図解表現の重要性

何を言いたいのかさっぱりわからないプレゼンを聞いた。資料のどこを読んでいるのかもわからないし、論点もわからなかった。

頭の中を整理せぬまま喋るからそういうことになるのだろうと思う。プレゼン時に聞き手はそんなに多くのことを一度に理解することは不可能である。

以前このブログでも書いたが、落語のオチは一つだけである。いろいろ状況を会話で演じながらも言いたいことはただ一つだけ。

プロの話し手でもそうなのだから、素人の我々が多くのことをいっぺんに話すのは土台無理な話である。

パワポの資料がずらずら〜っと文字だけっていうのも良く見かけるが、そんなのは事前に資料として配布しておけば済む話で、わざわざプレゼンする必要もない。

「プレゼンは聴衆へのプレゼント」なので、本当に伝えたいこと一つを話すべきだと思う。

それでも、製品紹介などでは全てを紹介しなければいけないからそんなプレゼンは無理という人もいるかもしれない。

そんな場合は「図解資料」を使うことで解決すると思う。

先日、某研究会の発表会に行ったが、その中で記憶に残ったのは「図解資料」を使って説明したものだ。図解の場合資料のどこにキーワードが書いていたのかってことも一週間以上経った今も記憶に残っている。

マインドマップが優れているのは上下左右のどこにキーワードを配置したかということを記憶出来るからなんだと思う。

脳の中ではシナプス結合で樹状に記憶の糸が張り巡らされているが、そういう人間の特性にも合致するのであろう。

密教の「曼荼羅」も図解資料だ。大日如来を中心に放射状に複数の如来や菩薩を配置し、悟りの世界を表現しているが、一枚の絵に表しているというところがポイントだと思う。

今日もどこかで誰かがプレゼンをしていると思うが、要点を絞った聞き手に理解しやすいプレゼンをして欲しいと思う。

と偉そうなことを言いながら、自分の資料を振り返って見ると、まだまだ文字が多い。来年からは図と絵だけでプレゼン出来るように一月と二月に予定されている講演資料を書き換えなければ…。

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餅は餅屋

「餅は餅屋」というのが大事だ。

ITについてはIT部門が一番わかっていてノウハウもスキルもあるのだが、ユーザ部署が変にシステムの細かいことまで口を出すケースがあり、そういう場合はだいたいプロジェクトが頓挫する。

ユーザ部署に必要なことは「何をどうしたいのか?」ということだ。ところが「この画面をこうしたい」という依頼になっているケースがある。それは既存の業務の延長線上で自分の仕事を少しだけ楽にしたいということがベースになっている。そうではなくて、「その業務そのものが不要なのではないか?」とか「もっと違う方法があるのではないか?」というのがIT部門の発想になる。技術は日々進歩しているので、そういう場合はこうすべきというのをIT部門側は持っているが、ユーザ部署は既存の技術、既存の業務フロー内でしかものを考えない場合が多い。

たとえば「帳票を出力する」ということを改善したいというケースがあるとして、「その帳票の内容をこういう風に変更したい」というユーザ部署からの依頼があったりするのだが、よくよく考えれば、その帳票自体がそもそも不必要で、データベースに登録するだけで良いというような場合がある。この場合必要な改善案は「帳票のレイアウトを変更すること」ではなく、「データベースにどう登録する」かということになる。

抜本的な改善、無駄の排除などそういうアプローチ、まず「何をどうすべきか?」ということが大切だ。「ITのこの画面を変えたい」ではなく「業務をどうしたい」ということが大事なのに間違ってしまうケースが多い。

ITは道具(=手段)であって、目的ではないのだ。

目的地に向かわずに、上記の例では自動車メーカーの人に「メーターのレイアウトを変えて欲しい」とか、「部品はこれがいい」と言っているのと同じことである、自動車の良し悪しを言うのではなくて、走りださなければ一向に目的地には着かないのだ。

これはITに限らず、プロジェクト組織などでも同じで、本来専門部署が中心になってプロジェクトを組織しなければいけないのに、やるべきことに無知な人がプロジェクトリーダーに任命されているケースがある。

そんなプロジェクトでは夢物語が語られたあげく、引き取り手がないまま解散するケースが多い。プロジェクトは最後専門部署に引き継がねばならないのだが、それがなされないと主管部署のない、メンテナンス不能なシステムだけが残るのだ。

