半沢直樹と銀行の人事の世界

半沢直樹がものすごい視聴率だ。前回の携帯電話を取り出して、「これが証拠です」と黒崎検査官に見せるシーンは思わず水戸黄門の印籠と重なり、正義が悪を懲らしめる感じで、日本人の心の琴線に触れるのではないかと思った。それにしても堺雅人の演技力はスゴイなぁ…。

…と、テレビドラマの解説を今日は書くつもりはなく、そこに見え隠れする銀行の人事のあり方について書きたいと思う。

先日の投稿でも書いたが、とにかく銀行は人事に異常なこだわりを持つ会社で、人事部が大きな権限を持っていた。

先週の半沢直樹のラストで大和田常務が「君の人事の話だよ…」と言って、近藤の動きを封じていたが、あれくらいこだわりが強い。

僕は子供の頃からそういう「誰それがどうのこうの」という情報に疎くて、噂話みたいなのに参加したことがなかった。(耳が少し遠いのでコソコソと話をされても聞こえないというのもあるが、「我が道を行く」のはもう一生変わらないことだろう…。)なので、クラスでイジメが起きていても、自分だけ知らないことが多く、特段意識もせずにイジメられてる子と遊んだりしていていた。その子たちに感謝されてたことを20年も経った同窓会で知らされたりした。

ましかし、クラスのほとんどの子が知ってることでも知らないことが多く、「どこでそんな話聞いたん?」という問いかけを小、中、高校、大学と何回したことか…。

という感じなので、そういう人事の件ではいろいろ困ったことが多かった。人事の話をしてる時に、相手の言ってる意図がわからないのだ。

銀行員の特徴として、はっきり言わずに腹で探るような話し方をする人が多く、そんなのは全く僕にはわからなかった。主語がよくわからないのだ。それなのに、上の人に「わかったな。」とか念を押される。「いいえ、全然わかりません。」とは言えない雰囲気なのでとにかく大変だった。

銀行の場合、人事発令は毎月末にあり、翌月初には異動になる。

3月と9月末は昇格があり、その人事も誰がトップ昇格かといった噂で持ちきりになったりする。入行7年目くらいで、「代理」(支店長代理とか部長代理を省略してこう呼ぶ)の昇格で最初の選別がなされる。

僕はそのすこし前に実施されていた労務試験や人事の面談に呼ばれなかった。同期の半分以上が呼ばれてたらしいが、そういうのがあることも知らなかった。

僕は間違ったことを言う上司には徹底反抗するなど自分の好きなように仕事をしていたので、まあ呼ばれなかったのは仕方がないが、それにしても一生懸命仕事をしている人をマイナス評価するなんてどんな会社なんだろう?とも思った。

銀行はとにかく減点主義なので、マイナス評価があるとダメになる。一度☓(ばってん)がつくと、もう逆転は難しくなる。これは半沢直樹の小説の中にも何度か出てくる。ドラマの今回の近藤のように1年休職して出向している社員が本店に役職者として戻ることは難しいのだ。先週のドラマを見て「なんで近藤は裏切るんだろう?」と思った視聴者がいるかもしれないが、銀行ではそういう逆転がありえないという前提知識がないとわからないシーンだと思う。なので、悪いやつに徹底反抗する半沢直樹の行動は理想的ではあるけど、銀行員としてはなかなか勇気のいる行動だと思う。

しかし、まあそうやってマイナス評価を恐れ続けてどうするんだとも思った。あの頃からどうも銀行には違和感を感じていた。30歳の頃だ。

その最初の昇格がダメになるだろうことがわかって、お金を貯めるために会社の借り上げ社宅に入ろうと無理に真冬に引っ越したのが失敗だった。引っ越し直後に子供が重度の細菌性髄膜炎になり、生死をさまようことになってしまったのだ。

1ヶ月半カミさんと交替で病院に寝泊まりしながら会社に通勤していた。そんな矢先に上司から呼び出しをくらって、わざわざ昇格がダメだったことを通知し、しかも自分が評価したのではないような言い訳をするくだらない場があった。子どもが死にそうな時に昇格がどうのこうのと、わざわざ呼び出していうか?と思った。そのときに銀行とその銀行員に心底失望した。

