのだ。

かといってマスコミは余計信用できない。テレビを信用して自虐的歴史観に染まってしまえば、日本はオウンゴールの連続になってしまい、自滅するばかりだ。

フェアプレーを続けるには国民がしっかりと真実を自分の目で確かめることだ。マスコミは偏向しており、ネット上にも極端な議論が多い。こんな状況の中でもしっかりと見極める目を国民一人ひとりがもたなければいけない。

特に歴史は勝者の記録であって真実ではない。負けたからと言って自虐的なままでは、他国にいいように歴史を改ざんされてしまう。

日本に欠けているのは、ぼやぼやしていれば日本の領土がおびやかされるかもしれないという危機意識だ。北のミサイルが飛んできた今こそ日本は国益を考える国民を育てなければいけないのではないだろうか?
社会論 | comments(2) | trackbacks(0)

君が代考

先週火曜日に下の子の入学式に行った。

私の時代の小学校の入学式なんてまったく覚えてないのだけれど、お父さんが来ている家庭はほとんどなかったはずだった。が、今は私も含めてほぼ全家庭が出席しているようだ。不況とはいえ、こういう時は休めるようになったんだなと感心する。(今は高校、大学でも親が出るらしいし…それはあまりにも過保護だと思うのだけどね。)

冒頭は君が代斉唱なのだけれど、もちろん全員起立の上で歌った。幼稚園では君が代を歌ったことがないので親の席からしか声が出てなかったが、ピアノ伴奏がとてもうまく、この国歌はなかなか名曲だなあとあらためて感じた。

世の中には君が代をいまだに軍国主義の歌とか、天皇賛美の右翼の歌とか言って座ったままの教師たちがいるらしいが、自国を大切にしないものが教育者と言えるのかと腹立たしい限りだ。

日教組が戦後、自虐史観を日本の子どもたちに植え付けたため、いまだにその洗脳から逃れられない人たちが多いが、もうそろそろそういった呪縛から抜け出さなければいけない時期に来ているのではないかと思う。少なくとも、隣からミサイルを打ってくる国があるのに、いまだに過去の戦争は日本がいけないのだと言って謝罪外交を続けているだけの弱腰では、いいように責め立てられ、舐められるばかりだ。

君が代の歌詞は古今和歌集の読み人知らずの歌で、太平洋戦争には全く関係ない。制定も明治初期で昭和天皇とも何の関係もない。君を天皇と無理に解釈しているようだが、古今和歌集の時代は歌を読んだ相手のことを歌っていただけだと思う。藤原家の話かもしれない。百歩譲って「君」=天皇であるとみなしても、少なくとも今の憲法では「天皇は日本国の象徴」と規定されている以上、「天皇」=「日本国」なのだから、歌詞の意味としては「この日本国が何千年も何万年も、さざれ石が岩になっていくように、続いていきますように」ということになり、全く問題のない歌詞なのではないかと思う。

どこをどうとって軍国主義になるのだろうか?物事についてしっかりと検証することが教育者たるものの使命だ。新しい時代を担う子どもたちを洗脳するだけの教師はいらないと思うのだ。
社会論 | comments(1) | trackbacks(0)

インターネットの限界

昨日夜遅くgoogleで検索するとすべてのサイトで「このサイトはコンピュータに損害を与える可能性があります。」と表示されるという不具合が発生した。50分程度で解決したが、原因は問題のあるサイトのURLを管理するサーバシステムに「/」の文字の入ったURLが問題サイトであるという誤った登録を入力したようで、これが原因で世の中のすべてのサイトが「コンピュータに損害を与える」サイトになってしまったようだ。

私もそのときgoogleにアクセスしていて、何も検索できなくなってしまったのでおかしいなあと思っていた。ちなみに「google」と検索しても同様にgoogle自体が問題サイトになってしまう異常事態だ。一瞬ウィルスにでも感染したのかなと思い、一旦インターネットを切り離し、別のPCでも試みたが同様の結果。おかしいなあ〜としかたないのでヤフーで検索していると、ヤフー知恵袋に早速質問が投稿されていて、みんな同様の問題が生じていることがわかったが、日本中で結構アクセスしているんだなあと感心してしまった。

今はインターネットのなにもかもがほとんどgoogleにたよっているので、この大元がこわれるととたんにネット上の捜索活動が困難になってしまう。同じ事象がyahooでも同時に起こればインターネットの利用価値は極端に減ることになるだろう。

