怒らないこと

何年か前に読んだこの本もう一度読み直してみた。

仏教の三毒と言えば「妬み(貧)」「怒り(瞋)」「愚痴(痴)」であり、人間の生き方として「妬まない、怒らない、愚痴らない」とうことが大切。先日のエントリーで、法句経(ダンマパダ)の5番に「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。」という句があるのを紹介したが、特に三毒の中でも「怒り」を捨てることが大切だ。

怒りがおこる原因としては、エゴ(我)があるからだ。「自分はこういう人間だ」「こうあるべきだ」というエゴが強いと、ちょっとした外からの攻撃に対して全部「怒り」で返してしまう。

私もどうしても、罵られるとすぐに反応して「怒って」しまう。そういう場合でもぐっと堪えて冷静に対応する必要がある。もっとも、人間ができてくると、罵られても、我がなければ自分に対しての罵倒と思わないので、はじめから冷静に対処できるようになる。「怒り」という感情が現れないからだ。要は罵られて怒っているようではまだまだ「子ども」ということだ。

駅で朝からやれぶつかっただの、足を踏んだだので怒っている人を見かけるが、端から見ていても「怒っている人」はみっともない。怒りを抑えることの出来ない人の顔はだいたい似通っているような気もする。子どものような大人が増えてきているのだろうか…。

昨晩は駅前の交番の前でけんかかなにかだと思うが、よっぱらったおっさんが警察官2人の前で猛烈に怒っていたが、怒られているもう一人の方は冷静に成り行きを見ていた。このワンショットを見ても怒っていない人の勝ちは決定的だ。警察はこの怒っている人の住所と名前を記録し、要注意人物として記録することだろう。

自分が怒っているときはなかなか気づかないのだが、絶対に「怒り」の感情を表に出すべきではないなあとあらためて感じた。ホントに端から見ていてみっともない感じだった。

怒りの最大級が「戦争」だ。「怒り」を捨て、なぜ冷静に交渉できなかったのだろうか?

仏教の説く内容はとても深く、確かに「怒り」を捨てられれば、平和が訪れるのかもしれない。日々の生活の中で「怒り」の感情を誰もが持たないように努力していけば少しずつ平和な社会が近づくのではないかと思う。
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いきなりはじめるダンマパダ―お寺で学ぶ「法句経」講座

仏教を学び始めるのに最適の本なのではないかと思う。

冒頭にダンマパダの第5番をあげているが、サンフランシスコ平和会議の際にこの第5番をスリランカの代表ジェヤワルデネ氏は読み上げて、日本への賠償権を放棄したという有名なものだ

実にこの世においては怨みに報いるに怨みを以てしたならば。怨みの息(や)むことはない。怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の心理である。(中村元「ブッダの真理のことば、感興のことば」岩波文庫)

法句経とよばれるこのダンマパダをとっかかりにして、仏教というものについて考えようというのがこの本の狙いだ。大阪の應典院というお寺で開催された仏教講座を収録したもので、とてもわかりやすい。

日本では仏教というとどうしても葬式しか結びつかないが、そもそもは自己を認識し、修練していく方法なのだと思う。キリスト教やイスラム教が一神教で、その神を絶対化する他力な宗教に対して、仏教は本来自力な宗教なんだと思う。

しかしながら、浄土真宗あたりになれば、ひたすら念仏をすることで自己を救うあたりはキリスト教にも近いと思う。

自分ではどうしようもないことについては、やはり神に頼まざるを得ないのではないかと思う。そういう意味での宗教論争は果たして有効なのかどうかはわからない。ただ、仏教は基本は自己の修練だということをおさえるべきだということだと思う。

うにゃうにゃと何をいっているのかわからないお経だが、このダンマパダ(法句経)は非常にわかりやすい。もともとブッダもそういう普通の言葉で弟子たちに語っていたはずだ。そのエッセンスが学べるのがこの法句経だ。