そのことをきっかけに銀行は一生勤めるところではないなと確信した。「人の命よりも会社の人事の方が重いと感じている人たちばかりがいるところ」でなぜ働く必要があるのだろう。それでその後は、(カミさんから大阪に戻りたいという希望もあり、)そういう昇格とかにあまり関係のない大阪のシステム部への転勤の希望を出した。

その後、半年後にようやく大阪転勤が決まるが、髄膜炎の後遺症で全く耳が聞こえなくなって、その頃は立つこともできなくなった長男のリハビリ施設として、「帝京大学医学部の田中美郷教授のスクール」や「母と子の教室」などの聴覚口話法を主体としているところを走り回って、ようやく千葉市川市にある「筑波大学附属聾学校」の幼児教室に落ち着いたところだったので東京勤務の方がその時には良くなっていたのだが、人命よりも人事を重視する東京で僕自身が働きたくなくて、家族に無理を言って大阪に戻った。半年後みんなより遅れて昇格した。

大阪に転勤後は仕事はよくやったと思う。が、一度☓(ばってん)がついているため、なかなかその後も昇格しないままだった。まあ仕事ができれば良かったのであまり個人的には気にせず楽しく仕事をしていた。

が、その後、銀行合併時のシステムトラブルがあり、わざわざ避けていた東京転勤を突然言い渡されたので、それをきっかけに銀行を辞めることを決意した。その異動は全く人の意見を聞かずに決められた。障害の子を抱えて困っている事情など何一つ聞かれなかった。銀行員には人間の心が通っていないのだろう。

辞める決意をした後の話として、大阪の某部署でイジメられた話を先日書いたが、本当にうんざりするような次長とその取り巻きだった。

銀行は優秀な人も非常に多いが、こういうおかしな人事制度の元では途中で人間もおかしくなっていくのだろう…。

僕がこのブログで何度か人事制度批判をしているのはこういう事情があってのことだ。実際に現場を体験し、こういう人事制度がこれ以上日本に広まらないことを世の中に訴えねばと思っているのである。

やっぱり会社は「人」があってはじめて成り立つもの。会社の中で働く「人」を大事にしない会社はこれからの日本には存在してはいけないのだと思うのだ。

評価:
池井戸 潤
文藝春秋
コメント:ドラマ半沢直樹の後半部分の原作。僕も昔ホテル再建に絡んだことがあり、ぐっと来ます。

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今年の出張は記録的

今年の出張記録をちょっと整理。無茶苦茶だ。

1月14日〜15日 フィリピン
  16日〜17日 マレーシア
  18日〜19日 ベトナム
  21日〜22日 東京(浜松町)
  25日〜26日 東京(市ヶ谷)
  28日〜29日 東京(六本木)
2月 2日〜11日 アメリカ(ニュージャージー)
  12日〜13日 東京(浜松町)
3月 1日〜 3日 名古屋
  14日     埼玉(大宮)
  28日〜29日 東京(浜松町)
  31日〜 2日 アメリカ(ニュージャージー)
4月 3日〜 8日 ブラジル(サンパウロ)
   9日〜13日 タイ(バンコク、チェンマイ)
  17日     東京(表参道)
  22日〜24日 フィリピン(マニラ)
5月 5日〜12日 アメリカ(ニュージャージー、ケンタッキー)
  15日〜 6日 東京(市ヶ谷)
  21日〜23日 東京(表参道)
6月 9日〜11日 東京(浜松町)
  19日〜20日 東京(表参道)
  26日〜28日 アメリカ(ケンタッキー)
  29日〜 2日 アメリカ(ニュージャージー)
7月 3日〜 5日 イギリス(ロンドン)
   6日〜 9日 インドネシア(ジャカルタ)
  10日〜13日 インド(デリー)
  26日〜27日 千葉(習志野市)
8月 2日     東京(市ヶ谷)
9月13日     東京(品川)
9月17日〜27日 アメリカ(ニュージャージー)

