武井咲の巨大ポスターを見ながら…。

武井咲、歌手デビューを盛り上げる巨大ポスター表参道に出現 [JUGEMニュース]

昨日表参道を歩いていたら、武井咲の巨大ポスターがありました。音楽もこのポスターの裏で流れており、すごいプロモーションだなと思った。

それにしても、こんなに宣伝してもらってこの武井咲って人は幸せものだなって思った。

実家の母が昔行ってた美容院の娘さんは「サンミュージック」にスカウトされたまでは良かったんだけど、そのあとはほとんど見かけなくなってしまった。

歌手や女優などの芸能人はほんの一握りの人しか成功しない。

それでも未来のスターを夢見て多くの人がチャレンジする。僕も高校時代はシンガーソングライターに憧れて、本気でデビューするつもりだった。(当時は痩せてたしね。)だけど、大学に入り、だんだんと現実が見えてくる。そうこうしているうちに就職が決まり、仕事の忙しさの中で結局は本当の自分を見失ってしまう。

だけど、そうやって流されてはいけないなと今になって思う。やりたいことをとことん追求するべきだった。自分の感性に正直になれるもの、今流行りの「片付けの魔法」的に言うと、それをやってて「ときめく」ことを自分の仕事にするべきだと思う。

なので、長男には好きなことをやってもらおうと思った。油絵を書きたいという希望に沿うように芸術大学に行かすことにした。そもそも芸大を出て就職は難しい上に、聴覚障害というハンディがあるので就職はできないかもしれない。それでも別にかまわない。好きな事を一生懸命やるということが人生には大切なことだと思う。

聴覚障害者ということで障害者枠で入社できるかもしれない。でも何も手に職がない状態でサラリーマンをやったところで大して面白い仕事ができるわけではない。ならば自分が面白いと思うことをとことん追求すべきだと思った。

この夏いろいろな芸大のオープンキャンパスに参加したが、学生さんがみんなイキイキとしていた。そりゃそうだ、自分の好きなことをやっているので楽しいようだ。就職にいいからと経済学部を選んだ自分とはぜんぜん違う。大学はこうあるべきだなと思った。

先日、長男はスクーリングということで芸大に勉強に行ってったが、「すごく面白かった」とのこと。耳にハンディがあるというのは芸術には関係無いようだ。楽しそうに話す長男の姿を見て、やっぱり芸大に入れて良かったなと感じたのでした。。
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来年の干支は壬辰(みずのえたつ)

「来年のことを言うと鬼が笑う」と言うが、個人的には鬼が笑うのは良いことだと思うので来年の話をしてみたい。

来年2012年は干支でいうと「壬辰」(みずのえたつ)という年だ。

この壬辰の年を占うと、まず十干の「壬」という字だが、これは糸巻きの形を表しており真ん中が膨らんだ状態。いっぱいいっぱいという状態をあらわす。妊婦の妊という字の右側とおなじだが、妊娠状態を表す字でもある。

安岡正篤氏の「干支の活学」によれば「前年までの諸問題がいっそう増大して、そのために任務・仕事がますます惹起してくる」年なのだそうである。

今年は大変な年であった。東北の大地震、原発事故に始まり、和歌山などでの水害、世界に目を転じるとギリシャ問題から端を発したEUの崩壊危機などとんでもないことが起こった年だが、十干の「壬」の意味するところは、「来年は更にそれらの問題が複雑化する年」ということだ。

一方、「辰」の字は「理想に向かって辛抱強く、かつ慎重に、いろいろの抵抗や妨害と闘いながら歩を進めてゆくという意味」だそうである。困難な状況下ながらなんとか踏ん張って行く年ということだろうか…。

以上のことを総括すると来年は今年以上に大変な年になりそうだが、占いの「凶」と考えれば、それ以上に悪くなることがなく、V字回復の転換点になる年であるとも言える。

そういえば、変化の胎動を少しながら感じることがある。

パソコン製造の国内回帰もその一つだし、トヨタ「86」やホンダ「NSX」製造再開などスポーツカーの復活がこの頃の新聞紙面におどっている。日本はスイッチが一度入ると、結構自立的な回復が見込まれる業種も多い。

まだまだ景気回復まではいかないが、少しずつでも動いていけば大きなうねりにつながる可能性が高い、

干支の上では困難な年ではあるが、辛抱強く、抵抗勢力や妨害に対抗して歩みを進めて行けばきっと良い一年になるのではないかと思っている。

昨日のエントリーにも書いたが、心の持ちようで、世の中は良くも悪くもなる。明るく前向きに生きて行けば、世の中は変わっていく。

暗い世相を打ち破り、明るい時代へと、来年こそは変えていきたいものだと思うのだ。


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寒い朝

評価:
吉永 小百合/和田 弘 と マヒナスターズ
Victor Entertainment,Inc.