だから僕は引き取り手になる部署の人がプロジェクトリーダーになるべきだと思っている。

仕事をする時に重要なことは「分をわきまえる」ということだ。専門家にまかせないといい仕事はできない。ところが「成果主義」が蔓延し、「成果」を急ぐ昨今では、他人に成果を持っていかれたくないため、自分でなんとかしようとする。

いろんなところで「成果主義」の弊害が出ている。
なんとか日本のこういう風土を改善していきたいと思う。
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若者よパソコンを捨てて街に出よう。

忘年会続きである。

毎日のように忘年会にでているが、中小企業、中堅企業、大企業とわけた場合、大企業の集まりだけが、なんだか違和感がある。

人が発している「オーラ」なのかもしれないが、なんだか大企業に所属している人たちには積極的、前向きという感情が滲み出てこない。

まあ、なんとなくはわかる。大きい故に自分ひとりでは動かせない組織の中で、ある種の役割を演じているにすぎないからだ。

そういう人たちの出身大学を聞くと結構すごかったりする。なんだかもったいない気がする。その頭脳を会社の組織の一員として使うのではなく、世の中の為に活用して欲しい。

組織の歯車として生きるために勉強してきたのではない。高校大学までは世の中のことについて考えていたはずだ。

それが、就職活動を境に小さくまとまってしまう。

人生の選択肢が日本では少なすぎるのだろうか?いまだに「いい大学」、「いい会社」へ入って欲しいという、親の思いがそうさせるのだろうか?

しかしながら、もう今では「いい会社」とかいう定義は変わってしまった。大企業=「いい会社」とは限らなくなってしまったからだ。

先日、とある会社を訪問したが、会社のシステム開発部隊が南紀白浜のリゾート地にあるという話を聞いた。Webサイトを見てみると敷地内にプールがあり、目の前は太平洋が広がる立地。いい会社だと思う。

パタゴニアっていう会社がすぐにサーフィンが出来る立地にあり、自由に遊び自由に働くというスタイルだと聞いたことがあるが、そういう感じだなと感じた。

そういう自由闊達な雰囲気だと仕事もやりやすいだろうし、新しい発想も生まれそうだ。

狭いスペースで、机を島状に寄せ合って黙々とパソコンをたたいてもいいアイデアは浮かばない。外で遊んだり、普段しゃべらない人と話したりしなければ新しいアイデアは生まれないのではないかと思う。「机上の空論」という言葉があるがまさにそれ。街に出て歩いてみない事には現場の特性は見えない。

「会社の仕事を通して、世の中の役に立つことをする」という一点さえブレてなければ、自由に働いてもいいのではないだろうか?

会社はもっと働き方に寛容になるべきだ。就業時間の管理や、目標管理など管理ばかりでは新しい発想が生まれない。就業形態を変えていくべきだ。

これからの時代はオフィスの机にかじりつくんじゃなくて、新しいアイデアを探しにいろんな場所に出ていくべき、と思うのだ。ノマドワーカーって言葉があるがそんな感じで働けるように会社のイントラネットの考え方も変えるべきだ。何処からでもつなげられるようにしていきたい。

そういう環境にいれば役に立つ提案も出来るし、前向きに積極的に行動できて、結局管理管理で縛りつけるよりも会社にとっても社会にとっても有益なんじゃないかと思うのだ。

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外に出ないと中のことはわからない

最近の若者は海外留学とかにあまり興味がないらしい。アメリカの大学でも中国、韓国人は多数いるが、日本人は急速に減っているとのことだ。

外国どころか、自分の家からもあんまり出ない引きこもり状態の人も多いそうだ。

残念なことだと思う。

外に出ないとなかなか中のことは見えなくなる。昔の村がそうで、村から出なければ都会がどうなっているのかわからないので、「まあ、ワシらの暮らしもまあまあかのぉ〜」と自己満足してしまう。

だからといって、もっと都会の生活を知って、欲望を駆り立てて、消費を促進しろと言うわけではない。

豊かな日本に暮らしている僕らは外に出て、見聞を広めるべきだと思う。発展途上国と思っていた国の暮らしが意外に豊かだったり、逆に本当に困っている国もある。そうした困っている人には手を差し伸べ、日本のみならず地球規模で人の役に立つ仕事をする義務が僕らにはあると思う。そういう立場なんだと思うのだ。