ここ最近は、ようやく海外出張が落ち着いてきたと思ってたのだが、またまた来月から怒涛の海外出張予定であります。なんか出張絵日記とか書けるようになりたいな…。

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消費税増税の時期に来ていない

GDPの実質成長率が3.8%になったということで、来年4月からの消費税増税に現実味が出てきた。がしかし、今はまだ増税の時期に来ていないと僕は思うのだ。

一つはGDPの成長率分だけ各個人一人ひとりの所得が上昇していないからだ。新聞には「実感がわかない」という世論調査を掲載しているが、実感でなく、実際に給料はまだ上がってない。3.8%も上がるということは給料が月額30万円の人の今年の昇給が11,400円なければならない。そんなにみんながみんな上がってないのだ。(ちなみに僕など去年より2万円も下がっている。)

しかし、昔「GDP」と「国民所得」と「民間支出+政府支出」は三面等価の関係にあると習ったので、当然GDPの成長率に比例して所得も増加しなければおかしい。 が所得は分解すると労働者賃金+営業余剰+その他に分解される。つまり営業余剰=「企業の内部留保」が増えているだけで今はまだ所得にまで回ってきてないのだ。

なので、この時期に早くも消費税を今より3%も上げるというのには賛成できない。

あと、消費税増税が実際の税収増につながるかどうかを過去の事例で確認したいのだが、平成9年に実施した消費税3%から5%への増税後どのような税収の推移になったのかをグラフで見てみたい。

下記のグラフは一般会計の税収の推移だが、消費税額の寄与分は4兆円程度と考えられるが、平成9年以降はほとんどその効果を得られず、一度も平成9年を上回っていない。増税翌年は4兆円上がるどころか逆に4.5兆円下がっている。この年から自殺者が急増し年間3万人を超えるようになったのだ。

 (財務省 一般会計税収の推移より)

という具合なので、消費税増税=歳入増とは言えないどころか、どんどん歳入減になっていくという過去の事例なのだ。

今、アベノミクスで実質GDPが3.8%も上昇しているのなら、それだけで法人税や所得税の増額が見込められる。実質赤字で一銭も法人税を払っていない大企業も多かったが、今後はそういうこともなくなり、飛躍的な歳入増が予想されるのではないだろうか?

で、あればいまさら消費意欲を減退させるような消費税増税を今やる必要は全くないと思えるのだ。

それよりもそもそもこの国がやらなければいけない問題は多い。

先ほどの投稿でも述べたが、そもそも企業経営における「終身雇用」の崩壊や「年金システム」の崩壊で、国民の未来への安心感がなくなっていることが、消費意欲を減退させ、この国がデフレスパイラルから抜けられぬ原因になっている。この根本原因をまず解決する必要がある。経済成長が持続的に続き、その恩恵が国民一人ひとりに還元され、将来への不安が払拭されて、はじめて消費税増税が言えるのではないだろうか?

アベノミクスは今のところ、非常に効果がでているし、オリンピックに向けてこれから投資も増えていく。この経済成長の腰を折るような消費税増税は即刻中止してほしいと思うのだ。

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「現代東京奇譚」を聴きながら

 『現代東京奇譚』 桑田佳祐
 
 明日の行方も知れない
 羊達の群れ
 都会の闇に彷徨い
 身を守るだけ
 (中略)
 飼いならされた僕は
 一人じゃ立てそうもない
 川は流れ ただそれを
 見つめるばかり
 (中略)
 幼き日に見た夢が
 全て嘘と言うのなら
 世の中は裏表
 何故か教えて…

昨日から、この曲ばかり聴いている。

世の中の不条理を嘆いても仕方ないが、バブル崩壊以降の各企業が採用した成果主義がこの国に落とした陰は異常にまでに現代の日本人の心を蝕んでいる。

将来に希望が持てない異常な「成果主義」中心の人事制度のせいで、同じ職場の人同士がライバルとして競争相手となり、上には媚びへつらい、下には傍若無人に振る舞う輩が増えた。そこには会社を良くしようとか、もっと言うと「この国を良くしよう」という発想はなくなり、いかに会社の中で自分が人を出しぬいて出世するかが大切になっていく。

昔から銀行にはこのおかしな成果主義が取り入れられていた。それが今ドラマ「半沢直樹」で取り上げられているが、このドラマに代表されるように銀行の内部では異常なまでの人事へのこだわりと歪な出世競争にさらされていた。ホントに異常だ。

ところが今では銀行だけでなく、ほとんどの大企業がこの異常な人事制度を取り入れ、日本企業が大切にしていた「企業は家族」という思想、すなわち「終身雇用」「下がらない賃金」「老後の保証」「社内福利厚生」が砕け散ってしまったのだ。