なんども読み返したい本だと思う。

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「日本の経営」を創る


評価:
三枝 匡,伊丹 敬之
日本経済新聞出版社
¥ 1,995
コメント:この本はすばらしい!
セキュリティ対策やら個人情報保護からはじまって、内部統制、会計制度のグローバル化などなどアメリカ発の話がIT部門には多すぎて、ここ最近はなんだか違和感をずっと感じてきていた。

そんな中この本では第1章からして「アメリカ流経営九つの弱み」と題しており、おおアンチ米国経営かと思えば、第2章は「日本的経営も威張れたものではない」と題するなど、日本経営を論じる中でも、かくあるべしと骨太に論じておりとても参考になる。

昨年はじめて経営に関する論文を自分で書いたのだが、この本を先に読まなくてよかった。とてもじゃないが、この本に書かれているような実務に裏付けられた経営理論を聞いてしまうと、自分の論理の稚拙さが恥ずかしくなってしまう。恥ずかしいから論文を最後まで書けなかったと思う。

でも、似た部分もある。それは組織における「場」の論理のところだ。三枝氏が再三述べているのはスモールな組織が大切だという点だ。だから、いくつもの小さな組織を創ることでスモールで「作って創って売る」というワンセットをそろえることが大事だと言っている。ところがあまりに大企業になってしまうとそうもいかないので、直接話法と間接話法を融合させることが大事だとも述べている。

あと、抵抗勢力との闘いについても書かれているが、本当に会社の中はいろいろな抵抗勢力がいて驚く。私自身も外部から来た人間なので、突出すると必ずたたく人が出てくる。なぜそんなに敵視するのかもよくわからないが役員レベルであるにもかかわらずこちらを攻撃してくる。攻撃してきて会社全体の利益になるのならともかく、全く利益にならないにもかかわらず追い落としにかかる人が出てくるのだ。

「横から弾を撃たれる」という表現もよくわかる。一緒に仕事をしながら、普段はこちらを持ち上げているのに、いざというときに横から弾を撃つのだ。「ああ、どこも同じだな」と思う。

会社の再生事業はなかなか難しいし、わざわざ短い人生の中で無茶しなくてもとも思うのだが、これもまた勉強だと思えば結構面白い。

この本とあわせてもう一度三枝氏の書いた「V字回復の経営」を読み返してみたい。

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街場の教育論

評価:
内田 樹
ミシマ社
¥ 1,680
最近、内田樹先生の本ばかり読んでいる。もちろんブログも毎日のようにチェックしている。

その内田先生の新刊がこの本だ。昭和のエートスというのも同時に発売されているが、教育に興味があるので、まずはこの本を手に取った。

書かれている内容は教育論というよりは社会論。なぜこんな社会になっちゃったのかということを独自の視点で書いている本。講義録をもとに作られたとのことだが、こんな講義を受けれる神戸女学院の生徒は幸せだなあと思う。大学っていうところは、本当はこういうことを考え、議論し、思考力を身につけるところなんだろうなあと今更ながら思う。私の学生時代は一体なんだったんだろうと思いながら、40を過ぎてはじめて学問に目覚めた感じだ。

この本の中で特に感銘を受けたのは、一つは「学ぼうとする人にはメンターが必要」だということ、もう一つはキャリア教育の問題点だ。

前者のメンターが必要という点は結構見落とされがちだ。師のいない教育なんて成り立たない、という至極当たり前のことが今の世の中では忘れられているような気がする。e−ラーニングがうまく行かない理由もこのことがポイントだ。メンターの存在が皆無の自習だけの教育というのはありえない。「場」の持つ意味は確かに強力だと思う。大学のキャンパスという場があってはじめて成り立つ話は多い。

社内でもe−ラーニングを推進しようとしている人たちがいるが、所詮小テストにしか使えない代物だ。教育という場にはメンターとなる師や競争相手や「かしこいんやね」と言ってくれる女の子という存在があってはじめて成り立つのであって、それなしには頑張れないのだ。(本の内容からちょっとそれたかも)

後者のキャリア教育の話はなるほど〜と思った。会社の面接官を何回かやって思ったことは、入社希望の学生が面接室に入ってきた最初の5秒で決めれるということだ。以前から思ってたことをこの本でもズバリ指摘している。