ノホホンと若いうちから家の中でゲームばかりしていてはいけないのではないだろうか。

もっと外に出て、異質な世界に身を置いてみるべき。同質性の高いところにいるのは居心地が良いが、世の中の役には立ちにくい。

会社などでもそうで、自社の中に閉じこもって、狭い世界の中でああだこうだと考えたところで、それは村の中の寄り合いと同じことで、議論はいつまでも堂々巡りで、イノベーションが起こることは絶対にない。

「井の中の蛙大海を知らず」であり、ぬるま湯につかった「茹で蛙」なのだ。

大きな世界を知っていると、小さな会社の中の世界で起こっていることはすべて小さなことになってしまう。

先日、某ホテルで、お客さんに案内したテーブルが違っていたからといって、案内した新人に対してガミガミ怒ってる上司がいた。が、僕にはテーブルを手配したのはその上司に見えた。自分の失敗を他人に転嫁した上、お客さんがいる前で怒ってるバカな上司にその新人はさぞかしやる気がなくなったことだろう。

すごく腹が立つが、その上司は小さなことしか見えない可哀想な人と見切り、なるべく相手にしないことだ。「バカだな…」と思ってればそのうち何も言わなくなるだろう。

スーパーなどでも小さなトラブルでめちゃめちゃ慌てているチーフがいたりするが、それで誰かが死ぬわけでもなく、慌てるよりは冷静に対処すべきなのだ。

なんだか日本全体的にそういう会社の中でしか偉そうに出来ない小さい人間が増えて来つつある。

そんな小さな枠組みの中で生きるのではなく、目を外に向けるべきだ。Google Earthで宇宙から地球にずんずん近づいていくアプリがあるが、ああいう感じで宇宙から自分を見てみると本当にちっぽけな存在というのがわかる。

小さな事で悩んでいるのはもったいない事だ。世界を良くする仕事をするんだと思えば日常の小さなことはとても小さく、ちゃっちゃと片付けようと思えばできるはず。

そのためにも若いうちから出来れば海外に出てみることだ。年をとっても同じで海外に実際に行って地球規模でものを考えることだ。

グローバル化というと英語教育って話になってしまうが、習うより慣れろだと思う。とにかく行ってめちゃめちゃでも話してみることだと思う。

こじんまりまとまっていても日本は衰退するばかり。勢力的にあちこち出かけることが大切だ。

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Web上の話を鵜呑みにしない

若い人のブレゼンを聞くと、Webからの引用がものすごく多い。

しかし、ネットに掲載されていることが本当に正しいのかと疑問に思うことが多い。

先日、MacBookのディスク装置が壊れてネットで調べたら、「再起動して画面が暗いうちからマウスをクリックし続けると良い」といったことが書かれていたが、いろんなサイトを見たところほとんど同じ文章がコピペされていた。完全コピペはダメと思ったのか「マウスの左ボタンを」なんて書かれたのもあったが、Macに左ボタンなんてないんだけどね…。

こういうことは多い。ネット上では引用元を書いてないことが多いので、どれがオリジナルなのかわからない。

なので、出典の書いてないことはあまり信用しないことにしている。原典にあたるというのはとても大切だ。

大学生の頃は、統計を入手するのも大変で、大学の図書館などで調べては手書きでノートに写し取るということをやっていた。が、コピペするよりはそうやって手書きで写すということは大切だと思う。写し取っている間にいろんなことを覚えたりするからだ。

インターネットが普及して便利なことが確かに多いが、いざ、研究になると話は簡単ではなくなる。

調査は原典にあたり、自分の手で調べないといけないのだ。

若い人には期待しているので、是非自分の言葉で自分の目で調べて来たことを発表して欲しいものだと思う。

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効率化が本当に正しいのか?

最近は効率化とか無駄の排除ばかりが声高に叫ばれる。

政府の「仕分け」 などでもそうだが、効率化だけを考えると、スーパーコンピュータ「京」は生まれなかったし、はやぶさも地球に帰ってこなかったことだろう。

震災時に道路の復旧がものすごく早かったが、あれは普段から(無駄と言われていた)道路工事に慣れてたからという側面もあったのではないだろうか。

伊勢神宮の式年遷宮などもそうだが、技術を継承するには、現場で実際に何をどうするかを具体的に教えることが大切だ。技を継承するには理論だけでは無理。普段から身についてないことはいざという時には出来ないものなのだ。