バブル崩壊以降の低成長、デフレスパイラル、下流社会、イジメ…、それらはすべて、この企業の変質が原因だと思う。

将来上がることが確約されていない賃金制度の元では高額の長期のローンは組みにくい。これは住宅取得意欲減少の大きな原因だ。あきらめて賃貸(それも会社負担の)にするか、自分の給料の範囲内の安い家で我慢するようになっていく。

年金もあてにならないので、なるべく日常では安い買い物をして貯蓄しようとする。それがデフレの大きな原因だ。「もっと安く」と安値競争をして日本企業はお互い足を引っ張り合っていた。

会社では、失点が少ないように達成可能な目標を掲げるようになる。目標が低すぎれば評価が低くなるので、目標ちょっと上くらいにして、毎回失敗がないように無難に過ごすようになる。常に上司の目を気にし、自分の仕事が何の役に立っているのか、そもそも会社の理念は何だったのかなんてことは忘れて、ただ日常を過ごしていく。

過度のストレスにさらされているのでちょっとした事でメンタル的にやられ、原因を人のせいにしていく。「俺は一生懸命に働いているのに」と家族にあたりちらし、朝から電車内では押されたと言っては喧嘩をし、怒り、眉間に皺を寄せて出社する人が増えている。そういう親は子どもに未来を語れていないことだろう。

一体人は何のために生まれてきたのだろうか?
この日本で僕らは何をやればいいのか、ということを問わずに多くの人は日常を生きている。

だが、だれもが何かの役割を担って生まれてきたはずだ。会社員として過ごしていても、それは単に自分の評価を上げるためでなく、会社が担っている社会的使命の一翼を担っているといつも考えることが大事だ。

ドラマ半沢直樹の原作「オレたち花のバブル組」の中でこんな文章がある
仕事は二の次で余暇を楽しめればいい、そう考えたこともある。
しかし、一日の半分以上も時間を費やしているものに見切りをつけることは人生の半分を諦めるのに等しい。誰だって、できればそんなことはしたくないはずだ。いい加減に流すだけの仕事ほどつまらないものはない。そのつまらない仕事に人生を費やすだけの意味があるのか?
仕事を面白くするためにも、一刻も早く今の人事制度を変えていく必要があると思う。
ここに来てアベノミクスの成果が出てきた。オリンピックも7年後に東京開催が決定した。夢の持てた昭和30年台が復活したかのようにも思える。だから今こそ日本人としての原点に復帰すべきだと思う。

昔のように、将来に希望が持てる日本になるべきだ。日本人としての誇りを持てる国、「ああこの国に生まれてきて良かった」と子どもたちが思える社会。そんな国にしていきたいと思う。

そのためにも親世代が一生懸命この国のために働き、子どもたちに未来を語らなければならない。自分の出世よりもこの国のために生きるというふうに今までとは視点を変えて生きていく必要が大人たちにはあるのだと思うのだ。

誰にでもできると思う。

僕も、銀行時代にシステム部でのびのびとやっていたが、合併後に東京転勤を拒否したことから、異動したある部署で徹底的に虐め抜かれ、精神がおかしくなりそうになった。教えられていないことができないと言っては全部員に僕を誹謗中傷するメールを送る次長がいた。それは今で言うパワハラにあたると思う。僕だけでなくもう一人ターゲットになっている社員がいたが、そういう次長がいると全員がそいつの顔色を伺うようになる。そんなバカな話があるかと思いこちらも徹底的に無視をしていたことから、たった半年で、仕事を取り上げられ挙句の果てには5万円給料を下げられた上で異動させられた。

そこで一旦銀行という組織に諦めを持てることができた。もう銀行なんてどうでも良くなった。なので、その後異動した総務部不動産売却部門では嘘のように楽しい銀行員生活を送れた。毎日10億単位の物件の売買を一人でできる環境で、猛烈に働いた。システム部員に不動産取引などできないと思ったのだろうが、残念ながら僕の得意分野だったのだ。不動産会社に就職しようと思ってたくらいだからね…。会社に評価してもらおうという欲をなくせば人間なんだってできるんだと思った。