朝がずいぶん寒くなった。

「寒い朝」と聞いて吉永小百合の歌を思い出す人はもう少なくなったと思う。僕の場合は小学校の頃両親が買ってきたレコードの中にあったのを何故か覚えており、冬の寒い朝によく口ずさんでいる。短調からいきなり長調に変わり、最後また短調で終わる不思議なメロディが子供心に印象的だった。

 「寒い朝」

 ♪北風吹きぬく寒い朝も
    心ひとつで暖かくなる
 ♪清らかに咲いた可憐な花を
   みどりの髪にかざして今日も ああ
 ♪北風の中にきこうよ春を
   北風の中にきこうよ春を…

→ YouTube「寒い朝」

と続く歌詞はすごく健全で歌詞の通り清らかなイメージだ。

この曲は映画「いつでも夢を」の中の挿入歌である。映画のワンシーンを見たことがあるが、下町の工場の人達と一緒に吉永小百合が自転車を引きながらこの「寒い朝」を歌うシーンはとても印象的だ。

昭和38年封切りのこの映画は、まさに翌年のオリンピック開幕や新幹線開業を控えた日本の高度経済成長前夜の「いつでも夢」があった時代を象徴している。

当時の若者は集まっては歌を歌うっていうのが多かった。歌声喫茶なんかもこの頃の話だと思う。

ボーイスカウトのリーダーをやってた頃、昔の資料が出てきたんだけど、みんなで歌ってる写真がいくつも出てきた。

今もカラオケでみんなで歌うといえば歌うんだけど、なんかちょっと違う。当時の曲はロシア民謡とかマイナー調が主体で歌詞もはっきりしたものが多いし、みんなで声を合わせて歌うというところがミソだ。哀調を帯びながらも心の中では未来への希望が持てる歌が多かったのではと思う。

この映画から48年。日本はその頃の若者の夢を実現したのだろうか?

僕も来年48歳。子供の頃はどんどん発展する日本に誇りを持っていたし、大人になることに夢を持っていた。

大学を出て銀行に就職したところまでは順風満帆だったような気がする。ところが昭和の終わりから平成に入って急にバブルが膨らみ、突然破裂してしまった。それから20年。全然成長しない社会。昔の人が描いていた「いつでも夢を」持てる時代は何故か呆気なく終わってしまった。

経済成長はなくても、「夢」までもが無くなるとは思わなかった。

しかしながら、今の日本は余りにも萎縮しすぎである。日本の高度経済成長が進んでいた昭和40年代にアメリカが悲嘆にくれていただろうか?それを考えるとそんなに悲観することはないのではないか。

当時のアメリカと日本の関係が、日本と中国に置き換わったと考えれば、今の日本は自信がなさ過ぎだ。もっと自信を持ってやるべきだと思う。

経済は国民の感情の総和。いい感じと思えばいい感じになって来る。バブルの頃、僕達はそんなに給料が無くても毎晩のように遊んでいた。が、そんな人が増えるとお金を使うので景気が向上して、巡り巡って自分のボーナスに跳ね返ってきた。結局、どうみんなが考えるかで大きく経済は変わって行くのだと思う。

高度経済成長前夜に若者達が肩を組みながら歌を歌い、未来に希望を抱いていたように、国民全員が今一度力を合わせて日本を復興するのだという気概を持てば、早いスピードでこの国は復興して行くのではないかと思う。

そのためにもマスコミはもっと明るいニュースを流し、教育者は日本と世界の未来を語り、経営者はもっとレベルの高い目標を設定し、働く人はワクワクする仕事が出来る「いつでも夢を」見られるようにこの国を変革していきたいものだと思うのだ。

この歌「寒い朝」でも、「心ひとつで暖かくなる…」と歌っているように。

 ♪北風吹きぬく寒い朝も 
   心ひとつで暖かくなる… 

 ♪北風の中にきこうよ春を
   北風の中にきこうよ春を…

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月蝕を撮ろうとしたけれど…。

 今日は月蝕の日ということで写真を撮ろうとしたが、いかんせん3倍ズームなので、全然ダメだった。うまくとれたものでこんな感じ↓

なかなか月を撮るのは難しい。
ISOとかシャッタースピードとかまだよくわかっていない。
ちなみにこの写真はISO感度200、絞りf/8.0という設定で撮っています。こんなものでしょうか??