そう考えるとインターネットってなんだろう?と思ってしまう。確かにものすごく便利になったのは確かだ。今朝も明日妻が宿泊する東京のホテルの住所と電話番号を聞かれたが、ネット検索し、すぐに答えることができた。そもそもそのホテルだってネットで予約したのだ。ネットがなければそのホテルの存在は知らないし、そもそもどの場所にあるのかgoogleマップなどの地図がなければわからない。

ぼくらの学生時代には考えられないような変化が起きている。昔だと、東京に宿泊するということになれば、親戚や近所の人に聞きまくったり、会社の関連のホテルなどを探して、しかも電話で予約し、空いてなければ別のホテルに電話し、それこそホテルの予約だけで一大事だった。新幹線の切符もまずは時刻表を買ってこなければ何時がいいのかもわからないし、切符は当然「みどりの窓口」に行かねばならなかった。

確かにネットが格段に暮らしを便利にしたのだが、昨日のようなgoogleでの検索不能が発生するとたちまち不都合が生じてしまう。ネットがライフラインのようになってしまっているのだ。

で、今回のホテル予約も3人での宿泊を2人に変える必要があり、ホテルに電話をすると、なんとネットからの予約はネットで変更してくれという回答だった。で、ネットで変更しようとサイトの変更の仕方を見ると、「一旦新規の予約を行い、旧の予約をキャンセルせよ」という内容が書かれてあった。

でしかたないので、再度予約をしようとしたが、新規の予約は既にすべて満杯でそういうことはできなかった。はたと困って、その他の方法はないのかなと検索すると、専用電話に電話をしろということになっていた。ところが、その電話の受付時間は10時から18時までだった。20時頃の話でもうタイムオーバー。はあ、めんどくさい…。

で、翌日電話をすると、「お客様の予約はホテルとの直接契約になっているのでホテルに電話をしてください」とのことだった。「昨日、ホテルに電話するとネットで変更しろと言われたので電話をしたのですけど」と答えると「失礼しました。ホテル側が間違っていますので、私からホテルに電話をし、ホテルからお客様に改めてご連絡いたします」との回答になった。この電話オペレータの対応はなかなか良いなあと思ったのだが、そもそもどちらの契約になっているのかをサイト上に明示しておくべきだなあとも思った。

ということで、インターネットがもたらしたものは、とても便利になった面はあるものの、ひとつ異例な事態が発生すると、とたんに麻痺してしまう面があるのだ。

なんでもかんでもインターネットに依存してしまい、インターネットを神のようにあがめるととんでもないことが起きてしまう。

今朝の新聞に大阪の泉佐野市の主婦が15億円を集めたまま失踪している記事があったが、関西初の女性トレーダーとして一時有名になったカリスマ主婦らしく、投資組合を作って出資金を集めていたが、サブプライムショックをもろに受けて配当が出せなくなったようだ。そもそもはネットで簡単にトレーディングできるようになったのが事の発端だ。たまたま日経225などの簡単なトレーディングから始めたのが、うまく行って、カリスマ扱いされたことで調子に乗って大きくやりすぎたのだと思う。

昔だと証券マンの人に取り次いでもらわないといけないので、無茶な取引はその証券マンのせいにもなるので自制が働いたが、証券のプロが介在せずとも取引が出来るようになったのがこの事件の真の原因なのではないかと思うのだ。

自分の余資の範囲内でやるのが株取引の基本だ。ゼロサムの世界で価格変動だけを狙うばくちをやってもどうにもならない。そんな基本的な感性もインターネットの世界は破壊してしまった。一時デイトレーダーとかいって年間何億もかせぐ人たちがマスコミに登場していたが、彼らも今頃大損していることだろう。

ネットは万能の神ではないのだ。

人間がちゃんと理性を持ってある範囲内のみで利用しないととんでもないしっぺ返しをくらうのだ。手塚治虫が鉄腕アトムなどで描いていたことが今現実の世界になろうとしている。

コンピュータやロボットを神格化するといずれ人間は滅びることだろう。
社会論 | comments(0) | trackbacks(0)

子どもの遊び方今昔

先日、新年会でお祭りの話から子どもの頃の遊びの話題になり、今と昔では子どもの遊び方が全然違うなあという話になった。

昔の遊びといえば、ドラえもんやサザエさんなどのアニメで見られる子どもたちのように「空き地」で遊ぶというのが定番になっていたが、今、そういう遊び方をしている子どもたちがいないし、そもそも空き地がないよな〜と。

