はじめに言葉ありき
2011.11.03 Thursday 22:36
今日、長男の高校生活最後の文化祭を見に市川の筑波大学附属聾学校に行った。
高校3年生の学年会の映画は「つながり」っていうタイトルで、自分たちの「大学入学後の不安」「就職の不安」「障害を抱えて生きていくことの不安」をどうやって克服するかを描いた作品ですごく良かった。
主人公たちがいろんな不安を抱え悩みながらも、先輩たちの大学生活の苦労話や就職後の失敗談を聞いたり、普通中学校にいた時に当初は障害を意識してもらえなかったが、ある女の子が「手話」を勉強し、仲間たちもみんな手話を覚えてくれたことで世界が変わった体験を語ったりすることで、自分たちから障害のことを理解してもらうために、悩んでないで一歩踏み出そうと決意するお話。
ろう者の場合、人を呼ぶときに相手の肩をトントンと叩くのが普通だが、大学で女の子にいきなりろう者に対するのと同じように肩を叩いて驚かれた話など、ろう者と健聴者の文化の違いがある話はなるほどなと思った。そういうことの一つひとつが誤解につながるし、完全に聞き取れてないのに曖昧な返事をしたことで失敗し、信頼を失うというような話はよくあることだと思った。
僕も聴力が弱いので職場などでも誤解されることが多いが、全く聞こえない彼らは本当に生きていくことがつらく感じることがあるだろうと思う。
映画の中で何度も「コミュニケーション」という言葉が出てきた。メールや字幕などが一般化してきて、だんだんとろう者にとって便利な世の中になりつつあるが、仕事の基本はやっぱりコミュニケーションであって、コミュニケーションによる相互理解がないと仕事にならない。
ヨハネの福音書の冒頭に「はじめに言葉ありき」というのがあるが、言葉(ロゴス)が先にあり、言葉なしには思考もできないし、思っていることを伝えられない。
聴覚障害というのは見た目は普通で障害者という感じではないのだけれど、言葉を音声として保有していないことにより、言語学的に言うところの「聴覚映像(聴いたことを脳に思い浮かべること)」を獲得できず、「視覚(手話・文字)映像」でしか物事を捉えられないため、何かを考える際には文字としての言葉でしか考えられないという厄介な障害なのだ。
健聴者の場合、黙読していても音声が耳に聞こえるし、今こうやってブログを書いている時も脳の中で喋りながらキーを叩いている。このことがうまくできないのがろう者で、音声が少しでも子供の時に入っていると手がかりがあるのだが、生まれてずーと手話だと音声が入らないままになってしまう。
だからこそ、聴覚障害者はすごく「言葉」を大事にし、丁寧に扱う。
一方、今の日本は政治家も経営者も若者も総じてとても言葉が軽い。聴覚障害の高校生が映画の中で「コミュニケーション」の大切さを訴えている傍らで、世の中はどんどん「コミュニケーション不全状態」に陥っている。特に民主党政権などはひどいもので、究極の「コミュニケーション不全首相」の鳩山、菅が去った後も結局同様で、明日にもG20で誰も納得していない消費税増税やTPP交渉を始めるということを言うらしい。この国のコミュニケーションは一体どこに行ってしまったのだろうか…?
と、話がそれたので元に戻すが…、
ホントに映画はよく出来ていた。エンディングは奥華子の「太陽の下で」で歌詞がすごくイイ。
明日へと続いてく道があるから 歩いて歩いていけるんだ
何気ない毎日の笑顔があれば 僕らは繋がってゆける 太陽の下で
とか
歩き疲れて立ち止まっても 信じる道をあきらめないで探しに行こう
未来へと続いていく道があるから 何度も何度もいけるんだ
同じ星 同じ時 同じ力で 僕らは繋がってゆける 太陽の下で
という感じで、この曲にあわせて学年全員で手話で歌うのだが、曲が聞こえない彼らがピシッとそろえて手話で歌う様子は、もっと多くの人に見てもらいたいなと思う。
で、映画を見ながら、聴覚障害を持つ彼らが抱えている大学生活や就職活動の不安はとても大きいのだけど、普通の大学生だって将来には大きな不安を抱えているという点は同じだなとも思った。
今の日本はすべての人が言い知れぬ不安を抱えて生きている「生きる意味」を見いだせない社会になってしまっている。
この映画では一歩踏み出すために「つながり」を大切にしたいというところをクローズアップしていた。今日の文化祭にも数多くの同窓生が来ていたが、ろう者のコミュニティは我々健聴者よりも強固で団結力が強い。同じ苦労をして生きている分、大人になってもずっと友達関係が続いている。そういう意味では困ったことが起きてもお互いに助け合う風土ができているし、そのコミュニティに所属していることが「生きる意味」をもたらしていると思う。
ここのところ、急速にfacebookが広まっているのも、誰もが皆「つながり」を求めている証拠だと思う。不安を癒し、新しい一歩を踏み出すためにも「コミュニケーション」がこれからの時代は大切なのだということだよな…。
と、長男の映画を見ながら、そんなことをふと感じたのでした。
いや、ホント良かった。あの映画。。。(シナリオ原案がうちの長男らしいし…)