写真はむずかしいのだけど、肉眼でははっきりと見えて赤い月になっていた。南のオリオン座が美しく輝いいていたし、なんだかとても幻想的な雰囲気だった。

すぐそこに月がある感じ。

昔の人はこの月を見て何を考えていたのだろうか?って思う。昔はもっと暗かったのでものすごく多くの星が見えただろうし、月蝕の日なんて、なにか天変地異でも起こる前触れという感じだったのではないだろうか?

暦も月で決まっていたし、いろんなことが月を中心に考えられていた。そういえば1月、2月って「月」になってるけど、これも太陰暦の名残なんだろうなあ…。
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仕事の向こう側にあるもの

再来年の新卒の採用活動が始まった。

最近は就活と言うらしいが、ずいぶん早くから始めるんだなぁと思ってたら、これでも2ヶ月遅く始まっているらしい。

大学3年生でもう就職活動というのがイマイチピンとこない。僕らの頃は4回生の秋からだったので、1年早まっている感じだ。

クラブ活動にしろ、研究にしろ、いろいろな活動は大学では4回生が中心になってやると思うが、そういう実績もないまま就活の面談で何を言うのだろうか?

3回生では卒論のテーマすらも決まってないはず。研究主体の人にとってもアピールすることがないような気がする。

企業の担当者は一体学生のどこをどう見るのだろうか?不思議だ。

採用の面談をしたことがあるが、普通に質問をすると、ものすごくいい感じの返答をする学生が、ちょっとひねって質問をすると、さっき言ったことと整合性の合わないことを言ったりする場合が多い。

こういう学生は一般的な質問に対しての面接の練習はしているようだが、一歩踏み込んで聞くと、途端にボロが出てしまう。付け刃の知識を駆使したところで僕らはすぐに分かってしまうのだ。

が、最近は学生側も一段上のトレーニングをしているようで、若い採用担当者では見抜けないくらいになっているらしい。まあ、はっきり言って見た瞬間にわかってしまうと思うのだが…。

もちろん、型を学ぶというのは大変良いことなんだけど、就活面談のやり方を学んだところでその後の人生にどれほどの価値があるのだろうか?

それよりは大学生活に猛烈に打ち込んで、頑張ってきたことを自分の言葉で熱意を持って語って欲しいと思う。

そのためには、企業側もこんな早くから採用活動を始めてはいけないと思う。昔のように4回生の秋頃に変更すべきだ。

昨日の報道ではかなり多くの学生が説明会に参加している様子だったが、昨日は「平日の」木曜日だ。

大学はどうなってるのかと心配してしまう。学業そっちのけで就活に走らせることを企業側が唆していいものなんだろうか?

こういう説明会は当然土日か夜にすべきではないか?と思う。

常に門戸を開けていていつでもどうぞというのならわからなくもないけど、なんだか違和感があるのだ。

こうして俗にいう「いい会社」に就職したところで、そのこと自体がゴールになっているので、何をしたいのかが会社に入った後わからなくなってしまう。

「こんなはずじゃなかった」と思うのではないだろうか?

僕も最初の就職先ではそうだった。あまりにも思っていたことと現実が違っていた。が、その後、同じ会社の中ではあるが、システム開発という居場所を見つけた。見つけられる人はまだましだけれど、いつまでも不満を抱えたまま大企業だからとぶら下がっている人も多いんじゃないだろうか?

だから、手段がゴールになってる人が大企業には多いのかもしれない。

いつも自分探しをしていて、探せないのだけれど、とりあえず会社で言われた仕事がさも自分の求めていた仕事のように目的化するのだ。心の底からやりたいわけでもないが売る必要から(でないと評価が悪くなるから)自分の都合で売るということを始める。

仕事は確かに「仕える事」から始まったのかもしれないが、それでは余りに悲しいのではないかと思う。

仕事って、それを通じて、社会の役に立つためにやっているのではないのだろうか?