ボクの子ども時代は新興住宅地だったんだけど、造成されていない土地がそこかしこにあり、遊び場がいくらでもあった。しかも山を切り開いて出来た場所だったので、山に登って遊ぶということも可能で、毎日、「探検だ〜」とか「基地を開発するぞー」とか、遊びのネタが山のようにあった。あと、同学年だけでなく近所の子どもたちで学年関係なくごっちゃになって遊ぶときもあった。そういうタテ社会が子どもの頃からちゃんと出来上がっていた。

考えてみれば昭和40年代はまだまだ空き地があった。空き地がなくなったのは、40年代後半の田中角栄の列島改造論あたりから土地に対する縄張り意識が強くなり、境界線を確定するようになり、そのあたりから空き地に杭を打ち有刺鉄線を張るようになったのではないか?と思う。

ボクがそういうネタふりをすると、それよりなにより、空き地の所有者がそこで遊んでいる子どもが怪我をしたりしたときの補償をするのが嫌で立ち入り禁止にしているのではないかという結論になった。

そういえば、学校でもなんでも権利を主張する親が多くなっている。子どもが怪我をしたからといっても、昔は子どもをしかっていたが、最近は人のせい学校のせいにするようだ。そういう輩が多いから事前に身を守るため、何でも禁止になっている傾向はあるなあと…。

昔はプールで飛び込み禁止ってあんまり注意しなかったけど、最近は全然ダメだもんね。子どもが冒険しなくなっている。

それよりもなによりももっと不思議なのが、最近の子どもの遊び場に親がいるケースが多いなあと。遊具の近くは大人だらけだ。昔って、たしか子どもたちだけで遊んでたような気がする。大人なんか全然いなかった。それは上の子が下の子を見るという責任感があったこともあるけれど、それより、なんというかもっと放任だったと思う。

今は大学の入学式や卒業式にも親が来るらしい。過保護もいいかげん恐ろしくなる。信じられない。僕らのときは高校だって来なかった。というより高校の講堂では親が入れるスペースがなかった。最初から来ることなんて想定していなかったのだと思う。大学も当然親が入るスペースなどなかったのだが、同級生の大学教授や高校教師に聞いたところ母校の高校も大学も入学式や卒業式を広い会場でせざるを得なくなったとのことだ。なんたることだ。

日本人全体が過保護化してるような感じ。子どもの遊び場はなくなり、ますます家に閉じこもりゲームばかり。こんなことで未来の日本はどうなるんだろうと悲しくなるばかりだ。
社会論 | comments(0) | trackbacks(0)

改革のスピードが遅くなってきている日本

毎日新聞のサイトに昭和毎日というのがある。
古き良き昭和の頃に関する記事を集めているものだ。

その中に昭和写真館というコーナーがあり、戦後の復興のすごさが伺える。
昭和30年代初期の写真も多いが、戦後10年でどうしてここまで復興できるのだろうか?と思えるような写真ばかりだ。

三丁目の夕日でも象徴として取り上げらていた「東京タワー」だが、これもすごいと思う。今でもやっぱりその大きさとスタイルは優れているなあと感じるのだ。

私が生まれた頃の写真もあるのだが、考えてみれば私自身も戦後20年もたたない時代に生まれている。

ところが、大学を卒業して今現在21年もたっていることを思ったときに、あの頃と今の日本がどれほど変わっているのかを考えるととても寂しい気がする。進歩しているというよりはむしろ後退しているのではないかと思えるくらい全く何も変わっていないような気がする。

もちろん東京のビル群は新しくなり、誰もがインターネットで世界中と交信できるようになり、誰もが携帯電話を持つようになったという点は変化があるかもしれない。だけど本質的には全然変わっていないのではないかと思うのだ。

仕事の面ではむしろマイナスのような気がする。パソコンが一人1台普及し、圧倒的に便利にはなっているが、仕事の本質面でどれほど変化があったのだろうか?最近ときどきパソコンがなかった時代、携帯がなかった時代ってどうやってったけ?と考えることが多い。

ITを専門職にしながら、ITにとても疑問を持っている。僕らがやってきたことは実はコミュニケーションを阻害しただけではないのだろうかと。今、周りの人たちはとても忙しそうに働いているが、それは特に携帯電話というものができたからだと思う。いつでもどこでも呼び出しが可能になってしまった。セミナーなどに参加すると、休憩時間に何やら深刻そうに携帯で電話をしている輩を良く見かけるようになった。

昔は、いったん外に出れば連絡がとれず、会社に帰れば大量の伝言メモが残されていて、優先順位付けが簡単にできた。今は優先順位もへったくれもなく、ただただ仕事に押し流されているだけだ。ひどいケースは学級崩壊の小学校みたいに講演の最中でも出たり入ったりする奴がいたりする。