その後は運良く転職でき、元のシステムの仕事ができ、今のところ順風満帆の状況だ。今の会社でもあまり会社の社内政治とか人事制度には無頓着に日々飄々と生きている。

組織にしがみついていると見えないものが、一旦、組織を離れてみると見えるようになってくる。「何のために仕事をしているのか」ということを忘れずに生きていれば、人間かならずいいことがあるのだと思うのだ。

捨てる神あれば拾う神あり、かならずお天道さまは頑張ってる人を見てくれていると思う。

評価:
桑田佳祐
ビクターエンタテインメント
¥ 2,829
コメント:「愛しい人へ捧ぐ歌」を聴きたくて買ったのですが、「現代東京奇譚」ばっかり聴いてます。

社会論 | comments(0) | trackbacks(0)

アベノミクスは非常に上手く行ってると思う

 円が100円になり、株価は4年ぶりに1万4600円まで回復した。
「アベノミクス」は今のところ大大成功と言っていいのではないだろうか?

経済学的には、インフレターゲットを画策してもなかなか市場は動かないし、下手に物価が上昇すると、金利も上昇し、円を買う人が増えるため、為替は円高の方向に触れやすい。

ところが、今回の「アベノミクス」では、日銀を巻き込んで金融緩和策と同時にインフレターゲット年2%の明言を一緒にやって、それをニュースで大々的に流したことで、うまく円安に移行した上に、購買行動までも刺激し、百貨店売上高は7年ぶりに3ヶ月連続前年比プラスになっている。消費が増えれば、生産も増え、遅行してインフレの方向になっていくはずだ。

その上、今のサラリーマン経営者では売上増を賃金増にまで決断できないのだが、そこを経団連などに賃金増も併せて政府から要請するという、素晴らしい行動力で日本全体が円安でしかもデフレ脱却しかも賃金上昇という普通ではできない道を進むことができている。

「なんじゃそれ?」「ありえへん」とばかり感じてたように、民主党の政権運営があまりにもお粗末だったため、その反動で余計に期待感が大きいということもあるが、それにしても大変なスピードとセンスで安倍政権が強烈に日本復活をリードしているのはとても賞賛に値することだと思う。

何度かブログに昔書いたのだけど、民主党政権になったころに書いたブログ「本当に必要な政策」の中に年率2%のインフレターゲットのことを説明している。なかなかぼくもセンスあるじゃんと思うが、そのときには円安とインフレが両立できるとはとても思えなかった。特にいくら日銀総裁がインフレターゲットを2%と発表しても市場はなかなか反応しないものだが、日本人の「空気」をうまく捉えた安倍首相と黒田日銀総裁のコンビの発言力はすごいと思う。

マスコミの報道を見てると、円安で燃料価格が上がって電気代があがるとか、海外旅行が控えめになるとか、マイナス面ばかりを強調しているが、今のこの政策は実は普通の方法では成し得なかったもので、素晴らしいとしかいいようがないと思う。

あとは、この波に乗って、日本の主体産業が確立できれば良いのだが、それは何の産業なのだろう?高度経済成長期は「家電」がリードしていたし、その後は「自動車」だったが、今後は「家電」の復活とあわせてあたらしい中核産業を創造していく必要があり、新しい産業で日本がイニシアティブをとっていければなと思う。

まず一番重要なのは次世代エネルギーの開発で、安倍政権では「メタンハイドレート」に注目しているが、原発(核分裂)の反対の「核融合」を主体とした発電とか、やっぱり日本は技術主体でいくしかないと思う。

ま、それにしても、政権が変わることでこれほどまで未来の展望が開けたのは久しぶりだ。マスコミが揚げ足をとってつぶさないように見守っていきたいと思う。




政治・経済 | comments(0) | trackbacks(0)

海外出張と英語の勉強

 今年に入って海外出張が続いており、ブログの更新が途絶えていたのですが、ようやく落ち着いてきたので、また再開しようかなと思っています。

とりあえず1月に入ってからの出張記録は以下のとおり
1月14日〜15日 フィリピン
  16日〜17日 マレーシア
  18日〜19日 ベトナム
  21日〜22日 東京(浜松町)
  25日〜26日 東京(市ヶ谷)
  28日〜29日 東京(六本木)
2月 2日〜11日 アメリカ(ニュージャージー)
  12日〜13日 東京(浜松町)
3月 1日〜 3日 名古屋
  14日     埼玉(大宮)
  28日〜29日 東京(浜松町)
  31日〜 2日 アメリカ(ニュージャージー)
4月 3日〜 8日 ブラジル(サンパウロ)
   9日〜13日 タイ(バンコク、チェンマイ)
  17日     東京(表参道)
  22日〜24日 フィリピン(マニラ)
5月 5日〜12日 アメリカ(ニュージャージー、ケンタッキー)