「仕事は自分のためにやるのではなく、人のため、社会のためになる事をするのだ」という意識が学生の時にはないかもしれない。だけど、社会人を長く続けている人はそういう意識に転換しなければいけないと思う。

僕らが生きているのはなんらかの役割があるから生きてるのだ。

「利他」の心、仕事ってこれが基本だと思う。

それをやる事によって社会のためになるのだと本心から思える仕事、今やっている仕事の行為は手段であって目的でない。仕事の向こう側にある真の目的に向かって日々の仕事をしていきたいではないか。

採用の時にはそういう会社の理念を心の底から共有出来る人材を採用すべきだと思う。そこの部分が最近なんだか弱くなっているのではないだろうか。

昨日の採用戦線の報道を見ながらちょっとそんな事を考えたのでした…。

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福島県相馬地区に行って来た

今日、仕事の関係で福島県の相馬市と南相馬市に行ってきた。

市街地を見る限りでは震災後の復旧はかなり進み、もうだいぶ生活は元通りになりつつあるという感じだった。

がしかし、市街地に至る道沿いを見てみると、依然として畑の中に船が転がったままだったり、避難したまま誰も住んでいない町もあり、まだまだ復旧が進んでいないなと強く感じた。



上の写真は南相馬市の市街地から少し離れた地点の様子であるが、畑に船が横転している状態のまま未だに放置されていた。ここは海岸線から2キロの地点なので、ここより海側はまだ復旧が進んでいないと思う。

市内のスーパーの品揃えは豊富で、道の駅の中では、南相馬産の野菜も売っており、復興はもうすぐと思えるので、余計にこの実態とのコントラストを感じた。

南相馬の放射線量は、持参した線量計で測ると毎時0.1〜0.3マイクロシーベルトでそれほど高い数値は出なかった。雨樋の下などで少し高く0.6くらいで、こういったところの土や草を最終的にどう処分するのかを早く決めないといけない。

この相馬地区に行くのに飯舘村を経由して行ったのだが、車の中で測定しても毎時0.6〜1.1マイクロシーベルトと高いなと感じたが、驚いたのはあたりを見回すと田畑という田畑が草だらけで、家や工場には誰もいないという無人の村だったってことだ。


↑走行中に撮ったためキレイに撮れていないのだけど、畑が手付かずの状態で放置されている状態。

飯舘村は計画的避難地域に指定されているためとは思うが、信号は普通に機能しているので、道行く車だけが普通の世界を走っていて、視界にある村だけが異次元に落ちたかのような感覚だった。

南相馬の道の駅の野菜を販売しているところには福島県知事のメッセージが掲載されており、「すべての野菜の放射線量を検査しており、いずれも基準よりはるかに低い数値をあらわしており、安心してお買い求めください」という感じの内容が書かれていた。確かに野菜は新鮮そうだし、美味しそうだった。

メッセージも大事なことだが、復旧のピッチを上げる事、特に放射性物質の廃棄方法を早急に決定することが先決なのではないかと感じた。

毎時レベルではそれ程の放射線量でもないのだから、コンクリートに固めて粘土層に埋めるなどの方法を早く決定し、処分地域を決定すべきだと思う。僕らが粗大ゴミをクリーンセンター(ごみ焼却場)に持って行くような感じでそういう処分施設みたいなのを作れないものなのだろうか?こんな広範囲に人が住めないというのはとても異常だと思う。

事故からもう9ヶ月も経とうとしているのに、復旧の進み具合がなんだか遅い感じがする…。ただ、警察署は飯舘村の中で唯一灯りがついていた。実際今、この村の復興計画はどんな状況なのだろうか?

南相馬でも警察の車をたくさん見た。自衛隊に代わって警察が復興の支援をしているのだろうか。

僕らにもまだまだ何かできるような気がした。

個人的にはもう少し、福島に関心を持って今回の原発の被害から早く立ち直れるように支援していきたいと思う。ニュース報道は段々少なくなっていくが、みんなが常にこのことに関心を持って、被災地の人々の気持ちに想いを寄せることが、まずは大事なのかなと思う。
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何をやりたいのかをはっきりさせることが大切

昨日、システム構築の際に、なまじシステムをかじったことのある人がユーザーにいるとやりにくいという話を書いたが、今日はその続編。

システム構築で一番失敗するのがユーザー部門が「何をやりたいのか」でなくて「どんなシステムを作りたいか」という事を言ってきた場合だ。

まず、システムありきになっているケースの場合、ツールの良し悪しばかりに気を取られて、肝心の何をやりたいかが見えて来ない場合が多い。

システムが出来て、綺麗な画面が出来て「スゴイね」というところまでは良いのだが、そこで終わってしまって、「次の一手」がない。そもそも、何をやりたかったのかが不明確でシステムを作る事自体が目的になっていたからだ。

家を作る時には、家事動線を考えたり、座った時の視界などいろいろ住み心地を考えるはずなのに、システムの場合はなぜこういうことになるのか?