なので、ここ最近の「効率化」とか「無駄の排除」という風潮にはこのままで大丈夫なのかな?という一抹の不安を感じてしまう。

無駄なことの中にこそ大切なことがあるし、そもそも無駄がないと余裕が生まれない。

会議をきちきちに詰めていると余裕がなくなって次の会議が気になったり、しっかりとその場の議論が出来なくて無意味になることがある。次の会議の準備も出来なくなる。なので会議と会議の間には30分以上の隙間時間が必要とよく言われる。いわゆる「遊び」の時間、「無駄な」時間であるが、そういう無駄がある方が逆に効果があるという一例である。

無駄な時間があれば立ち話も出来るし、お茶もゆっくり飲める。電話メモも処理できるし、メールも返せる。

昔は買い物一つとっても、お店の人と会話をし、今日のオススメ商品などを聞きながら買い物をするという無駄なプロセスを踏んでいたが、あれがよかったのだ。効率を重視した今のスーパーではレジ打ちのおばちゃんに世間話をやりはじめたりしたら店長に怒られそうである。かくして朝から誰とも会話をしていない主婦が現れるのである。精神衛生上もよくないのである。

会社の無駄といえば、運動会、社員旅行、交際費、保養所、社員寮などだが、ここ15年でどんどん削減された。が、旅行や運動会などを排除したところで売上は上がったのだろうか?社員同志の交流の機会が減って余計に仕事がうまく回らなくなったのではないだろうか?

最初入った会社にはたくさんの保養所があって、結婚後「毎年一つづつ行こうね。」なんてささやかな夢を語っていたが、ムダ排除の声の中すべて無くなってしまった。なくなってしまえばそんな小さなことであっても会社に対する帰属意識は薄れてしまう。

会社のために効率化をはかり、無駄排除をしたことが仇になり、更に会社の効率を悪くしている。

人件費削減などは、更に追い打ちをかける。給料を減らされてモチベーションの上がる人はいない。効率的だからといってパート社員ばかりになるとチームとしての一体感がなくなってしまう。日本企業は一体何をしたいのだろうか?

一見、正しく見える「効率化」「無駄排除」はちっとも正しくないのである。

この現実に未だ反省もせず、効率化、ムダ削減を錦の御旗にしている人たちが多い。ちょっと考えればわかるではないか。

効率ばかり考えるから、受験産業では、合格だけを考えた最低限の勉強法なるものを考える。しかし、そんな学習方法で本当に賢い人間が出来るのだろうか?

試験科目にないからと言って世界史や地理や倫理や化学や数学を全くやったことのない大学生が教養人と言えるのだろうか。そもそも受験技術を習ったところで、何の役にも立たないのだ。

で、もっと効率を突き詰めていくと「恋愛」なんてものが出来なくなる。とてつもなくパワーがかかる割に非効率で非合理的だからだ。成果を求める立場から考えれば非常に無駄な行為となってしまう。

が、しかし、人間はそんな無駄がとても大好きなのだ。

恋愛という壮大な無駄にかけるパワーがあるのに、なぜ仕事では無駄を削ろうとするのだろうか?僕にはわからない。

結局、何事もバランスだと思う。会議の割り振りの話を先ほどしたが、余裕があればいろんなことが考えられ、次に進む知恵が生まれるのだ。

もちろん遊んでいるだけ、時間を浪費しているだけではだめだが、生産的なことと無駄なことの両方のバランスで世の中は成り立っている。

交際費を打ち切られれば、新地のママは困るのだ。昔はそこで新たな商機が生まれていたのも事実だ。今では無駄と思われている金が生き金になり、経済は回っていた。

節約をしてばかりでは経済が回らなくなり、自分に返って来るお金もどんどん減ってくる。

経済はお金のキャッチボール。回せば回すだけ景気は向上する。

その単純な事実になぜ現代人は気付かないのだろうか?