今日までの営業日数84日に対して出張日数51日。なんと60%以上が出張日だった。

これはいくらなんでもやり過ぎで、そろそろヒートダウンしなければ身体が持たないなと思う。東京の会議もほとんどは英語なので、苦手な英語のリスニングが出来ず大変なのだ。

なので、帰国後は英語を集中的に学習して、議論を引っ張っていけるようにしなくちゃと思う。並大抵のことではまあできないのだけど、とりあえず、アルクの講座とかリスニング教材を片っ端からやって1ヶ月は英語漬けになりたいなと思う。

というのも6月6日、7日に英語で会議の司会をしなければならないことになってるからだ。会議の日まであと1ヶ月を切っているけれど、とにかくゴール日が決まっているのでやらなくてはしょうがない。この年になって、なんでここまでやらんといかんの…?と思うが、人間って「背水の陣」に追い込まれればなんだって出来るものだとも思う。

そもそも聴力が弱いので、ハンディは大きいけれど、なんとかやっていこうと思う。
それにしても、ぼくって超楽観主義者だなとつくづく思うよ。。。。


日記 | comments(0) | trackbacks(0)

今年の干支は癸巳(きし、みずのとみ)

評価:
安岡 正篤
プレジデント社
¥ 1,529
コメント:干支の解説から世の中を見渡せる内容。

安岡正篤の「干支の活学」という本を買った。 

震災の発生した一昨年「辛卯(しんぼう、かのとう)」、政治の混乱がひどくなり年末にようやく収拾にこぎつけた昨年の「壬辰(じんしん、みずのえたつ)」について、SBIホールディングスの北尾吉孝氏が年頭所感で非常に驚くべき予測をされていたのでこの「干支」というものは侮れないなと思い、僕も研究してみようと思ったのだ。

特に一昨年「辛卯」の年の北尾氏の年頭所感には「過去の辛卯の年をみると、自然災害など天変地異の異常や予期せぬ出来事が起き易い。特に地震である。地下に蓄えられたエネルギーが地上に向かって動き出す。」と書かれている。東日本大震災を予言しているかのような記述である。

また昨年の「壬辰」の年の年頭所感には「前年の諸問題がさらに増大し、その問題を処理する壬人が求められますが、往々にして時局に便乗して、自己の野心をたくましくしようとする良からぬ人間が輩出します。ですから人事に最も注意を払わなければなりません。」と書かれている。こちらもなんだか民主党の影の総理の人事を見ているようで非常に当たっているような気がしなくもない。

ということで、干支を勉強すれば、未来の予測が少し出来るのではと思ったわけです。で、気になる今年の干支であるが、今年は癸巳(きし、みずのとみ)という干支になる。

癸は「みずのと」ということで陰陽五行説の「木火土金水」の一番最後の水であり「泉から湧き出る水」を意味し、胎内と霊性を感じさせる言葉になっている。「みずのと」の「と」は陰陽でいうところの「兄(え)弟(と)」をあらわし、昨年は「みずのえ」の年である。五行×兄弟(え・と)で十干になっている。干支の干は幹をあらわし、支は枝をあらわす。意外に僕達が「今年はへび年だね」とかと言ってる十二支の方が枝であり、幹は十干の方である。

この幹の方である十干の「癸」という言葉は「干支の活学」によれば「(以下引用)百姓一揆の「揆」と同じ文字で、揆計とか揆測などと申しますが、物事を「はかる」という意味であります。また「はかる」には、はかる標準や原則がなければならない。したがって則とか道とかいう意味にもなるわけであります。そこで「癸」の意味するところは、万事則・道、つまり筋道を立ててはかる、考える、処理するという意味になる。ところが筋道をなくすると、物事は自然に混乱し、その結果はご破算にしなければならぬようなことにもなる」と書かれている。