大学までの受験勉強ではインプットしたことが何らかの成果にあらわれたが、就職活動ではそれまでの受験勉強とは全く違うことで面食らう学生が多いらしい。しかし、会社の論理はあくまで一緒に仕事をしたい人を選ぶだけなので、内定をもらえる学生はどこの会社でももらえ、5秒で×のつく人はどこへ行っても×なのだ。

あまりにもひどい人には「君、そんな態度だとどこ受けても落ちるよ。今度からは○○××…しなさい」と教えてあげていた。その後どこかの会社で拾ってもらえたかどうか心配だが、本当にどうしようもない学生が多い。

この本でも述べられていたが、現代はあまりにも個性を強調しすぎたため、自分さえよければという考え方が蔓延している。会社に来る営業担当者も自分のことを考えている人が多い。本当はお客様のためになることを提案するのが仕事のはずなのに、全く自分本位で相手のことを考えてない人が増殖している。

日本人は「和の文化」だったはずなのに、いつのまにか人間関係が希薄になり、アメリカからやってきた俺俺文化が幅を利かせるようになってきた。

その根底にあるのが教育だと思う。なかなか変わりようがない教育だが、もう少し日本の良かった点を思い出し、もういちど舵を切り直さなければ行けない時代に突入したのではないかと思うのだ。


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勝間和代のビジネス頭を創る7つのフレームワーク力 ビジネス思考法の基本と実践

今年はいわゆる勝間本がビジネス書を席巻しているけど、この本も本当にためになると思う。とてもよくまとまっており、頭の整理ができる。

基本的なフレームワーク21選として「戦略の3C」とか「マーケティングの4P」「PDCAサイクル」などおなじみのフレームワークが出てくるし、それ以外にも「組織の7S」とか「WillーSkillマトリクス」などいろいろと図解で解説しているページが特に便利。

なお、この本で言うビジネス思考力とは次の7つ
1)論理思考力
2)水平思考力
3)視覚化力
4)数字力
5)言語力
6)知的体力
7)偶然力
それぞれについて具体的に書かれており大変勉強になる。

特に知的体力のところで「三毒の追放」というのが書かれており、これは大事だなあと思う。仏教で言う百八の煩悩の中でも最も強力なものを「三毒の煩悩」というのだそうだが、次の3つ

1)貪欲(とんよく)…むさぼり欲しがる心
2)瞋恚(しんに)…怒り腹立つ心
3)愚痴(ぐち)…言っても甲斐のないことをくどくどと言って嘆くこと

これを追放するのが大事だということだ。
私もこの本を読んで以来「妬まない、起こらない、愚痴らない」を手帳に書いて自分に言い聞かせています。

他にもいろいろなノウハウ満載の本でした。

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いきなりはじめる仏教生活

「内田樹の研究室」というブログの中にインターネット持仏堂というのが開設されているが、内田先生と一緒にその持仏堂にコメントをよせているのが著者の釈徹宗さん。

難しい仏教関係の本とは違って、お坊さんとは思えないとてもわかりやすい語り口で、難しい話を現代社会とマッチさせながらぐいぐい読者をひっぱっていくという本だ。

ずいぶん大胆な語り口だなあと思って、プロフィールをみればそのはずで、年齢も私とほとんど同年代で、かつ(うちの近くの)大学院を出られており、大学の先生もやられている方だ。

十牛図に関する解説もこの本の中に入っており、私たちのような初心者が仏教を学ぶ(というか仏教を中心に今の社会を読み解く)のに最適な本なのではないかと思います。こういう本がほしかったんだよね。

考えてみれば、日本の根底には仏教の教えが流れており、意識はしていないがブッディストだったのだと思う。ところが、アメリカを中心としたキリスト教文化が社会を席巻し、国際化だとかなんとか言われるうちにしっくりこない文化を日本の中に取り込んだことが、昭和30年代から狂ってきた原因なのかもしれない。

この本の中で紹介されている「阿弥陀堂だより」のDVDを借りてきて見たし、原作の南木佳士さんの本も読んだが、日本の原風景の中にはしっかりと仏教がとけ込んでいるような気がする。