ITはあくまでツールであって、それをどう使いこなすかが大事。ビジネスモデルがあやふやな状態でシステム化だけを急ぐのは愚の骨頂である。

ユーザーはまずビジネスモデルをしっかりと作って、何をしたいのかをはっきりさせることが大事であって、それがないのならITを使う必要はないと思う。順序が逆なのだ。

これはしかしIT業界にも問題があって、今だと「クラウド」とか「タブレット」とかいうツールの話が先行してしまう。呆れたことに「まずは導入して考えてみましょう」とアホなことを言う人もいたりする。

「クラウド」も「タブレット」も日本人が考えたものではない。昔だったら少なくともそれらを日本人に合うようにカスタマイズして使い勝手のいい、信頼性の高い、高次元の商品にインスパイアして売るのが日本人ではなかったのか?

それもせずに、「まずは使ってみましょう」はない話だ。

とにかく、最近は技術先行で中身のない話が多い。政治でも形ばかりが先行してしまう。日本人の中身、心棒がなくなっている気がする。

外見や形、ツールに惑わされず、日本人として恥じない働き方、生き方をしていきたいものだと思う。
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新しい手帳は「ほぼ日手帳」

来年は「ほぼ日手帳」WEEKLY版を使うことにした。

今まではMOLESKINE手帳を使っていたのだけれど、震災以降、いろんなことがあって気力が低下してしまった。それまで一年続いていた日記が途切れてしまったこともあり、心機一転、手帳そのものを変更することにした。気持ちを入れ替えようと思ったのだ。

その「ほぼ日手帳」が明日の日付から始まる。明日は新しい人生を始める第一歩という感じ。

その前哨戦という形で1週間前からこのブログを毎日書くということも始めてみた。人間何か「きっかけ」をつくって変化させていかないと気持ちが乗らない。「形から入るのね?」と言われそうだが、こういう「型」を作るということで、誰かの歌みたいだけど「人生という名の長距離列車」のレールポイントを変えていくということが大切だと思う。

人生は面白くないことも多いのだけど、そういう面白くない人生を自分で面白くしていかなければなかなか状況は変わらない。会社に依存してしまうと定年になって自分を無くしてしまうのが目に見えている。自分の将来をちゃんとイメージしてそこに向かっていくようにしたいと思う。

そういう時にこそ手帳が役に立つと思う。

「手帳術」なる本を読んでみると、ほとんどがスケジュール管理の話に終始している。でも、整理とか管理とかは今やスマートフォンとPCがあればできてしまい、手帳の役割は低下している。今、紙の手帳に残された役割は、自分の「生き方」の確認という役割ではないかと思う。

僕は手帳の後ろに30年計画表というものを貼りつけている。40歳から70歳までのプラン表で、会社では何の仕事をやっているかとか資格は何をとるかとかこまごまと計画を立てている。42歳の頃に作ったのだが、意外にプラン通りになっている。仕事はもちろんのこと、習い事や趣味、旅行計画なんかも書いているのだけれど、ギターを始めたり、ダイビングをやってみたり、韓国、沖縄に旅行に行ったりと、ほぼ計画通りに進んでいる。来年は台湾に行くことになっている。

夢を実現するには、まず夢を具体的にビジュアルに「イメージ化」した方が良い。昨年は、「講演活動をしている自分」をイメージしていたのだが、ありがたい事に今年は10回以上も人前で話をする機会を頂いた。それが縁でいろいろな人とのつながりができたし、つい最近はダイヤモンド・オンラインの取材を受けたりすることもできた。

「思いは実現する」という言葉があるけれど、漫然と「こうだったらいいかな〜」程度に思っていてもなかなか実現できないのだが、具体的にイメージして「絶対これをやりたいんだ〜」と思い込むと意外に実現に近づいたりする。

先ほどの趣味とか旅行とかの話も、そのことを計画表に書いてイメージ化しているので、それに近いことが実現するのだと思う。ということは、今は到底無理だと思うような「大きな事」も具体的にイメージできれば、それに向けて奮闘努力するので、実現できてしまうものなのかもしれない。イメージ通りに全て行くのかというとそんなことはないが、まずは夢をイメージしないことには始まらない。

子どもの時にはいろんな夢があったのに、大人になると、日常生活の中に埋没してしまい、その志を忘れてしまう。

大きな夢に挑むことでオヤジだって成長するはず。

小椋佳の「歓送の歌」にある
  若いからじゃなくて、夢に挑むことで
  僕達に別れはないという、心通えば…
という一節の「若いからじゃなく、夢に挑む」という部分が好きだ。

まだまだ人生の半ば。やりたいことは山のようにある。それらを一つづつ実現していけるように具体的にイメージ化し、一歩一歩やり遂げていきたいと思う。
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