民主党政治の問題点はノンプロによる政治で、全く筋道が立っていなかったこと、誤った政治主導により「原則」を離れた「道理の合わない」ことが頻発していたが、自民党政権に変わり、ようやく筋道が立った政治が始まったようにも感じる。この年末年始、政治に対しては非常に安堵感があるのはこういうことなんだなと思う。しかし、この夏の参議院選挙でまた与党が半数に満たなくなる可能性もあり、そうなれば、また社会は混乱し、動乱になる可能性も含まれているのではという気もする。

続いて十二支の「巳」の意味は「(以下引用)今まで冬眠をしておった蛇が春になって、ぼつぼつ冬眠生活を終わって地表に這い出す形を表しておる。すなわち(中略)従来の因習的生活に終わりを告げるという意味がこの文字であります。」と書かれている。

ということで「癸巳」の年は、従来の流れからは考えられない新しいものが這い出してきて、これからの時代の幕開けのきっかけになる年であるように思います。「癸巳」は十干十二支の60年の半分、30番目の年であり、ここから陰陽反転する年にもなることもあり、1984年から始まった新しい時代の膿が落とされ、新たな30年に転換していく年になるはずである。

60年前の1953年(昭和28年)は前年のサンフランシスコ講和条約の発効により日本の独立が承認され、この年には朝鮮戦争の休戦調停がなされた年で、日本の戦後の経済成長が実質的に始まった年である。まさに陰陽反転し、成長が始まった年になっている。

その60年前の1893年(明治26年)は翌年に日清戦争が始まっている。明治維新も軌道に乗り、アジアの独立国として列強と伍していくためにもう一つの独立国(大韓帝国)を作ろうと画策し、日清戦争がはじまるのだが、その「戦争の時代」の前夜がこの年である。

良きにつけ、悪しきにつけ、時代の転換点となるのが「癸巳」の年であるということだ。なので、今年は非常に大事な年であるとも言える。激動の時代の転換点となる年である。

その足音は年末の衆議院選挙で始まっていると思える。過去の自民党政治から脱却して、筋道を立てて、スピーディーにイノベーションを起こしていけるのであれば、今後の日本再生の起爆の年になるのではないかと思う。

会社も同じ。

古い因習を捨てなければいけない。過去の延長線上のちょっと上の「ストレッチした目標」とかいうくだらない成果主義を捨てて、過去では考えられないチャレンジングな施策を行える会社が増えていく年になっていけば、この日本もすごい国になって行くのではと思うのです。

変革の年「へび年」。

身にまとった古い服を脱ぎ捨てて、新しい時代に脱皮する素晴らしい1年にしていきたいものだと思います。
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海外に行くとやっぱり日本がイイなと思う

今年の夏頃から仕事が激変し、海外出張が続いている。

先月末は2週間アメリカに滞在したが、そこで感じたのはやっぱり日本がイイなということだ。

具体的に言うと、日本は「ウォシュレットがある」「レストランの店員のサービス態度がイイ」「コンビニがいっぱいある」「電車網が充実している。電車と徒歩でほとんどの場所に行ける。」「スーパーの品ぞろえがすごい」「おみやげものがいっぱいある」 といった細かいことなんだけど、生活をし始めると途端に感じるが、アメリカにいると何だかすごく不足感がある。あれもないこれもないという感覚に陥る。お好み焼きを作ろうと思って買い物したのだが、包丁一つまともなのがない。まな板もない。お好み焼用ソースがない(これはあたりまえ)。

AppleやAmazonがすごいサービスを考えついているが、どちらもアメリカだと不足感が大きくて、それを補うために発案できているのかもしれない。CDを買ったり、本を買ったりということが面倒だったんじゃないかということだ。

日本だと、会社帰りにちょっと買い物っていうのが簡単にできる。とにかく日本のお店はものすごくたくさんのものが詰め込まれている感じだ。

ANAの国内線で今月は「詰める」ということをテーマにお弁当箱の話やキディランドやお土産物屋のような店では、ありとあらゆるものがものすごくたくさん展示されているということを機内番組で流している。デープ・スペクターが日本の良さを語っているんだけど、外国人から見ても日本は良い国だと思うんじゃないだろうか?すごくモノやサービスが充実しているからだ。先日海外から日本に来たアメリカのITのチーフが「ヨドバシカメラ」と「東急ハンズ」に感動していた。まあ、確かにものがいっぱいあるもんね。