もっと会社は無駄を奨励するべきだ。特に運動会や社員旅行の実施や、社内に食堂、クラブ、交流スペースなどをつくり、社員間の交流を促進し、アイデアをいろんなところで交換できる場作りが必要だ。社外交流を促進するための交際費も必要だ。そうやって経済を回して行く方が俄然面白い世の中になっていくと思う。

なんだか心が暗くなる「効率化」「無駄削減」なんてのは早くやめて、ワクワクするような楽しいことにパワーを使うようにしたいものだと思う。

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プレゼンは聴衆へのプレゼント

ITの情報収集のためにベンダー主催のセミナーによく参加するのだが、「ああ、来て良かった〜。」と思えるプレゼンに出会えたことがほとんどない。

プレゼンというのは聴きに来ている人にプレゼントを贈るという意味である。

関西の人が「つまらないものですが…」とか言って贈り物を手渡す習慣も無いではないが、言葉のプレゼンでそれをやられるともう全く話にならない。「じゃぁ、喋るなよ」と言いたくなる。

スピーチの中で「まだ完全には完成していませんが…」とか「まだ事例はありませんが…」などいらんことを喋る場合もあり、そんな製品を売るなよと思うこともしばしばある。

もっとひどいのでは「時間があまりありませんが…」とか、「準備があまり出来てませんが…」とかなんか言い訳を言い始める場合もあり「なにそれ?」と思うこともある。

スティーブジョブズのプレゼンが感動するのは、ジョブズ自身が心底自社製品に惚れていて、好きでたまらなくて、「どうこれ、すごいでしょう?」という感情がビンビンに伝わってくるからだと思う。

ベンダーのプレゼンでは、見た目も元気がなく、俯き加減で、パソコンに向かって喋る人が多いが、それでは全く話にならない。

あと、声のトーンもボソボソと同じ調子で喋る人も多いが、まるでお経である。昼過ぎのセミナーではどうやっても睡魔に打ち勝てなくなる。

メラービアンの法則というのがあるが、「外見 55%、態度・話し方38%、話の内容7% 」というものだ。ことプレゼンに関しては日本だからというわけではなく、何処の国も同じ事情のようだ。「話の内容」よりも「見た目」が重要。表情、感情、声のトーンが大切。

ズーニンの法則というのもあって、これは「見た目の3秒、挨拶の30秒、会話の3分 」というものだ。ファーストインプレッションが大事だということである。第一印象でその後のスピーチの印象も変わってしまう。

落語でいう所の「マクラ」、つかみが大事だということだ。

あと、いろんなことを言おうとして、何がポイントなのかわからないプレゼンも多い。

落語はかなり長いが「オチ」は一つだけ。言いたいことは一つなのだ。聴衆は一度に多くのことを理解できない。ので、最も言いたいことを一つに絞るのが効果的だ。

と、長々と書いたが、ちょっとした心構えで、スピーチも大きく変わる。

製品の紹介であれば、その製品に惚れ込んで絶対オススメ!という感情を聴衆に伝えなければいけない。それがないのなら人を呼んではいけない。

なんか、偉そうなことを書いたけど、僕も含めて、講演の際にはお客様に「ここに来て、良かった〜」と思えるプレゼントを贈るようにしたいと思う。

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ソリューション研究会発表会

所属しているアシストソリューション研究会の分科会発表会が金曜日に行われた。

1年間各分科会が研究していたことを発表する機会。なかなか会社の中に閉じこもっていると、こういうプレゼンの機会はないのだけれど、この分科会では全然違う企業の人達が毎月集まって研究し、更に研究成果を発表するための練習をしたりできるという点が非常にすばらしい。しかも最新のIT情報を共有しながらすすめていくので、最新のIT知識も増え、交流することで論理力も鍛えられ、更に発表のためのプレゼンの能力もつくので、一石三鳥も四鳥もある会だと思う。

私もこの会の幹事をさせていただいているおかげで全然持ち合わせていなかったプレゼン能力もついてきたような気がする。本当にいい集まりだ。

特に分科会が終了してもいまだにちょっとした付き合いがあったりするので面白い。企業を越えて情報を交流することが盛んになってくると、日本の産業構造も変わって行くと思う。今はTwitterなどのソーシャルメディアもあるので、うまく人脈のネットワークを広げて行くと大変面白いことになるのではないかと思う。

このアシストソリューション研究会に所属しているメンバは前向きな人たちが多いので良い。大企業の集まりだとどうも形式的で後ろ向きな話が多いのだけど、この研究会は大企業と中堅企業のバランスが良いので非常に前向きな方々が多い。今回最後の挨拶で私から来年度の分科会にもどんどん参加して欲しい旨訴えたのだけど、想いは届いたかな?

小さな交流が、次第に大きくなって、関西経済ひいては日本経済の活性化にもつながるのではないかとそんなことを夢想してみたりするのだ。笑い話だけど、まんざら夢でもなさそうな気がするんだよね、こういうのって。。。

 
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