いったいこの人間性の劣化はどうしたことだろうか?日本人はもっと毅然としていたのではないのだろうか。と昭和を振り返りながらふと感じたりするのだ。

昔の日本人のように誰もが明日を信じてどんどん改良を加えていく時代にはもどれないものなんだろうか…。
社会論 | comments(0) | trackbacks(0)

経済の不安定化の原因

派遣労働者の解雇のニュースが多い。

派遣労働者なんて昔の会社ではなかったカテゴリーだ。もともと不況になれば切られるのがわかっている不安定なカテゴリーだと思う。なぜ、そんな不安定な職種についているのか不思議だし、そもそもそういう職種があること自体が不思議だ。

昔、松下電器が危機に直面したときには解雇をせずに、減給で乗り切った話が有名だが、今はどこの企業も正社員の給料には手を付けず、こういう派遣社員のクビを切ることで減産の調整をしている。父が昔某製鉄会社に勤務していた頃は週休3日に減らすことで乗り切っていた。「一時帰休」とか言ってたかな…。

会社はカンパニーが語源だ。「仲間」という意味だ。昔は仲間同士、不況の波をなんとか乗り切ってきたが、そういう仲間意識は今の会社にはなくなってきているのかもしれない。寂しい話だ。「能力主義」「成果主義」が蔓延してそもそも帰属意識が低下している日本企業だが、こうやって昨日まで一緒に働いていた「仲間」をいとも簡単に切り捨ててしまうのだから、ますます「会社」≠「仲間」になってしまうことだろう。

ところで、そもそもなぜこんなに不況の風が吹き荒れているのだろうか?

アメリカのサブプライム問題といった金融危機に端を発した世界同時不況がなぜ日本にまで影響を与えているということだがなぜなんだろう。もちろん自動車については、その販売の多くが北米向けだったということが大きいだろうが、それにしても日本での販売台数がほとんどだろうし、何がどうなっているのかさっぱりわからない。

日本の第一輸出産業の自動車がこけてるだけで、すべてがドミノ倒しのように連鎖しているような感じだ。考えてみればサブプライムは日本にほとんど関係がない。金融危機とは無縁だ。(だから円高になってしまうのだが…)

景気なんてのは気分の問題なのかもしれない。みんなが不況だと思うから不況になってくる。政治家も動きが遅い。マスコミはどんどん解雇問題を煽る。かくして日本全体に暗いイメージが生まれてくるのだ。

日本での販売台数減はガソリン価格の高騰で買い控えが今になって影響しているからだと思う。この買い控えは早晩解決するだろう。ガソリンが100円台になってしまっているからだ。民主党が騒いでいたガソリン税も全く関係ないほど原油価格が暴落している。半年後には自動車の販売台数が増加するはずだ。だが、マスコミが今以上に不況を騒ぐと、せっかくの景気上昇の流れも消えてしまうかもしれない。

経済なんて、ことかように、気持ちの動きに左右されるのだと思う。


社会論 | comments(0) | trackbacks(0)

携帯禁止令

今朝の読売新聞を見てぶったまげた。
橋下大阪府知事の小中学校携帯持ち込み禁止令が波紋を呼んでいるという記事で、枚方市のある中学校では
授業中は机の下でメールばかり。顔を上げたと思えば今度は携帯で教室内を写真撮影…。そんな生徒たちに手を焼き、学校への携帯電話の持ち込みを禁じたのは数年前だ。だが、持ち込む生徒は後を絶たず、保護者を呼んで注意すると逆に「他校では許可しているのに、うちはダメなのか。」と抗議されると言う。

なんじゃこりゃ!どういう教育現場やねん。と驚きを通り越してあきれてモノが言えない。なんでそんなアホな保護者の言うことを聞くのやろう。

携帯禁止令が波紋を呼ぶこと自体がおかしい(そんなんあたりまえやん)が、こどもよりまず親!。親の教育をまずしなければ。

それから先生だ。携帯で教室を撮影してるようなそんな馬鹿なガキの頭をはり倒して、その携帯を窓から捨てたらええねん。あたりまえやん。ふざけるのもええかげんにせいっちゅう話だ。

府の条例で携帯禁止令を出さねばならないくらい教育が腐っているのが信じられない。なんでこんなことになったんだろう…。

まあ、しかしこれからは条例違反になるんだからびしびしやれるからいいか…と記事を読み進めていると、クラブの連絡用に使っているからと禁止令に消極的な先生もいるとのこと。

そんなアホな教師ははよ辞めろ。




社会論 | comments(0) | trackbacks(0)