しかし、日本人はあまりに充実しているのでそこに安住してしまっているという気がする。人間はハングリーでなければ成長しない。つねに不足感を感じて新しいチャレンジをしていかなければいけないと思う。

アメリカの場合、テレビなどは自国生産をしていない。ほとんどのテレビにLGかSAMSUNGのロゴがついている。日本はそれをがんばってやろうとして価格競争で負けている。そのあたりは割り切っているという感じだ。

でも、かといって日本企業が生産をやめるべきだとも思えない。日本独自の技術を追求しなければイノベーションはできないからだ。製品ラインナップを変えるということだ。現状の問題は商品のレパートリーと集中投下すべき商品の選択を誤っているだけだと思う。

パソコンやテレビのようにパーツの組み合わせでできる商品で新興国に勝とうと思ってもそれは勝てなくなっている。円が異常に強いからだ。そういうのは新興国にまかせてしまっていいと思う。日本がやるべきことはもっと違う付加価値の高い商品を作るということだ。それがAppleでありAmazonの戦略なんだと思う。

ということをつらつら考えながら思うのは、日本の大企業に属している人では、もうこれからの世の中に太刀打ちできないかもしれないということだ。大企業の中にいては社員はあくまで「労働者」という位置づけでしかなく、経営者自身もサラリーマンであり、リスクを取って博打ができない人ばかりになっているからだ。

イノベーターを発掘しようという気が経営陣にないので、当然イノベーティブな製品はできるわけがない。現状改良型で今まで日本は戦後頑張ってきたが、そういうことは韓国のほうが得意になってきている。日本は先進国として一歩先を行かなくてはいけなくなっているということに気づいていない。ステージが10年前くらいから変わってきているのだが、日本企業はいまだに新しいステージに適応できていない状態になっている。

それに輪をかけて「人事制度」のあやまりが是正されていないことが問題だ。「成果主義」では「成果」は出ない。それに早く気づくべきだ。成果主義のおかげで、技術を大事にすること、年長者を大事にすること、家族的な経営という日本的な一番重要な根っこの部分が壊れてきてしまっている。これはとても問題だ。

テレビを見ていると訳知り顔でこれからは「モノづくり」ではなく「金融」だとかいう馬鹿な評論家がいる。そんなわけはないだろう。AppleやAmazonが金融なのか?? やっぱり新しい「技術」が重要だと思う。儲からないかもしれないけれど、これからは新しいことにチャレンジする人を評価する人事制度に変える必要がある。一見無駄なことが重要だと思う。

日本人の中にはすごい能力を持っている人がいると思うのだ。企業がそういう人たちの芽をつんでいる気がしてならない。従来の発想からは考えつかないものを考える人がいるはず。そういう人を大切にし、自信をもって新しいことにチャレンジしていく国に変われば、日本も復活すると思う。

従来のやり方に固執するのではなく、それでいて捨て去るのでもなく、伝統を重んじつつ、伝統の延長線上に新しい階段を積み上げていくのが日本式の経営だと思う。

先日伊勢神宮の式年遷宮を調査しに、実際に神宮に行ってきたが、昔からの伝統を大切にし、従来の方式にこだわりつつも時代に応じて新しい技術を導入していることがわかった。式年遷宮とはは20年に一度、伊勢神宮の外宮内宮のそれぞれの建物と、別宮の建物や各種装飾品、橋までも付け替えるのだが、建築技法や和釘づくりや飾り職人などそれぞれの「ワザ」を継承していくために20年毎に行なっている。一見無駄なことのようだが、毎回の建築作業の中にも新しい発見があり、技を継承していくと同時にイノベーションが起きている。

日本的な文化として「残すべきところは残し、変えていくべきところは変える」という取捨選択をし、他国に惑わされず、自信を持ってチャレンジしていくことが大事だ。現状のような豊富なモノやサービスがあることに安住するのではなく、「常に良い物はもっとある」という考え方でさらなるイノベーションを起こしていく国が本来の日本の姿なんだと思う。

「現状維持はゆるやかな衰退」である。来年こそは日本飛躍の年にしたいものだと思う。
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