私もこれから半僧半俗のライフスタイルでやっていこうかなと思う。将来的には早く会社を辞めて日本にもっと仏教を普及させる活動をしたいなあなんて思う今日この頃です。(が、下の子がまだ幼稚園なので、あと15年は働かないといけないだろうな…とも思いますが…。)
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十牛禅図―般若心経の「空」の心を知るための絵物語

十牛図のことを知りたくて以前から何度となく読んでいる本。

十牛図とは「1:尋牛(じんぎゅう)」「2:見跡(けんせき)」「3:見牛(けんぎゅう)」「4:得牛(とくぎゅう)」「5:牧牛(ぼくぎゅう)」「6:騎牛帰家(きぎゅうきか)」「7:忘牛存人(ぼうぎゅうそんじん)」「8:人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)」「9:返本還源(へんぽんげんげん)」「10:入てん垂手(にってんすいしゅ)」の10枚の絵とそれぞれ「序」と「頌(じゅ)」とよばれる漢文がついているものなのだが、とくに8枚目の「人牛倶忘」の絵には全くなにも書かれておらず、これが般若心経が説く「空」をあらわしているのだそうだ。

牛をさがしている喩えをもちいているけれど、実際にさがしているのは自分自身の「ココロ」のことだ。仏心仏性を探し求める道筋をこの十枚の絵はあらわしており、6枚目あたりからさっぱりわからなくなる。9枚目、10枚目はいったい何のことなのか?

それにしても、この本であつかっている「絵」はとてもユニークで他の本よりもかわいらしい絵を使っている。特に10枚目の絵は酔っぱらいながら街を歩いている感じでとてもほっとする。この10枚目は、元の俗世間に戻ったことを表しているのだけれど、どこか違う自分に気がついていることを表している。

ううううん。。。。奥深すぎてやっぱりわからない。といいながら、また最初から読み直してみるのだ。(仏教はおもしろいですね。やっぱり…)
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日本でいちばん大切にしたい会社

今日、会社の処遇のひどさに嫌気がさして11時過ぎに早退した。

堂島のジュンク堂書店で仏教関係の本を立ち読みしながら、ふと経営関係の書棚に「泣けるビジネス書」といううたい文句で置かれている本が気になり手にとった。

冒頭に社員の7割が障害者の会社「日本理化学工業株式会社」のことが書かれているのだが、あまりのすばらしい内容に、立ち読みで第1章の71ページまで読みふけってしまった。(もちろん買って帰りました!)

日本理化学工業株式会社は川崎市にあるチョークを作っている会社だが、障害者2名を50年前に受け入れた話から始まり、今では社員の7割が障害者になったという話だ。

昨年くらいから日本のいろいろな業種の会社での不祥事が取沙汰されてきたが、そういう偽装や不正と全く対極にある会社が日本にもいっぱいあるということをこの本では訴えている。

特に冒頭の日本理化学工業株式会社の話はすばらしく、重い聴覚障害のある私の長男のこともオーバーラップし、涙が止まらなかった。

それに比べれば、私の会社での処遇の悪さなどは、取るに足らない話のような気がした。本当にこの本で取り上げられている5社の清々しさはすばらしい。日本もまだまだ捨てたものじゃないなあとあらためて感じた。

最近はアメリカ発の要領のいい経営論が持ち上げられているし、稼げる仕事術みたいなのが流行っているけれど、そんな地に足の着かない仕事ではなく、もっと社員のことを徹底的に考えてくれる会社の方がよっぽどやりがいが大きいのではないかと思う。

人をロボットのようにコストとして扱う派遣業の処遇のひどさが、今回の秋葉原の事件を発生させた一つの原因だ。今回の事件の犯人と同様のストレスにさらされている人たちは多数いるはずだ。そんなふうに人を人として扱わない企業が跋扈する一方で、この本に書かれているような会社も日本にはまだまだ存在する。

目先の利益を追うのではなく、日本の企業はもっと従業員一人ひとりのために貢献できる存在でいてほしいものだと思う。
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